第16話 メイドさんと契約
「さてメイドさん」
俺たちは今向かい合って座っている。いつものだらっとした雰囲気ではなく2人とも背筋を伸ばして。
「はい、ご主人様。ついにこの時が来てしまいましたね」
テーブルに広げられた紙が2枚、契約書だ。
珍しく俺が淹れたコーヒーに彼女が手をつける。「これが最後ですから」とか言ってたけど、もう金輪際俺が作ることはないんだろうか。
ひと口飲むと、メイドさんは短く息を吐いた。
「3ヶ月間、ありがとうございました。初めて派遣された先がご主人様で本当に良かったです」
握りしめられた拳が心なしか震えている。
「俺も当初はどうなることかと思ったけど、来てくれたのがメイドさんで良かったよ」
俺も自分のカップに口をつける。やっぱり彼女がいれてくれたコーヒーとは天と地の差だ。
今度の休みに教わろうかな。あ、でももう淹れさせてもらえないんだっけ。
「では、またもし機会がありましたら……」
そう言ってメイドさんは立ち上がり、綺麗に一礼する。それは彼女が初めてうちに来た時とまったく同じで。あの日の光景がフラッシュバックする。
機会があったら……?なんだか話が噛み合ってない気がする。
お辞儀を終えて見えた彼女の頬は、少し赤かった。
「それでメイドさん、今度のお休みにコーヒーの淹れ方教えてくれないかな」
「え……?」
「あれ?」
こてん、と首を傾げてメイドさんは指をおとがいに当てる。
「今日で契約終了ですよね?」
「あれ、そうなの?」
俺たちの周りを疑問符が飛び回る。てっきりこのまま契約を更新するものだと思っていたが、彼女はもう終わりたいのだろうか。
「あ、ごめんね……メイドさんこの契約終わらせたかった?気が付かなくて申し訳ない」
「い、いえいえ!私はご主人様が契約を終了するものだとばかり!」
「あれ、そんなこと言ったっけ、、?」
「だって元々メイドを呼ぶはずじゃなかったって……私ご主人様のこと普段からからかってるし……」
上擦った声が鼓膜を揺らす。
あぁ、だからこんなに今日はちゃんとしてるのか。というか自覚はあったんかい、他人をからかっているという。
「あー……勘違いさせたなら本当に申し訳ない。俺はこのままうちにいて欲しいと思ってるんだよ、メイドさんに」
「本当ですか……?」
眉がへにゃっと下がって泣きそうな顔でメイドさんが呟く。
「本当だよ。ドラム式洗濯機も買うって言ったじゃん」
「でも新しい洗濯機が来たらもう私お払い箱かなって」
「ないない!自分で言うのもなんだけど、メイドさんがいないと生活がまた破綻しちゃうよ俺」
「それはそうですね」
突然真顔になるのはずるいって。
「おい」
「ふふっ」
メイドさんは再び椅子に座ると、だら〜っと体をテーブルに倒した。
「なーんだ、追い出されちゃうかと思いましたよ私」
「俺はこの生活、結構気に入ってるんだよ」
「奇遇ですね、私もです……。あーあ、安心したら甘いものが食べたくなりました!」
そう言って彼女はキッチンへとすたすた歩いていくと、いつもの棚から洋菓子を取りだした。
「改めてよろしくね、メイドさん」
「こちらこそ、私がいないと生活が破綻するご主人様」
「やっぱり解雇しようかな」
「もう遅いでーす!」
目の前に置かれた「継続契約」と書かれた契約書を摘んで、彼女は手を後ろに回した。