終電から、朝へ
終電が来る数分前、ホームにはぽつぽつとスーツを来ている社会人が何人か並んでいた
黒いスーツの男性がひとり、ベンチに腰をかけている。スーツの肩は少しよれていて、ネクタイは緩んでいた。
彼の名は佐々木。営業職。今日は遅くまで得意先と飲み会だった。笑って、頭を下げて、空気を読んで——そして疲れが残るまま、最終の下り電車を待っていた。
「……ふう」
目を閉じて、ひと息つく。
そのとき、隣に小さくコトンと音がした。
隣に座っていたのは、制服姿の女子高生。リュックを抱えて、小さく舟をこいでいた。
手には、参考書。時おり首がかくんとなって、彼女は目を覚ます。
「あっ……やば……」
眠そうな声に、佐々木は小さく笑った。
終電に乗る高校生なんて珍しい、と思いながらも、特に声はかけない。
やがて、電車が来て、ふたりは並んで乗り込んだ。
席は空いておらず、つり革を握る。
女子高生は、立ったままうとうとし始めた。
佐々木は、何となく気にしていた。
彼女が倒れそうになったら支えよう、そう思っていた矢先——
「……あ」
彼女がリュックを落としかけたのを見て、佐々木はさっと手を伸ばした。
「危ないよ」
「……すみません。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げた女子高生。リュックを抱え直して、姿勢を正す。
それきり、ふたりはほとんど言葉を交わさなかった。
電車は夜の街を静かに、そして滑るように走っていく。
窓の外には、眠った住宅街。点々と光る灯の眩しさ。
誰かの明かりが、誰かの夜を照らしている。
——翌朝——
同じホーム、同じベンチ。
佐々木は出勤途中、欠伸をしながらぼんやりと電車を待っていた。
すると、昨日の女子高生が、今度は制服の上にカーディガンを羽織ってやってきた。
彼に気づくと、小さく会釈をして、隣に座る。
「昨日はありがとうございました。助かりました」
「いや、こっちこそ。ずいぶん夜遅くまで…大変だね」
「受験生なのでやらなきゃいけないんです……」
苦笑いする彼女の声に、佐々木はうなずいた。
「そっか。俺もがんばるよ。営業成績、まだまだだからね」
「ふふ、じゃあ、どっちが先に目標達成するか勝負、ですね」
朝の光がホームに差し込み、始発の電車がゆっくり入ってくる。
大人と子ども。違うようで、どこか似ている。
ほんの数分の出会いだけれど、その日、佐々木は少しだけ背筋を伸ばして会社へ向かった。