アニメや漫画が性犯罪を増やす原因だと槍玉にあがる度に思い出す出来事
※実話、ただしフェイクあり
※根幹の部分はマイルドにしてますがある程度はそのままです
※胸糞悪いかもしれない
「漫画の性表現が性犯罪を助長させている」
「アニメは性犯罪を誘発するからなくすべき」
これらの文言を聴く・目にすると思い出す出来事がある。
小学生の頃、習い事の先生とよく話していた。習い事とは関係ないことでも、教室を訪れた時や、帰り際などに。
先生は笑顔が素敵で、格好いい旦那さんの居る、おちゃめなひとだった。親達からの評判もよかったし、迎えに来た母親達と話し込むこともあった。後輩の先生達からも慕われているようで、教室のある建物の廊下で話し込んでいるのも何度か見た。
ある日、学校へ行くと、同じ習い事に通っている子が話しかけてきた。
その子は昨夜親から、先生が教室を辞めたと聴いたそうだ。
以前担任の先生が産休にはいったことがあったので、先生もそれかなと考えていた。
数日後、先生は引っ越したと聴いた。結局先生は戻ってこなかった。
それから数年経ち、どんな時だったかは忘れたが、母が「偶然○○先生に会った」といった。変わった名字なのですぐに思い出せた。懐かしいのもあって先生の話になり、何故辞めたのかを訊いた。
先生の旦那さんが捕まったからだという。驚くわたしに、母はしかめ面で、「変なひとだったからね」といった。
先生の旦那さんに変なひとというイメージはない。たしか、塾の先生で、評判のいいひとだった。数回、見かけたこともある。たまに先生を送り迎えしていた。家庭的な愛妻家という印象だ。当時はこんな言葉も知らないが。
なにで捕まったのか訊いたが、母は言葉を濁しただけだった。
そこから更に数年。
TV番組だったか本だったかで、「アニメや漫画は犯罪、特に性犯罪を助長する」という文言に触れた。それに憤って、家族に対して愚痴をいった。実写映画などは何故除外するのか? 小説ならいいのか? 先に現実の性犯罪をとりしまるのが筋ではないのか? それにこの説には根拠がない、などなど。
その時母がしかめ面になって、わたしに同意した。そして話してくれたことが、先生の旦那さんについてだった。
先生の旦那さんは、未成年の男の子との性的な行為を動画に撮っていた。しかも売っていた。おまけに、相手の少年達は同意していなかった。被害者のひとりが警察に駈け込み、事件が発覚した。
あんまりにもあんまりな話なので、唖然としてしまったのだが、更に母がたたみかけてきた。
母は一時期、本屋でパートをしていた。チェーン店ではなく、田舎の小さな書店である。わたしが小学校に上がる少し前くらいのことだ。
そこに、先生の旦那さんがやってきた。習い事の先生の旦那さんだったので、母は彼に見覚えがあった。あちらもあちらで、母を知っていた。
挨拶もそこそこに、先生の旦那さんは、「店長さんは居ますか」という。居なかったので、居ないと答えた。
すると、先生の旦那さんは、「じゃああなたでもいいです。性的な内容の漫画を置かないでほしい」といってきた。
母は漫画に疎く、「エロ漫画」すら知らないので、性的な漫画なるものがどんなものかもわからない。そういうものを排斥する活動をしている、と自慢げなのにもたいした反応を返せなかった。それに、どの本を仕入れて売るかは、店長が決めている。「自分は単なるパートなので、そういう権限はありません」といった。
すると先生の旦那さんは、「じゃあ見てみてください。酷いのがわかりますから」と、母を成人向けの棚までつれていった。
成人向け漫画を一冊抜きとると、セックスシーンの描かれたページを開いて、母に見せたそうだ。狼狽える母に、漫画を開いたまま、先生の旦那さんは訴えた。
「こういうものは子どもの教育によくない。子どもに見せていいものではないのはあなたもわかりますよね。置かないでもらえませんか」
母は狼狽えつつ、店長に伝えると答えた。先生の旦那さんは、それで納得したのか帰った。
その直後はなんとも思わなかったものの、母は段々と疑問を持った。自分は店長ではなく、権限もないといっているのに、あえて見せる必要はあるのか? 成人向けの棚に隔離されているのだし、子どもが近寄らないように気を付けてもいる。第一、官能小説などもあるのだから、別にいいのでは?
いやらしいページをわざわざ見せて、反応を楽しんでいるようにも思えた。その為、母はその後、先生の旦那さんに対して、なんだか大袈裟な名目で活動しているらしいが変なひとだと、不信感を持っていた。
数年経って、性犯罪で捕まったと聴き、さもありなんと思ったそうだ。
作者は漫画やアニメでの表現について、ある程度の規制や、年齢制限などは必要だと思っています。
また、それらについて活動しているひとが全員このエッセイの人物のようだといいたい訳ではありません。
ただ、「根拠なく」アニメや漫画を批判する人間を見ると、先生の旦那さんを思い出す、というだけです。