不快感
山下は捜査一筋でやってきた男だ。仕事こそ彼の生き甲斐だった。自分から隠居を決意したものの、後釜を育てていないということと、何よりかつての相棒がサイコキラーであったことは、彼を酒に溺れさせるには充分な理由だった。
酒臭いです。一体何時まで飲んでたんですか?そんなんで捜査できますか?
後藤は、酒に入り浸った見るも無惨なかつての上司の姿に幻滅した。
ちょっとぐらいいいだろう?そもそも隠居している人間を引っ張り出そうとしたのはお前の方だ。
確かに。後藤は言葉を詰まらせた。
それでも、捜査へ誘われた事が嬉しかった酔っぱらいの爺は、頬を赤らめながらも、後藤が来る前に身支度は整えていた。吐く息だけが酒を匂わせていた。
これでも口に入れておいてください。多少は匂いが軽減されると思いますから。
後藤はポケットから口臭用のタブレットを出して山下に渡した。
歯磨きはしたんだがな。
そう言いながらタブレットを口に放り込み、車に乗った。現場へと向かう。運転をしながら後藤は今回の事件を簡単に説明した。
ネットカフェでまた事件です。今回は、部屋に遺体は無く、血液だけがぶちまけられていました。部屋の中心辺りから放射状に伸びている跡から、おそらく天井からぶちまけられたと考えられます。その血液を調べたところ、色々な血液が混ぜられたもので、「誰か」という特定の人物に辿り着くことは恐らく不可能でしょう。不可能ではないにしろ、相当の時間がかかる。
ネットカフェの利用者名簿には遠藤平吉の名前、防犯カメラには遠藤平吉特有の癖が見受けられました。現在、利用者名簿、防犯カメラ、周囲の不審者情報を集めています。まずは情報収集して整理していかなくてはならないと思います。
そこまで言ってふと山下を見ると、うつらうつら頭が揺れていた。
ハンドルを思い切り回して山下の頭を窓ガラスにぶつけると、山下は頭を抱えて起きた。
聞いてました?寝てましたよね?
聞いてたよ。ネットカフェの事件だろ。
だいぶ前半ですね。もう一度言いますよ?
いや、もういい。それより運転荒っぽいぞ。頭をぶつけちまった。
それは失礼しました。
現場に着くと、山下はふわぁと欠伸をしながら車から下りた。
後藤が先導して山下を現場に通す。
後藤に言われた通り、情報を集めていた安田が驚いた表情で駆け寄ってきた。
山下さん!どうしたんですか?
ハイド君に無理矢理呼び出されたんだよ。安田がしっかりしないからってな。
そんなことは言ってません。それより安田。情報は整理できたか?
人使いが荒いですからねハイド君は。
運転も荒いぞ。
いいから!安田!
はいはい失礼しました。
ん~と、まずは防犯カメラの映像に残されてた男は、遠藤平吉の変な癖、くしゃくしゃと頭を搔く仕草と、遠藤平吉に似た顔の男ってだけで、人物の特定までは至っていません。
それと、利用者名簿なんですけど、遠藤平吉の名前がありました。しかし、防犯カメラに写っていた時間と来店時間が合わないんです。
周囲の不審者情報なんですけど、それもありません。防犯カメラに写っていた男の写真を見せながら聞き込みはしたんですけど、あの時間、そもそもこの辺りは人通り少ないので聞き込みで出てくるか微妙ですね。
...進展は無しか
いや、進展したと言えば、犯行の手口が分かりました。放射状に伸びたあの血痕ですけど、恐らく次元装置のようなものかと思います。
次元装置?
ええ。天井裏から血液パックのようなものが出てきました。恐らく、それを少しずつ垂らしたのではないかと。あの部屋一面に一気にぶちまけたら、音で気づかれますからね。大体5分~10分程度の間で垂らされたものだと思われます。
その時間と遠藤平吉の来店時間は被るのか?
はい。なので、恐らく遠藤平吉が部屋を借りている時間で何らかの形で次元装置を使い垂らしていたのではないかと。
...おかしい
後藤は安田の話から微妙な不快感を覚えた。