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18 奥様と侍女

 ぐっすり眠って目を覚ましたジラウドは、しばらくぼんやりしていた。

 グラスに水を注ぎながら寝起きのジラウドを眺めてしまう。前世の夫はものすごく寝起きが良かったので、新鮮な光景だ。


(前世と変わらないところもあれば、まったく違うところもあるんだよねぇ)


 それでも前世の夫で間違いないという揺るぎない確信がある。こればかりは口で説明できない摩訶不思議な感覚だ。


「やっぱり使用人のどなたかに来てもらうか、こちらでお手伝いさんを雇うかした方がいいのでは?」

「そうだな……」


 ジラウドの病院では看護や事務の手伝いとして近所の人間を若干名雇っているのだが、私生活に関しては全て一人で行っているのだそうだ。

 生まれた瞬間から使用人に世話されて育ってきたはずだし、それでなくても開業医として日々忙しく過ごしているのだ。自分のことは自分でやった方が早いのは分かるのだが、エレインだってオルガと仕事も家事も分担している。通いの家政婦を一人くらい雇っていれば、今日みたいに疲労困憊でエレインに寝かしつけられることもなかっただろう。


「ロザリーにも手紙で言われた。アレクサンドラが手伝うと申し出てくれてはいるんだが」


 グラスの水を飲み干したジラウドは、小さくため息をついた。


「少なくとも、アレクサンドラを雇うつもりはない」

「どうしてすか? ばあやさんなんですよね。気心が知れていていいと思いますけど」


 エレインの言葉に、ジラウドはせっかく休んだのにくたびれた様子で首を横に振る。


「だから嫌なんだろ。やりにくいんだ。もう隠居してもいい歳なのに、それを言うと怒るし。それに……」

「それに?」

「なんというか、父や俺たち兄弟の中で、一番気にかけられているのが俺のような……」


 そういえば、ロザリーも以前そう言っていた。ジラウドはキャベツちゃんなのだ。


「ふふふ。特別手のかかる子供だったんでしょうか」

「いや……まぁ、家事使用人については慎重に検討する」


 寝ている間に乱れた服や髪を整えたジラウドは、改まってエレインに向き直った。エレインも思わず背筋を正す。


「ところで、今日は折り入って君に頼みたいことがあったのだが」

「何でしょう? 承るかどうかは内容によります」

「エミリアーノ殿の邸宅に招待されているんだ」

「司令殿の! 個人的なお付き合いがあるんですか?」

「ああ」


 エレインとロザリーのように駐屯地で初めて会った二人だが、共通の趣味があるとかで、ブロンデルを後にしてからも交友が続いているそうだ。


「舞踏会なんだ。君に俺のパートナーとして参加してほしい」

「え? 私が? 舞踏会に?」


 目を丸くするエレインに、ジラウドは深く頷いた。


「必要なものは全部こちらで用意するから、何も心配しなくていい」

「え、いや、心配というかそういうことじゃなくて。あの、どういうことですか? 私は平民ですよ。踊ったことないですし……それに司令殿って貴族じゃないですか。貴族の舞踏会になんて参加できません」

「君なら大丈夫だ」

「何を根拠に!?」


 確かに前世のエレインは貴族の令嬢だった。落ちぶれた家だったからこそ、いい結婚ができるようにと令嬢に必要なマナーはしっかり学んでいた。立ち居振る舞いは問題なかったはずだし、もちろんダンスだって踊れる。

 生まれ変わった今も知識は残っているので、多少おさらいすれば問題ないとは思う。

 しかし、そういう問題ではない。


「私がジラウド様の、舞踏会のパートナーだなんて……だめです、むりです」


 親族以外のパートナーとはつまり、婚約者や婚約を視野に入れた親密な関係にあることを示しているのだから。

 ジラウドは高位貴族の直系である上に、軍と医療の両界隈で有名なので、当然、パートナーに向けられる目は厳しいものになるだろう。それが平民の薬師だなんて、何を言われるか分かったものではない。


「司令殿の邸宅にどなたが招かれるのかは分かりませんが、ジラウド様のためにもやめたほうがいいです」

「俺のためを思うなら頷いてくれ」

「他の貴族の方を当たってください。そうだ、ロザリーは? 幼馴染みなんですよね」

「彼女には婚約者がいる」

「え、そうなの……?」


 文通しているのに知らなかった。いつか教えてくれるだろうか。


「とにかく、ダメなものはダメですから。もうこの話は終わりです」

「……このままでは一人参加か……」

「…………」

「エレイン。頼む。俺は君と一緒に行きたい」


 普通であれば舞踏会は同伴者必須だ。そんな舞踏会に一人で参加する意味を、エレインはよく知っている。


(人として相当問題があるとか、何か問題を抱えているとか、好奇の目にさらされて、同情されて……とにかくあんまりいいことにはならないはず。まぁこの人なら「我こそは」というご令嬢に突撃されるかもしれないけど)


 なんせジラウドは顔がいい。実家は太いし仕事もしっかりしているので、ご令嬢の結婚相手には申し分ないだろう。


(それはそれで……)


 服ごとロケットペンダントを握りしめ、深く深呼吸してから、エレインは頷いた。


「しかた、ありません、ね」


 ジラウドが嬉しそうに目を細めた。

 あれから二百年も経っているのだ。魔法銃が発明されて、女でも軍人になる時代だ。貴族の常識も変わっているだろう。それなら、補欠程度だと思って参加すればいいのだ。決してやきもちとかではなく。


 当日の移動や衣装について軽く相談した後、ジラウドは上機嫌で帰って行った。その後ろ姿を見送ってから、エレインは舞踏会に参加することになったことをオルガに報告する。エミリアーノの邸宅で一泊することになるので、店を休まなければいけないのだ。


「へぇ」


 案の定、オルガはニマニマと笑った。しかし反対されることはなく、あっさりと了承を得る。


「でもあんた、ドレスなんて一人で着替えられる? あたしは付いて行けないからね。まぁあの御仁がその辺を考えてないわけもないだろうが」

「何も心配しなくていいとは言われました」

「へぇ」


 またオルガがニマニマし始めたので、エレインは顔を赤くして部屋に引っ込んだのだった。


 その翌日、オルガの店に見覚えのある人物がやって来た。たまたま店番をしていたエレインは顔を上げて目を瞬く。


「モントレー夫人!」

「お久しぶりですね、エレインさん。ああ、薬をいただきに来たのではありませんよ。あなたに聞きたいことがあるのです」

「そういえば夫人は医者も薬もお嫌いなのでしたっけ。聞きたいことって?」


 手紙を送るでもなく、わざわざ会いに来てまで聞きたいこととは何だろう。検討がつかずに首を傾げてしまうエレインを静かに見つめて、モントレー夫人は続けた。


「エレインさん……いいえ、奥様。前のことを覚えていますか?」


 何を言われたのか分からなかった。

「前のこと」とは具体的にいつのことだろうかと考えたエレインは、店番をオルガに頼んで、モントレー夫人を自室に招いた。

 後ろ手に扉を閉め、震える声で言う。


「あの。前のことって、駐屯地でご一緒した時のこと……ではなくて?」

「それよりもっと前のことです、奥様」


 エレインは「奥様」と呼ばれるような立場ではない。しかし、そう呼ばれていたことならある。

 夫と結婚して、ブロンデルの城で過ごしていた頃……つまり、前世だ。


「……もしかして……?」


 エレインの小さくかすれる声を拾って、モントレー夫人は確かに頷いた。


「私がお分かりになりますか?」

「ご、ごめんなさい。前のことは、覚えているんですが……あなたが誰かまでは……」

「この姿ですから、分からなくても当然でしょう。以前の名は自分でも覚えておりませんが、私はかつて、あなた様の侍女をしておりました」

「うそ……!」


 思わず口元を両手で覆った。そうでもしなければ大声を上げてしまいそうだった。

 エレインの侍女と言えば一人しかいない。前世でたった一人、生家から婚家へ付いてきてくれた年上の女性。職務に忠実であるためか、あまり感情を表に出す侍女ではなかった。


(こんな時ですら澄ましているあたり、確かに前世の面影があるような気が……)


 それに、侍女もモントレー夫人と同じく医者と薬が嫌いだった。


 固まったままそんなことを考えているエレインの目の前で、モントレー夫人はお手本のような礼を見せる。今にしてみれば古風な所作と、きっちりまとめられた灰色の髪が、あの頃の侍女と重なった気がした。


「本当にお久しぶりでございます。お会いできて嬉しゅうございます、奥様」

「ええ、お久しぶりです。まさかモントレー夫人が……こんなことがあるなんて……!」


 動揺が抑えられなかったエレインは、結局大きな声を出してしまう。

 頭を上げたモントレー夫人が警戒するように部屋のカーテンを閉る。唇に人差し指を当てて、極めて冷静な声で言った。


「それで、奥様。他にお分かりになる方は? 他にも前世のことを覚えている方はいらっしゃるのでしょうか」

「自分とモントレー夫人以外に前世の記憶を持っている人は知りません。ただ」

「ただ?」


 エレインは少し悩んでから続けた。


「ジラウド様のことだけは分かります。あの人は私の前世の夫です。あちらは覚えていないようですが」

「そうですね。坊ちゃま、いえ、旦那様……紛らわしいですね。ジラウド様のことは私も覚えています。つい最近思い出したばかりなので確かなことは言えませんが、私が分かるのはジラウド様とあなた様のことのみ。前世の記憶があると確認が取れているのはあなた様のみです」


 顔を見合わせた二人は、同時に頷いた。


「ジラウド様にはこのことを言わないでおいた方がよろしいでしょうね。なんせ奥様は、最期……」

「そうですよね。私、うっかりあの人が思い出したりしないように気をつけてて」


 もう一度頷き合って、エレインは確信した。どうやら本当に、モントレー夫人には前世の記憶があるようだ。

 自分にだけ前世の記憶があるなんてやはり心細かったのか、モントレー夫人の存在にひどく安堵した。それと同時に、どっと不安も押し寄せてくる。


「モントレー夫人はあの後、無事でしたか? 私の侍女だったなら、きっと、あなたも疑われてしまいましたよね……」


 夫に猛毒を飲ませた妻が生家から連れてきた唯一の侍女だ。領主殺しの共犯を疑われていた。エレインが殺されたあの後、侍女が無事だったとは思えない。


「どうか気に病まないでください。私、自分自身の最期は覚えていないのです」

「そう、ですか」


 モントレー夫人の言葉にエレインは息を吐いた。

 覚えていることは、忘れていることよりも辛いものだ。あまりいいものではなかったはずの最期を覚えていないというのなら、それに越したことはない。


「ところで、ジラウド様がこちらに引っ越して来られましたね。よろしいのですか? 前世であのようなことがありましたのに」


 よろしいも何も、いつの間にかジラウドが引っ越していたのだ。それに、どこで何をしようが個人の自由。エレインには何も言えない。

 普通だったらどうにか思うところなのだろう。というか、ジラウド本人も気持ち悪くないかと言っていた。でもエレインは、驚きはしたものの嫌だとは思わなかった。


「恋をしていらっしゃるのですね」


 モントレー夫人は、きゅっと唇を引き結ぶエレインに遠慮なくたたみ掛けてくる。


「隠しても無駄です。この私には手に取るように分かりますよ。奥様はジラウド様がお好きなのでしょう? 前世、殺し殺されたにもかかわらず」

「……性格変わりました?」


 かつての侍女は口数が少ない人だった。エレインが静かに過ごしていればそれに合わせてくれたし、エレインが言いたくないことを無理に聞き出そうともしなかったものだ。


「一度死んでいるのです。性格くらい変わります」

「ですね」


 これについては頷くしかない。


「奥様。私がジラウド様にお仕えできるようお口添えくださいませんか」

「ジラウド様にお仕え?」

「ええ。ジラウド様が前世を思い出さないよう、万が一思い出した時にはすぐに奥様にお知らせできるよう、お仕えしながらお側で見張るのです。今の私はジラウド様のばあやですから、私以上の適任はおりません」

「でも……前世を思い出したからには、ジラウド様にお仕えするのに抵抗があったりは……?」

「ない、と言えば嘘になります。ですがそれより、もう二度とあんな思いをしたくありませんので」


 確かに、とエレインは頷く。

 前世の夫は毒に侵された身体を引きずってまでエレインを殺しに来たのだ。その怒りを今世でも思い出した場合、共犯を疑われた侍女、すなわちモントレー夫人まで刺し殺される可能性がなきにしもあらず。

 側で監視してもらえるのはありがたい。しかし。


「私が口添えしたとしてもジラウド様が頷くかどうか」


 毎日忙しそうなジラウドに使用人の雇用を勧めたばかりだが、当のジラウドがモントレー夫人については非常に消極的だった。エレインが頼んだところでジラウドが頷くとも思えない。


「奥様が言えば大丈夫でしょう」


 モントレー夫人が真面目くさった顔で言い切った。いまいち自信はなかったが、エレインはとりあえず、モントレー夫人をジラウドの病院に連れて行ってみた。


「ぼっちゃま。どうか私をお使いください。そして、エレインさんの夜会準備についても私にお任せを。当日の付添人も必要でしょう。お忘れかもしれませんが私の夫は男爵でしたから、お役に立てます」

「……いや……、ああもう、……分かった。ただし、近所に部屋を借りて、そこから通うこと。家賃は俺が負担する。今日はもう遅いから、うちに泊まっていい」


 診察時間が終わってから慌ただしく顔を出してくれたジラウドは、やはりモントレー夫人を雇うことにいい顔をしなかった。しかしモントレー夫人にこんこんと説得されて、折れた。ばあやは強い。


「ありがとう、ソフィ」


 ジラウドに案内されて客間へ向かおうとするモントレー夫人の背中に小さく声をかけた。振り返ったモントレー夫人がいぶかしげに目を細める。


「ソフィ?」

「夫人の前世の名前。ソフィです」


 エレインは前世の自分の名前も夫の名前も覚えていないのだが、覚えているものもある。そのうちの一つが侍女の名前だった。


「ソフィ……そういえば、そうでしたね」


 モントレー夫人は懐かしむようなそぶりを見せた後、そう言って頷いた。

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