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15 ベルカイムでの再会

「さっきの男は恋人か?」


 エレインを見下ろして、男は言う。

 軍服でも白衣でもない姿は初めて見る。しかしジラウド・シャリエ――背の高いその男をエレインが見間違えるはずもない。


 エレインの前世の夫で、えん罪では殺し殺された間柄。

 つい数ヵ月ほど前まで共にブロンデル第三駐屯地に所属していた軍医だが、戦争が終わった今、王都の王立病院に戻っているはずなのだが。


 ここにいるはずのない人物を目の前にして、エレインの思考が止まった。


「ぐ、ぐん、軍医……」

「名前」

「え、あ……ジラウド様? いえ、でも」

「ところで、さっきの男は君の恋人なのか?」

「違いますが」

 

 エレインの答えに、ジラウドは大きく息をついた。あまりに堂々としたため息にエレインはたじろいでしまう。


(呆れた? 何に?)


 そして気がつく。


(お、お風呂に入っていないから!?)


 急に恥ずかしくなって、エレインはパッと顔を背けた。お風呂に入っていない姿をジラウドに見られたくない。

 じりじりと後退するエレインに、胡乱げな視線が突き刺さったような気がした。


「なぜ後ずさる」

「これから……これからお風呂に入りますので……!」

「ふ、ろ……?」


 ジラウドの言葉が不自然に途切れている。

 気になって見てみると、目を見張ったジラウドが大きな手で口元を覆っていた。呆れすぎて開いた口が塞がらないということか。


「だから毎日風呂に入れと」


 視線を斜め下にやったまま動かないジラウドを前にして二進も三進もいかなくなったエレインを助けたのは、師匠オルガのため息まじりの声だった。


 *


(……なんで?)


 湯船の中で膝を抱えて座ると、透明なお湯に自分の顔が映し出された。

 洗い髪からしたたり落ちた滴が波紋を作り、混乱しすぎて落ち着かない緑の瞳を歪ませる。


(なんで!?)


 お湯をすくい、バシャバシャと顔を洗う。それでも落ち着かないエレインは、湯船に頭を沈めた。


(一体何をしにここまで……え、というか、どうしてうちに……?)


 息を止め、お湯の中で考える。


(もしかしてやっぱり前世を覚えて……ううん。最近になって思い出した可能性もある。とにかく、もう一度私を殺しにってこと……?)


 だとしたら、「さっきの男は恋人か?」という発言にも説明がつく。

 死ぬ前に別れを済ませておけとか、きっとそういうことを言いたかったのだろう。温かいお湯の中にいるはずなのに、ぞくぞくと悪寒が走る。


 自分で両腕を抱きしめていると、お湯の中に熱い液体が足された。湯船から顔を出したエレインの目に小鍋をひっくり返すオルガの姿が映る。浴室に薬草のいい香りが広がった。

 ジラウド・シャリエの白昼夢のせいですっかり忘れていたが、入浴剤を煮出していたのだった。オルガが気付いて入れに来てくれたようだ。


「ふやける前に上がりな」


 オルガは至っていつもの調子でそう言って、浴室から出て行った。

 あまりにいつも通りだったので、ジラウドが来たことは白昼夢だったのかと思うほどだ。


(そっか。夢だったのかも。ちょっと徹夜しちゃったし、うん、夢だったんだ!)


 ほっとして風呂から上がり、濡れた身体を拭きあげる。

 タオルや着替えを入れるかごの中には、最近新しく買った服が入っていた。入浴剤に続き着替えまで忘れてしまったエレインのために、オルガが持ってきてくれたらしい。


 戦争が終わってベルカイムに戻ってから買ったワンピースだ。

 綺麗な若草色で、スカート部分はほんのりと下地が透ける薄手の生地。一日のほとんどを仕事にあてているエレインには少し華やかすぎるものの、この季節にぴったりな軽やかさが気に入っている。

 お気に入りすぎて出し惜しみしていたのだが、今日みたいな疲れた日には気分を上げるのにちょうど良さそうだ。


 化粧水で肌を整え、乾かした髪を簡単にまとめたら、ワンピースに袖を通す。

 軽く化粧を施し、いつも通り母の形見であるロケットペンダントを首から下げて居室に戻った瞬間、エレインの喉が変な音を立てた。


「ひょえっ」


 居室のテーブルに、まるで客のようにもてなされているジラウドがいたからだ。


「シャリエ先生。お茶のおかわりは?」

「いただきます」

「えっ。えっ……?」

「ついでにあんたの分も淹れてきてやるから、座ってな」

「は、え?」


 とん、と背中を押されて、よろよろとテーブルに近づく。

 大人しく椅子に腰掛けたジラウドがエレインを見上げる。頬をつねるが、何も起こらない。


「座らないのか?」

「あ、はい、座ります」


 どうやら現実のものらしいジラウドに余計な刺激を与えないよう、エレインは素直に椅子に腰を下ろした。しかし内心では絶叫している。


(お風呂に入るって言ってるんだから帰ってよぉ!)


 帰るどころか、家の中に入っているなんて。しかもここは併設された薬屋側ではなく、居住区側だ。


 エレインが座ったあと、ジラウドは何も言わないまま視線だけを寄越してくる。一瞬でも隙を見せたらたちまち殺されてしまうかもしれない。

 けれどジラウドが恨んでいるのは元妻であるエレインだけのはず。オルガのいる場で無体は働くまい。


(師匠、一刻も早いお戻りを……!)


 ロケットペンダントを握り、神の膝下へ帰った両親に祈っていると、すぐにオルガが戻ってきた。

 たっぷりのお茶が入ったポットと、追加でエレインの分のカップ。それにちょっとしたお茶菓子まで。

 ジラウドのカップに新しいお茶が注がれる。そのまま口を付けようとしているのを見て、エレインは砂糖の壺を男のそばに押しやった。


「そのまま飲んでも美味しいのですが、このお茶は砂糖を入れるのもおすすめです」


 元夫は甘いお菓子と一緒に飲むお茶も甘くしたい人だった。

 どうか大好きな甘いもので殺意を鎮めてほしい。


「そうか。では」


 エレインの勧めに従って、ジラウドはお茶に角砂糖を三つ落とし入れた。

 剣ではなくスプーンを持つ姿につかの間の安心を覚え、エレインもお茶に口を付ける。


「ではエレインも戻ってきたことですし、ご用件をお伺いしても?」

「はい。実は」


 オルガの声にエレインは顔を上げ、ジラウドは手を膝の上に置いた。

 普段から鋭い眼光が鋭く光っている。エレインの背筋に冷たいものが流れた。


 ぎゅっと目を閉じ、祈るようにロケットペンダントを握りしめると同時に、ジラウドは思い切ったように告げた。


「この街に越してきたので開業したいと考えています。その許可をいただきに」

「開業……?」


 まったくもって予想外の言葉だった。

 首をかしげたエレインと同じく、オルガも目を瞬く。


「開業というと」

「私は医師ですから、病院を」

「それはそれは」


(開業……? 病院を……開業……)


 ジラウドの言葉を反芻する。

 目的は開業であり、エレインの命ではなかったらしい。


(やっぱり覚えていないんだ! よかった!)


 エレインは思わず安堵のため息をついた。安心したら喉が渇いて、グビグビとお茶を飲む。

 その間も、オルガとジラウドの話は続いている。


「あたしらの許可など不要でしょうに」

「商売敵となりますから」

「医者と薬師は領分が違います。この辺りじゃ薬はあたしらでまかなえても、医者にかかるなら遠くまで行かなきゃならならない。商売敵ではなく、互いに協力していきましょう」

「ありがたいお言葉、痛み入ります」

「ところで、もうこちらに越してきたんで? もしあたしらに開業を反対されていたら、一体どうするつもりだったんです」

「ええ。東区にいい空き地がありましたので。住処はベルカイムと決めましたから、病院は別の町に建ててここから通うつもりでした」

「ぐふっ」


 勢いよく飲んでいたお茶が気道に入り、エレインは思いきりむせた。


「げほっ、げほっ」

「大丈夫か?」

「ああもう、馬鹿だねぇ。そんなに慌てて飲むから」


 そう言えば駐屯地を後にする際、ジラウドは「いつか、俺も行ってもいいだろうか」と言っていた。ちょっと遊びに来る程度だと思っていたのだが、もうこっちに越して来ている?

 しかも東区と言えば、まぁまぁの近所である。殺し殺された前世の夫とブロンデルで再会しただけでなく、同じベルカイムで暮らすことになるなんて。


(しっ、信じられない)


 オルガの言うとおり、医者が来るのはいい。互いに協力していけるなら、もっといい。

 しかしその医者がジラウド・シャリエなら話は別である。


(今からでも断って……いや、それより私が出て行った方が早い? 旅の薬師になる? でもでも、私はいつか師匠の後を継いでこのお店を……!)


 帰り際の玄関で、ジラウドは「お近づきの印に」などと言って、少し珍しい薬草の詰め合わせを差し出してきた。


「最初に渡すと賄賂になってしまうかと思いまして」

「賄賂があってもなくても断りはしませんがね。これはありがたく頂戴するとしましょう」


 オルガは嬉しそうに薬草の入った袋を覗き込んでいる。

 どんな薬草が入っているのか気になるエレインも一緒に袋を覗き込みたいところだが、ジラウドの前ではしゃぐのも嫌で、じっと足下を見つめていた。


 そんなエレインの視界に、小さな髪飾りが差し出される。花飾りを簪で留めるもので、簪の先にも本体とおそろいの小さな花が揺れている。


 驚いて顔を上げたエレインに、ジラウドが小声で囁いた。


「君にはこれを。似合うと思って」


 可愛い髪飾りだと思う。似合うかどうかは分からないが、エレインの好みだ。でも、こんなものを受け取る道理はない。


「……結構です。薬草だけ、ありがたく使わせていただきます」

「そうか」


 エレインが断ると、ジラウドはあっさりと手を引っ込めた。

 目つきは悪いが終始礼儀正しく、殺気も刃物も出さずにジラウドが帰った後、オルガは関心したように言った。


「受け取ればよかったのに」

「みっみみみみてててみてみてたですか」


 ジラウドもエレインも囁くような小声だったし、オルガは薬草に夢中だった。

 てっきり気付かれていないと思っていたのに、しっかり聞こえていたようだ。


「あんないい男を袖にするなんて、お前も一生独身だね」

「そっ、それでいいんです。私は師匠の後を継ぐんですから」

「ほう? あたしの目はごまかせないよ」

「ごまかすものなんてありません!」


 オルガは勘違いしている。あれは開業に当たっての賄賂のひとつであって、それ以上でもそれ以下でもない。

 万が一エレインが結婚することになったとしても、ジラウドには一切関係のないことだ。


(だって……私は夫に嫌われていたもの……)


 夫は毒を入れたのがエレインだと思っている。その報復としてエレインは刺し殺された。

 相手は前世のことを覚えていないようだが、うっかり何かの弾みで思い出されても困る。

 また殺されてしまうかもしれないので、余計な刺激を与えるようなことはしないと決めているのだ。


(なんで私ばっかりこんなことを覚えているんだろ)


 エレインも前世のことなんて覚えていなければ。もしくは、ジラウドも前世を覚えていれば、こんな面倒な事態にはならなかったのだろうか。


 そんなことを考え続けていたエレインは、考え過ぎて眠れない夜を過ごすことになるのだった。

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