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09 乙女の膝枕

 従軍をはじめて数ヵ月が経った日の朝。

 すっかり冬の気温となり、乾いた風が肌を刺す中いつものように食堂へとやってきたエレインは、テーブルに花が飾られていることに気がついた。


 スズランのような壺型の花だが、色は目が覚めるほど鮮やかな青。薄い花弁が幾重にも重なり、まるで小さなドレスのようだ。

 どうやら一輪ずつ食堂内のテーブルに配置されているらしい。たったこれだけで殺風景な食堂が明るくなったように見える。


 花を眺めながらパンをちぎるエレインの元に、フェルナンがやってきた。


「やあ、薬師殿。おはよう」

「あ、フェルナン様。おはようございます」

「今日のスープはうちの畑の白菜を使っているそうだ。きっと旨いぞ。ご一緒しても?」

「もちろん」

 

 クリスとギャリー、フェルナンの三人は畑兵として毎日の食卓を支えている。

 この土地と今の気候にあった新鮮な野菜を山ほど作りだし、保存食ばかりで塩分多めになりがちな第三駐屯地の食を変えたのだ。

 彼らが作った白菜は甘くて美味しい。よく煮込まれていて、口の中に入れると柔らかくとろけて消えた。


「昨日、やつらと東の森まで少し遠出して、落ち葉を集めてきてな。落ち葉を加工すると肥料になるとは知らなかったよ」


 フェルナンはほくほくとした顔で語る。


「落ち葉集めのついでに綺麗な花を見つけたから摘んできたんだ。戦時中なのだから華やかでなくて当たり前だがな、食事時くらいはいいだろう?」

「このお花、フェルナン様が飾ったんですね。やっぱり綺麗なお花があると気分が変わりますよね」


 そうだろう、とフェルナンは鼻が高い様子だ。景観にはこだわりがあるらしい。

 滋味深いスープをしっかり味わったあと、エレインは言った。


「あの、フェルナン様」

「なんだ?」

「実はこのお花、毒草なんです」

「ひゅえっ」


 フェルナンが変な息の吸い方をして思い切りむせた。テーブルに突っ伏してしまった青年の背中をさすり、水のグラスを差し出す。

 しばらくして落ち着いたフェルナンは涙目でエレインを見上げた。


「しらっ、知らなかったんだ! ただ綺麗な花だと思って……げほっ」

「分かってます。毒があるのは主に根の方で茎や花弁はちょっとだけだから、大丈夫ですよ」

「ちょっとでも毒は毒なんだろ!?」

「心配なら、私が預かりましょうか? 適切に処分しておきますので」


 フェルナンが無言でコクコクと頷いたので、エレインは食堂内から青い花をすべて回収した。

 派手にむせたせいか、うっかり毒を持ち込んでしまったせいか、終始涙目のフェルナンと畑に向かう。

 その道すがら、司令エミリアーノが歩いてくるのを見かけたので、二人で並んで敬礼をした。


「おはようチミたち。何か問題はないかい?」

「はっ! 畑も己自身もつつがなく!」

「そうかそうか。ベルジュ君はどうかな。おや、その花は? 綺麗だね」

「いつも気にかけていただいてありがとうございます。この花は……」


 言いかけて、エレインは一度口を閉じる。そして、改めて言った。


「司令。この花を大量に採取したいので、遠出を許可していただけないでしょうか」

「正気か薬師殿っ! 毒なんだろっ!!」


 第三駐屯地にフェルナンの悲鳴がこだまする。

 この花の名前はバーチナイト。別名、乙女の膝枕。ドレスのような可愛らしく可憐な見た目と、「そばで眠ると永遠の眠りにつく」というその花の毒性に由来している。


 フェルナンには「ちょっとだけだから大丈夫」と言ったものの、バーチナイトの花粉には割と強力な入眠成分がある。

 ほんの少しなら問題ないが、一定以上花粉を吸ってしまうと気絶するように眠ってしまう。

 場所が悪ければ――例えばそれがバーチナイトの花園だったりしたら、そのまま昏睡状態が続き、最後には死ぬ。

 バーチナイトの群生地からはたまに骨のような白いものが見つかる、とも言われている。


 なので薬師界隈では毒草扱いなのだが、同時に非常に珍しい植物としても有名だった。

 乾燥させたものですら手に入れることは難しい代物なのに、エレインの目の前には、まだみずみずしく花を咲かせるバーチナイトがささやかな花束になっているのだ。


 バーチナイトがあれば、質の高い睡眠薬を作ることができる。

 駐屯地には気が高ぶってうまく眠れない兵士も多いので、睡眠に作用するものなら毒でも薬でもたくさんほしい。


「なるほど、薬にもなる毒なのか。それでは許可しよう。護衛も付けるよ」

「ありがとうございます!」

「これからも励みたまえ」

「はいっ」


 *


 それから二日、待ちに待ったバーチナイト採取の日がやってきた。

 朝早く起床したエレインは、前日のうちに整えた道具を手早く装備した。


 鋏にスコップ、紐、方位磁石、採取場所を記録するための地図に筆記用具、雨具、携帯用小型ランプなど、たくさんの道具を詰め込んだ鞄を背負う。

 さらに虫かごを左手に、右手には目の細かい虫取り網を持てば準備完了だ。


「まるで遊びに行く少年のようですね」

「こう見えて、これが師匠直伝の探索装備なんですよ」


 見送りのロザリーに手を振って集合場所へ向かう。

 今日の同行者や移動用の馬で賑わうそこに、なぜか軍医ジラウド・シャリエの姿があった。


「おはようございま、す……」

「…………」


 ジラウドの姿を認めて驚いているエレイン同様、ジラウドもエレインの姿を見て驚いているらしい。頭のてっぺんからつま先まで、無言のまま視線が二巡ほどする。それからすっと視線を逸らし、声を張り上げた。


「そろったな。準備が整い次第すぐに出発する」

「はっ」


 しかも、場を仕切っている。みんなが言うことを聞いている。

 エレインは傍らのギャリーに耳打ちした。


「まさか、今日って……」

「軍医殿も一緒に行くそうっすよ」


 エレインの視線の先にいる人物を見てギャリーが頷いた。エレインは頭を殴られたような感覚がしてふらつく身体を虫取り網の杖で支える。


「軍医と薬師が同時に抜けるのはまずいのでは……?」

「バーチナイトは麻酔にもなるから、俺も行く」

「ひえっ」


 思っている以上に側から低い声が響いて、エレインの肩がびくりと震えた。

 振り向けばジラウドの青い瞳がエレインに向けられている。思わず、少したじろいでしまった。


「で、ですが、どちらかはここに残っていた方がいいかと。私は後日でもかまいませんので……」

「何度も隊を調整できない。早く馬に乗るんだ。行くぞ」


 ジラウドの言葉にエレインは唇を噛む。

 確かにこのご時世、エレイン一人での遠出は心許ないし、そもそも単独行動は許可されない。

 けれど誰かと一緒にというのも、気軽にできることではない。

 ここにいるのはみな軍人。そして今は、非番はあっても休日はないような状況下だ。

 上官の許可を得て、その命令として同行してもらう形しか取ることができない。


(確かにそんなこと、気軽に何度も頼めないけども)


 納得できるようでできない気持ちを抱えながら、エレインは馬装された馬の元に向かった。


 今日の同行者はジラウドにモントレー夫人、クリス、ギャリー、フェルナンだ。

 モントレー夫人は、女性がエレイン一人ではまずいだろうとのことで同行してくれることになったようだ。畑兵の三人はもう一度落ち葉を集めたいらしい。フェルナンはバーチナイトへの案内係も兼ねている。


 エレインを入れて六人。けれど馬装済みの馬は五頭だけ。

 しかも皆すでに各々の馬に跨がっていて、空いている馬はやたら巨大な青毛の馬しかいない。その傍らにはジラウドがいる。


(あれはどう見ても、ジラウド・シャリエの馬)


 つまり、エレインの馬がない。

 

「私の馬がいないようなので、急いで馬房に行ってきます」

「何を言っているんだ」

「え?」

「君はここだ。馬には乗れないだろう」

「えっ」


 ここ、と当たり前のように示されたのは、ジラウドの馬だった。

 言った直後、ジラウドはひらりと馬に跨がる。

 背の高い巨大馬だというのに踏み台なしで軽やかに跳んだジラウドに呆気に取られたエレインだったが、数秒後に我に返った。


(二人乗り!? しかもジラウド・シャリエと!?)


 そんなの、絶対に無理だ。

 今のジラウドに記憶がないと分かっていても、後ろから心臓を狙ってひと突きにされるのでは、などと考えてしまう。


「乗れます! 私、普通に乗れます!」

「……乗れるのか? ともかく、今日は五頭しか馬の用意がない」

「あっ、じゃあ、ギャリーの馬に繋がれている荷車で良いです!」

「あれは荷物用で、人間用ではない。振り落とされたいのか?」

「では……モントレー夫人に乗せてもらいます」


 エレインの声が聞こえていたのか、少し離れたところにいるモントレー夫人が頷いてくれた。

 しかし、ジラウドは首を縦に振らない。


「二人乗りに向かない馬だ」


 ああ言えばこう言うジラウドに、エレインは歯を食いしばる。

 けれど、確かにギャリーの荷車は人間が乗ることを考慮された形ではないし、モントレー夫人の馬は小柄だ。


 なかなか指示に従おうとしないエレインを馬上から見ていたジラウドは、しびれを切らしたかのように息を吐いた。


(なによ。そんなあからさまに嫌そうにするなら、最初から人数分の馬を用意しておけばよかったじゃない)


 きっと、前もこうして嫌われていたのだろうな、と思う。

 少し年上で、生まれ育ちが全く違う女相手には、たいそう気を張っていたことだろう。

 今はジラウドの方が持って生まれた身分が上で、夫婦でもないから、嫌いという感情を自由に表に出せるのだ。


「上官命令だ。ほら、行くぞ」


 それでも、エレインは差し出された手を拒めない。


(私は、今でも……)


 力強い手に引かれ、馬上に乗り上げる。普通の馬に乗るより高くなる視線に驚くより先に、どうしても背中越しの体温に意識が向いた。


(あなたが毒なんかで死なずに、あの後も長生きしてくれていたら良かったのにって、今でも思っているんだから)

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