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第351話 『経済調整金と、証人喚問の是非』

 慶応元年三月十二日(1865/4/7)


 約320万ポンドの賠償金であるが、これは本国に伺いをたてるとの返事であった。


 さらにガウワーは、賠償金ではなく『経済調整金』『経済復興支援金』を使うよう条件をつけている。

 

 経済調整金? 経済復興支援金?


 次郎は拒絶反応を起こしたが、イギリスの魂胆は明白であった。



 


 ・賠償金を支払った事実をつくりたくない。→特例であり調整金だ、と言えば他国に前例とはされない。国際社会におけるイギリスの地位低下を防ぐためでもある。

 

 ・賠償金を払えば、戦争責任がイギリスにあると認めてしまう。→調整金ならば責任の所在をあいまいにできる。

 

 ・戦争における被害は日本だけではない、と主張できる。→戦後の経済関係を回復するための措置。





 いずれにしてもイギリスの面子を保つためであったが、次郎はどうでもよかった。


 列強は実情を知っているだろうし、こんな言葉のあやはすぐに化けの皮がはがれる。





「さてガウワー殿、わが国は賠償金と表記せず、経済調整金と経済復興支援の名称で同意した。次は3名の証人喚問ですが、その件はいかがでしょう?」


 3名とは前駐日イギリス公使のラザフォード・オールコック、同代理公使のエドワード・セント・ジョン・ニール、現駐清国イギリス上海領事のハリー・パークスである。


 ガウワーはゆっくりと深呼吸をし、そしてゆっくりと息を吐き出した。言いにくそうにしているのは誰の目にも明らかで、困惑の色が浮かんでいる。


「申し訳ありません。その件は本国からの指示待ちの状態です。3名の証人喚問は非常に繊細な問題であり、慎重に対応せざるを得ません」


「……前回も賠償金の名称変更と分割払いの件で本国に伺いを立てましたよね? ガウワー殿、あなたにはどこまでの権限があるのですか? 前にも言いましたが、こんな状態ならいっそ外務大臣を呼んでください」


 次郎はため息しかでない。


 会談室の空気が張り詰めた。日本側代表団は、固唾を飲んでガウワーの反応を見守っている。イギリス側の書記官たちは、不安げに視線を交わし合っていた。


 やがてガウワーは両手を机の上で組み、ゆっくり話し始める。その手に現れる震えを抑えるのにガウワーは必死だ。


「Mr.オオタワ、ご指摘のとおりです。確かに私の権限の範囲が不明確で、交渉の進展を妨げていると認めざるを得ません」


 言葉を選びながら続ける。


「しかし、3名の証人喚問は極めて異例の要求です。特にパークス氏は清国での重要な任務に就いております。彼を呼び戻せば、清国との関係にも影響を及ぼす可能性があります」


「はあ……。副領事がいるでしょう? まさか大英帝国が清国に領事の補佐たる副領事を置いていないのですか?」


 次郎の鋭い指摘にガウワーは動揺が隠せない。一層重くなった会議室の空気のなか、イギリス側の書記官たちは息を潜めている。


「もちろん、副領事は配置しております。しかし……」


 ガウワーの言葉が途切れた。視線を泳がせてきょろきょろと辺りを見回し、何か言おうとするが、声が出ない。次郎は腕を組んで冷静に語気を抑えて続ける。


「しかし、何でしょうか。ガウワー殿。我々は既に譲歩し、賠償金の分割と名称変更にも同意しました。イギリス側も誠意ある対応を示すべきではないでしょうか。3名の証人喚問は、両国の関係を正常化する上で不可欠です」


 両国ともオブザーバーが控えていたが、日本側の席から小さな同意のつぶやきが聞こえる。イギリス側の書記官たちは、互いに不安げな視線を交わしていた。


 額の汗を拭いながら、言葉を絞り出す。


「Mr.オオタワ、こういった要求は前例がない。それをご理解いただきたいのです。外交官の証人喚問は、外交特権の問題や、国家間の信頼関係に影響を及ぼす可能性があるため、慎重な対応が必要です」


「当然ではありませんか。外交官が国家間の国交を壊し、あまつさえ戦争の原因となる事件に関与しているのです。前例にない対応が必要でしょう」


 次郎はガウワーの言葉を遮って手を上げ、『断言』した。


「Mr.オオタワ、ご指摘のとおり、この事態の重大さは理解しております。しかし、外交官の証人喚問は国家の威信にも関わる問題です。本国政府の慎重な判断が必要なのです」


「……わかりました! ではその答えがYesの場合のみ、会談を継続しましょう。では帰りましょう、川路様」


 そう言って次郎は、外国総奉行でこの会談の正使である川路聖謨を促して席を立ち、退室しようとした。冗談ではない。もうこれ以上議論しても仕方がないのだ。


 なにせ決定権がないのだから。


 そんな相手と話をしても時間の無駄である。


「待ってください、Mr.オオタワ。このまま会談を打ち切れば、両国の関係に取り返しのつかない亀裂が入りかねません」


 ガウワーの顔から血の気が引き、慌てて立ち上がって次郎の袖をつかんだ。


「まだ何か?」


 ガウワーは額に浮かぶ汗を拭いながら、必死に続ける。

 

「Mr.オオタワ、私の権限で最大限の努力をいたします。3名の証人喚問は本国に応じるよう強く進言し、できる限り早急に回答を得るよう尽力します」


「何を言っているのですか。それは当然でしょう? いまさら何を……。まさか日本はこう言ってきたからどうしましょう、などと、子供の使いのようなことをなさるおつもりか?」


「それはNOです! 私は本国政府の意向を正確に伝える責務があるのです」


「ではそうすればよろしい。その旨を伝えて、答えがYESなら会談を再開しましょう、と言っているのです。何が違うのですか。私が言っている意味は理解できますよね?」


 イギリス側も日本側も、このやりとりを固唾をのんで見守っている。日本側は次郎の毅然とした態度を誇らしく感じていた。


「Mr.オオタワ、ご指摘のとおりです。私の説明が不十分でした。本国に対して、3名の証人喚問について明確な回答を求めます。その結果をもって、改めて会談の機会を設けていただければと思います」


 次郎は冷静な表情でガウワーを見据えた。

 

「では、具体的にいつまでに回答をいただけるのですか? 曖昧な返事はもう結構です。本国まで急いでも1か月半から2か月はかかるでしょう。往復の期間と3名への伝達と日時設定。今年、1865年の9月1日から15日の間でどうですか? 4か月の猶予と調整で2週間あれば十分でしょう」


「Mr.オオタワ、ご提案の日程は非常に具体的で、ありがたく存じます。確かに本国との往復や関係者との調整を考えると、その程度の期間は必要かもしれません」





 こうして証人喚問の日程が決まった。


 しかしあくまで予定である。


 どこでひっくり返るか分からないし、日程を延ばしてほしいと要請してくることも考えられた。





 ■ロンドン 首相官邸


「……万事休す、ですね」


「うむ。こうなってはどうにもならないだろうな」


「今ここで代理公使の要望を却下すれば、日本は交渉のテーブルから離れるでしょう。賠償金の拒否、それはつまり継戦となり、野党を抑えることはできますまい」


「減額交渉も決裂し、これ以上引き延ばせば講和交渉自体も決裂するでしょう」


 



 パーマストンとラッセルの2人は肩を落としてそう結論づけた。





 次回予告 第352話 『レター・フロム・ジャパン』

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― 新着の感想 ―
9月終わるまでに必ず連れてこい、出来なかったら戦争再開だ 19世紀に入ってからブリカス相手にここまで強気な交渉というか最後通告突きつけた国は他の列強諸国でもないw 戦争再開は野党も議会が絶対に認め…
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