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第219話 『南紀派の開国・攘夷、一橋派の開国・攘夷』

 安政五年四月二十三日(1858/6/4) 江戸城 御用部屋


「各々方、井伊掃部頭直弼にございます。此度(こたび)大老という重責を担うこととなり、身の引き締まる思いにございますれば、今後より一層の皆様のご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」


 開国派と攘夷(じょうい)派、一橋派と南紀派、それぞれの思惑はともかく、直弼はおもな人員を集め、就任の挨拶をした。列席者は以下のとおりである。


 ※一橋派

 前水戸藩主・徳川斉昭(攘夷)

 実兄の水戸藩主・徳川慶篤(攘夷)

 越前藩主・松平慶永(開国)

 尾張藩主・徳川慶勝(開国・史実では攘夷)


 薩摩藩主・島津斉彬(開国)

 宇和島藩主・伊達宗城(開国)

 土佐藩主・山内豊信(容堂・開国)


 ※南紀派

 彦根藩主(大老)井伊直弼(開国)

 会津藩主・松平容保(開国)

 高松藩主・松平頼胤ら溜間詰の大名

 老中松平忠固(開国)

 紀州徳川家付家老水野忠央(開国)

 御側御用取次平岡道弘・薬師寺元真


 ※老中

 首座 堀田正睦(開国)

 脇坂安宅(開国)

 内藤信親(開国)

 久世広周(開国)

 松平乗全(開国)


「各々方に申し述べておきたき儀は一つのみにござる。(それがし)は開国、そして次の公方様は紀州様を考えております」


 意思表明ともとれる直弼のその言動に、万座がざわつき、一橋派や攘夷派からはあからさまに不満の声が上がる。


「然りながら、専横をするつもりは毛頭ござらぬ。方々と万機公論に決し決めて行きたいと存ずるが、議論紛糾し、いよいよもって決まらぬ時は、大老の権をもって決する事を得心いただきたい」


 松平慶永(春嶽)が一歩前に進み、穏やかながらも芯のある声で直弼に問いかけた。


「掃部頭(井伊直弼)殿、次の公方様に紀州様を推すというお考え、思い解く(理解)事能いまする。然れどそれは、一橋殿を退ける意図がおありとう事にございましょうや?」


 春嶽の問いは、場に重く響いた。彼の背後に控える徳川斉昭や慶篤もその言葉に注目している。一橋派にとって、慶喜の擁立は譲れない要件であり、幕府内の権力争いが熾烈(しれつ)になる中で、紀州派との対立が深まりつつあった。


「然に候わず。退けるもなにも、某は紀州様がふさわしいと思っているだけで、一橋殿を如何(いか)にいたすかなど、考えも及びませぬ」


 直弼は冷静に切り返したが、その言葉は場の緊張を和らげるどころか、かえって空気を重くしたようだった。春嶽は直弼の目をじっと見つめ、さらに踏み込む。


「掃部頭殿のお考えしかと承った。然れど紀州様を推すという事は、その挙げ句一橋殿を退けるという事にございましょう」


「春嶽殿、ご指摘ごもっともにござる。然れどそれは公論の後の果にすぎませぬ。某の考えは、あくまで紀州様が現下の情勢に最も適任であるという判によるものじゃ」


 直弼の言葉は冷静であるが、その背後には固い信念が感じられた。だが春嶽も一歩も引かぬ態度で、視線を逸らさずに応じた。


「公論に委ねるとしても、決してその結果が全てを解決するとは限りませぬ。今、幕府を取り巻く情勢は外敵の圧力のみならず、内に潜む不安も増すばかり。血筋や安定という点を重んじられるお考えも理解いたしますが、果たしてそれが全ての問題を克服できるものでございましょうか?」


「これは異な事を承る。某、独断を好みませぬ。専横など傍若無人も(はなは)だしい。ゆえに万機公論を(もっ)て議論をつくし、全て得心にいたらずとも、それに近い形で果を得る事こそ、天下万民の為になると存ずるが、公論の結果が全てを解かぬとは、某に大権をもって政を行えと仰せなのか?」


 春嶽は直弼の言葉を受け、一瞬目を閉じて深く考えた後、再び口を開いた。

 

「掃部頭殿、万機公論の重しは某も十分にわかっております。然りながら申し上げたいのは、公論の果を待つ間にも、刻一刻と情勢は変化しているということです。大権をもって政を行えと申し上げているのではなく、むしろ、公論を進めながらも、同時に迅速な対応ができる体制を整えることが必要ではないかということです」


 直弼はふう、とため息をついて答える。


「仰せの意味がようわかりませぬ。次の公方様は誰がよいかの話が、公論の良し悪しになっておる。要するに、万機を公論しつつ吃緊(きっきん)の問題については時期を逸するゆえ大権を以て事にあたれと?」


 春嶽は直弼の言葉を静かに受け止め、少し間を置いてから答えた。


「井伊殿、誤解なきよう、申します。決して大権を濫用し……」


「長い! つまるところ、何が仰せになりたいのだ?」


 春嶽は一瞬言葉に詰まりながらも、直弼の急な割り込みに動じず、短く端的に答えた。


「井伊殿、要するに、議論を進めながらも、今この瞬間に刻一刻と変わる情勢に迅速に対応する仕組みが必要だということです。公論に頼りすぎ、事態に遅れをとることを避けねばなりませぬ」


 ……。


「要するにこういう事でござろうか。次の公方様を決めるのは確かに重し題目であるが、一番ではない。議論を進めつつ、吃緊の問題を解決すべく迅速に議論し決めるべき、と?」


「然に候」


「ならば答えは簡単じゃ。某が一人、大権を以て決めれば良い。これですぐに答えが出よう。その良し悪しは後の世の者が決めれば良い。やってみなければわからぬのだ。三人でもよい。その数が多くなればなるほど、決めるまでに時がかかる。それだけではございませぬか? 速やかに決める仕組みなど、それしかあるまい」


 春嶽は直弼の挑発的な言葉に冷静なまま、わずかに表情を固くしつつ答えた。


「井伊殿、そうではありませぬ。確かに一人、あるいは少数の者で決めることは迅速かもしれませぬが、然様な専断が長く続けば反発を招き、かえって混乱を広げることになりかねませぬ。それを避けるためにも、万機公論の精神を保ちつつ、議論を急がねばならぬと言っておるのです」


(おびただしき煩わしや……※くそ面倒くせえ)


 直弼は聞こえないようにつぶやいた。


「井伊殿、今なんと?」


「いえ何にも、さあ議論を続けましょう」





「掃部頭様、よろしいので? 収拾がつきませぬぞ? 数名の老中の方々のみで政を行った方が良いのではありませぬか?」


「然様な事はわかっておる。あくまで今は、じゃ。どのみちわしが大老になった時より大勢は決まっておる。開国は無論の事、次の公方様は慶福様じゃ。誰が何と言おうとな。それは決まっておる」


「と、いいますと?」


「大老のわしが全てを決め、他を無視したとなれば風当たりも強くなろう。様々な面で障りも出ようというもの。表向きは万機公論でよいのよ。……そのうち春嶽も斉昭も、島津に伊達に山内も、問題を突きつけて失脚させればよい。逆にこちらの醜聞には気をつけるのだぞ。よいな」


「ははっ」


「一人、また一人と抜いていけば良いのだ。然すれば誰にも(はばか)ることなく、政を行えよう」





 史実とは違った形の、井伊直弼の大獄が始まったのだろうか。





 次回 第220話 (仮)『第十四代将軍、徳川慶福に内定す』

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