〜悪役辺境伯はバッドエンドだけは回避したい〜
「女神などおらん!その存在あるならば、私が首を掻き切ってやるものを!」
降りしきる雨と轟く雷鳴はどちらも叫びに応じるようにいっそう激しくうねり、落ちる稲妻は木々を燃やす。
「ローヴ様!」
「ああ、女神様!どうかローヴ様をお救い下さい」
「リリーナ下がれ!」
白銀の鎧を身に着け細ぶりの剣を掲げる、いかにも騎士然とした青年はこの国の王子であるレオナス。
その傍で両手を組み祈りを捧げる少女は女神の使い、この国では聖女と呼ばれる者。聖女が祈りを捧げれば荒野は芽吹き砂漠には水辺が現れる。清き心正しくあれば雲から聖獣が現れ、この国をより良く導く。そんなでたらめな存在であった。
「祈りなど下らん!女神は誰も救わぬ!」
立ち込める暗雲から響く咆哮は黒竜の叫び。
姿なき黒竜が凄まじい魔力を練り、吐き出された黒炎は稲妻を伴い城へと落とされた。それは王子レオナスの身を燃やし、そしてまた、女神への怒りを叫ぶ男の身も同様であった。
黒き鎧を身に着けた白髪の男。名を、ローヴ・トルマー。
愛を知らぬまま生涯の幕を閉じ、後世長きに渡り悪魔と記される事となる辺境伯であった。
「そう、竜に討たれて死んじゃうんだよね」
紛れもなく自分から出た呑気な声はハスキーで、思っていたより更にいい声なんだと驚いた。
窓ガラスにうつる自分の姿も同じだ。体格はかなりがっしりしていて、顔立ちだって思っていたより精悍で真面目そう。だけど今は不安そうにも見える。いや、それはそう。不安でしかないのだから当たり前だ。
「は〜ぁ。参ったなぁ」
目が覚めたら別の誰かになってたら、なんて空想は誰だってしたことがあると思う。
勇者になってお姫様を助けてみたい。冒険者になってドラゴンの背中に乗ってみたい。異世界で美味しいものを広めてみたり、魔法を使いたい、魔王様と恋がしてみたい。
『私』もそんなお話を沢山、そう、文字通り沢山読んではそのたびに笑ったり泣いたり感動したり、ありきたりだけどこんな風に異世界に行けたらいいのになんて想像したりもしていた。
贅肉がついても落ちにくい。そんなアラフォーにもなって恋人に振られ、仕事に没頭しては後輩に煙たがられていた『私』にはスマートフォンひとつあれば楽しめる娯楽、異世界ものの小説、マンガ、そしてソーシャルゲームが本当に、本っ当になによりの楽しみであり癒やしだったのだ。
なにより現実ではないからこそ、掛け離れた世界だからこそ、『私』はあーだこーだと言いながら楽しむことが出来ていた。
だと言うのにこれはなに?
ガラスにうつる姿はさっきから変わらない。
精悍で真面目そうで身体つきのがっしりした、白髪の、いかにもオジサマといった風貌。アクアマリンに似た薄くて柔らかなブルーの瞳はやっぱり不安げだけれど、本来こんな表情は決してしないことを『私』は知っていた。
「転生したら乙女ゲームの世界でしたってか…?しかもユーチカ王国の辺境伯…」
不安だけじゃなく苛つきと困惑にずきずきと痛みだすこめかみをぐっと抑えて、私は思い出せる限りの記憶を改めて引っ張り出す。
《聖女リリーナと魔法の王国》と題した乙女ゲーム。
豊かな国ユーチカ王国に現れた聖女リリーナが教養や冒険を重ね、そして出逢った個性豊かな面々と絆を強め、最後は恋を実らせる、といった王道女性向け恋愛ゲームだ。
作品自体は2まで出ていたが、その後は制作会社ががっつり吸収されてしまい据え置き機での続編…どころか乙女ゲームの新タイトルが出ることはなかった。
それが!一昨年突如呟きアプリで公式アカウントの設立、そしてキャラデザ新たにソシャゲで復活したのは記憶に新しい。既存キャラから新規の王子、そして掘り下げストーリーの数々…イベントでの謎システムもご愛嬌と程々に課金しつつプレイしていた。
恋に魔法に、そんな世界に。確かに私は焦がれていた。
「だからって悪役辺境伯ローヴになりたいとは言ってないんだよなあ!」
ばんっ!と思い切り叩いてしまった上等そうな机は、もしも意思があったなら骨折の一つ訴えてくるかもしれないがそんなもん知ったこっちゃない。
やっぱり女神なんかいないんだ!!
ふんわり『異世界』を望んだだけで、私は『オジサマ悪役辺境伯』になりたかったわけじゃない!!
これから先どうしていけば良いのか。
ぐしゃぐしゃと髪をかき乱す私をドアの隙間からひっそりと執事たちが心配そうに覗いていることなど知らず、私は再びがっくりと肩を落とし、深い深〜いため息を落としていた。