15 幸せ
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「顔色よくなったわね。四葉」
「ああ、莉奈さん。今日も見舞いに来てくれてありがとう」
「なーに? もしかして、幸ちゃんかと思ったの?」
病室を訪れた莉奈さんは花瓶に生けてあった花を、新しいものに変えながらそう言った。いつの間にか、幸のことを「幸ちゃん」と呼ぶようになった莉奈さんを見て、幸と何かあったのかなあ、何て一人で想像を膨らませていた。何かあったのかと聞けば、「女の子の秘密だから」とはぐらかされてしまった。
「そんな、莉奈さんが来てくれるの嬉しいよ」
「またまたぁ、そんなこと思ってないくせに」
「本当だよ。莉奈さんは、僕の姉みたいな存在だから」
「姉、ねえ……」
少し悲しげに言った莉奈さんは、もしかしたらまだ引きずっているのかも知れないと思った。莉奈さんに告白されてその思いには答えられないと僕はいった。僕にとって莉奈さんは辛かったときに隣で慰めてくれた、家族のようなものだから。恋愛感情とはまた違うもの、親愛を抱いていた。
比べるわけじゃないけれど、莉奈さんの頼りになる格好いい性格とは違って、幸は振り回してくれる強引さがあった。純粋で、楽しいことを楽しいと言えるそんな日だまりみたいな性格に僕は惹かれたんだろう。
莉奈さんは、林檎を剥いて僕の膝の上に置くと、近くにあった椅子を持ってきて腰を下ろした。
「悪化はしてないんだって?」
「うん、まあ。でも、退院は出来そうに無いなあ。先生も驚いていたけど、奇病の進行が遅くなったって。幸せだって今生きているだけでも思うのに、不思議だなあって思ってる」
「まだまだ、解明されていないことが多いものね」
と、莉奈さんは遠くを見た。
あの後、幸の肩を借りながら僕の家に戻り莉奈さんを呼んだ。こんな形で、自分の家に幸を上げる事になってしまったことはかなり痛かった。もっと部屋を綺麗にして、幸が来てもいいようにって準備出来ていればよかったけれど、それもかなわなかった。でも、幸は何一つ文句も顔色も変えずに、僕の心配をしてくれた。
抱きしめたい気持ちに駆られたけれど、腕に力が入らなくて、それはかなわなかった。ただ、幸がそこにいてくれることだけを噛み締めて、僕はやってきた莉奈さんに連れられて病院に戻ってきたのだ。
相変わらず、身体の怠さや、痛みは抜けないものの心は憑き物が落ちたように軽くなっていた。それもこれも、幸や周りの人の支えがあったからだと思う。
「莉奈さん」
「何? 四葉」
「僕、長生きできるかな……いや、したいな。して、シフォンケーキを田代さんのカフェで出したい」
「そうねえ。そういえば、幸ちゃんがね、田代君にシフォンケーキの作り方教えて貰ってたわよ」
「ええ、田代さん僕に先に教えてあげるって言ってたのに」
僕がそう肩を落とせば、莉奈さんはクスクスと笑っていた。
でも、幸が料理を作っている姿を想像するだけで頬が緩み、いつか幸の作ったシフォンケーキを食べさせて貰えればなあ、とも思った。二人で作るのも良いかもしれない。
退院は出来そうに無いけれど、一日ぐらい家に帰ることが出来たら、その時にでも一緒に何か作れば良い。話すだけでも幸せだ。
「私、この後仕事があるから行くわね。また顔見せに来るから、その時は嫌な顔しないでよね」
「嫌な顔なんてしてないよ。莉奈さん、いつもありがとう」
「可愛い『弟』の顔見たいって思うのは当然よ。じゃあね」
と、莉奈さんはいって病室を出て行った。
初めて「弟」何て言われて吃驚したけれど、莉奈さんも莉奈さんで前に進んでいるのかも知れないと思った。
僕は、爪楊枝で林檎を刺して口に運ぶ。甘酸っぱい蜜が口の中でじんわりと広がっていく。シャキシャキとした咀嚼音が静かに響いた。飲み込むのには時間がかかったが、ゆっくりと噛んだ林檎を飲み込み息をつく。
個室で、僕以外には誰もいない病室は、莉奈さんがいなくなった途端急に寂しくなった。窓の外の景色も代わり映えなく青い空が広がっているばかりだった。悠々と漂う雲は形を変えながら流れていく。そんな雲を目で追っていた。
奇病患者の入院は珍しいことではないらしい。だが、自分の奇病、変わっていく姿に耐えられなくて自ら命を絶つものもいるそうで。今でも奇病患者の自殺絶えない。治る見込みがないため、人生を諦めている人が多いのだろう。
僕も初めはそうだった。
(幸がいてくれたから、生きようと前向きになれた……)
僕の「幸せ」が行き着く先は死かも知れない。幸せを感じれば感じるほど、死に近付く。だから、幸せにおぼれ死ぬより、自ら幸せを抱いて死んだ方がマシだと思っていた。でも、幸がそれを止めてくれた。
彼女は一緒に未来を考えようと行ってくれた。その先に何があっても、二人で選んだ未来なら、それは幸せだと、小さな手で僕の手を包んで言ってくれ。
幸の覚悟を、僕は受け止めて、僕も覚悟を決めれた。幸せになる覚悟を。
ようやく、ここから僕の人生が始まると思った。小さい頃から止っていた自分が、ようやく大人の階段を上りだしたと。凄く遅いけど。
そんなことを考えているとスゥ……と扉が開いた。甘いメープルの匂いが病室内に広がる。
「ありがとう。今日もきてくれて」
僕は振返って、大好きな人にそう微笑んだ。




