14 進路
「それで、何? 話って」
「……進路の話。お母さんとしなきゃいけないって思って」
静かに椅子を引いて座ったお母さんは、私の顔を不思議そうにのぞき込んだ。いつもの冷たい表情ではなく、少し柔らかい感じの、でも少し強ばった表情だった。
お母さんと話すのは久しぶりだった。
自分でも緊張しているのが分かった。震えた拳、渇いた喉、視線を合わせられない。
お母さんとお父さんが離婚してもう数年経つが、そこから私の人生は変わってしまったと、不幸になったと思っていた。
何でも出来るお母さんに憧れていた。優しいお父さんに憧れていた。だから、お母さんに引取られて、そんな憧れの人にもめて貰いたかった。その一心で勉強だって頑張った。苦手なスポーツにも取り組んだ。でも、お母さんは見向きもしてくれなかった。
だから私は、他の人に愛される自分になろうと思った。愛に飢えていたんだ。
愛されることが、幸せなんだと思うようになっていた。お母さんに愛されない自分を何処かで満たそうとしていた。
そんなかわいそうな自分にしたお母さんが許せなくて、口を利かなかった。元から何も会話もない関係だったから、何も変わらなかった。でも、心の中では、いつかお母さんとちゃんと話せるようになりたいと思っていた。
「進路の話? 行きたい大学、見つけたの?」
「……う、うん。これ、この間見てたパンフレットなんだけど」
お母さんがそう尋ねたので、私はこの間のパンフレットをお母さんに手渡した。お母さんはパンフレットを開いてパラパラと目を通した。この大学は、新しく出来たばかりだが、それなりに評判がよく、偏差値も高い。今の私じゃ補欠合格が貰えるかも怪しい。
一通り目を通し終わったお母さんはパンフレットを閉じて私を見た。黒い二つの瞳が私を捉える。ゴクリと固唾を飲み込んで私もお母さんの目をしっかりと見た。
「ここの大学行きたいの。学びたいことが出来たの」
「そう、でも大丈夫なの?」
「べ、勉強が追いついていないのは自分でも分かってる。だから、お母さんが言ってくれた塾、行く」
「そう……」
お母さんはそう言うとふぅ、と息を吐いた。
それは、肯定か、否定か分からなかった。私はお母さんの次の言葉を待った。
「別にこんなこと言わなくてもお金は出すわよ。大学は出ていた方がいいしね」
と、返ってきた言葉は冷たいものだった。
いつもなら、ここで私がキレて話が終わっていただろう。でも、私はもう逃げないと決めたのだ。
「親と、親とちゃんと話し合わないといけないって先生が言っていた。学費のこともそうだけど、しょ、将来のこととか。全然お母さんと喋れてなかったから。私、ちゃんとお母さんと話さないとって思ったの」
「幸……」
「恥ずかしかったから言えなかったけど、私、お母さんに憧れてたの。好きだった。でも、お母さん見てくれないから、寂しかった。だから、キツい言葉とかかけちゃったりした」
こんなこと言って怒られないかと私はヒヤヒヤした。でも、目はしっかりとお母さんの方に向けて、最後まで言葉を言い切る。お母さんの瞳孔が少し開いた。
何て言葉が次飛び出してくるか、私は予想が出来なかった。
「貴方、そんなこと思っていたの」
「う、うん。思ってた」
「……そう」
お母さんは言葉を探すように視線を宙に漂わせた。言葉は短かったけれど、いつもの冷たい無関心な「そう」じゃなかったのを、私は聞き逃さなかった。
そうして暫くお母さんは言葉を探し、それからもう一度私を向き直った。私の背筋は伸びて、肩に余計な力が入る。
「はい」
「……離婚したこと、貴方を独りぼっちにした事、怒ってる?」
「え?」
私の反応に、お母さんは微動だにしなかった。全て受け止める、そんな意思が伝わってくる瞳に、私は口を金魚のようにパクパクとさせるしかなかった。
怒っているか。その答えは、ノーだ。独りぼっちだったけれど、お母さんなりの配慮はそこにあった。周りから見れば、育児放棄だったかも知れないけれど、お母さんは見捨てなかった。
きっと不器用だったのだ。
私は首を横に振った。お母さんはそれを見て少し安心したのか、話を続けるために口を開いた。
「お父さんにね、貴方の事を任せっぱなしだったの。私は仕事が好きで、貴方よりも仕事を優先させてしまった。母親として失格だったわ。でも、それを認めたくなくて意地を張っちゃったの。お父さんを追い込んだのは私。離婚を言い出したのは、お父さんがそれで楽になると思ったから。私にだって育児ぐらい出来る……そう思って言い出したの。でも、難しくてこんなに大変だったなんて知らなかった。私は、お父さんに甘えていたのね」
と、お母さんは過去の自分を責めるように、そして今の自分を恥じて懺悔するように言う。
確かに、お母さんはプライドが高い人だった。だから、育児も仕事も両立できると言ったのだろう。お父さんを楽にさせたあげたかったから離婚、それも不器用なお母さんが出した答えだった。
「ごめんなさい、幸。私は、貴方を幸せにしてあげられなかった。本当にごめんなさい。貴方からこんなことを言われるなんて思ってもいなかったわ……だから、本当にごめんなさい」
それはまるでここで終わり、と言っているようだった。まだ始まってすらいないのに。
私は、何処かまだプライドが邪魔して本音を言えていない、頭を下げたお母さんを見つめた。でも、私が同じ立場だったとしても、きっと同じ事をしていただろうと思う。
お母さんが、じゃなくて私がお母さんに似ていたんだ。
(お母さんの気持ちはよく分かった。これから向き合っていけばいいだけ)
家族は生きている限り再構築できると私は思う。だから、一歩ずつでいいからこれから話していければと思っている。大丈夫、まだ時間はある。
「お母さん、顔を上げて」
そう言えばお母さんはゆっくりと顔を上げた。眉間に皺を寄せて、目の周りを少し赤くしていたお母さんの顔が私の目に映る。
「……幸」
「幸せにしてあげられなかったって思っているなら、今らかでもいいから私といっぱい話して欲しい。お父さんとも話したいから、時間があるとき、一緒に話そう。三人で。今からでも遅くないと思うから」
「そう、ね。でも許してくれるかしら」
「結果ばかり見るの、お母さんの悪い癖だよね。結果じゃなくて、過程が大事なの。私、それ学んだから」
「そう。幸はいつの間にか大人になったのね」
と、お母さんはか細く笑う。
お母さんって笑えたんだと思いながら、私はギュッと唇を噛む。鼻から酸素を吸って肺にためてから、吐き出した。
「そうだよ、大人になったの。後、さっきの話。大学のこと、応援してよね」
まだ何処か子供じみたその言葉に、お母さんはさっきよりも表情を柔らかくして笑っていた。




