12 幸せな二択
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ずっとあの日から考えていた。何で僕だけ生き残ったんだろうって。周りは不幸になったんだろうって。その答えは、小さかった僕には到底出せるものじゃなかった。あの頃の答えは、今も出ていない。
(来週から入院生活が始まるし、田代さんに挨拶と……それから、この景色を目に焼付けなきゃな)
桜はもうとっくに散ってしまった。残った少ない花びらは、目の前を流れる川に浮かんでほんのりピンク色に染めている。日差しは温かいのに、吹き付ける優しいそよ風は冷たかった。
橋の手すりを伝いながら向こう側へと歩く。自分の足が僕の言うことを聞かなかった。右足、左足と一歩ずつしか、前に進めない。もう走ることは出来ないかも知れない。検査で、骨もボロボロになっていて、足の指が折れているものもあったとか聞いた。色んなところが痛むから、何処の痛みかなんて僕にはもう分からなかった。
この痛みを抱えながら、あとどれぐらい生きられるか。医者は数年が限界だと言った。このまま「幸せ」を感じ続ければもっと酷いことになると。
初めは表面に傷が出来るところから始まったのに、今では内部にも異常が出ている。内臓に穴が空いたり、癌のような腫瘍が出来たり。摘出するのには莫大な費用と時間を要すると言われた。それに、手術に耐えられるほど、僕の身体は強くないと言われてしまった。もう、余命宣告されたようなものだった。
これから、自分はだんだん弱っていって死ぬのかと。あの日死ねなかった僕に、ようやくその「死」が目の前までやってきた感じだった。実感はない。でも、手が届く距離に死がいると感じていた。
死んだらどうなるんだろうか。
そう誰もいなくなった病室で一人悶々と考えていた。痛いものなのか、それとも眠るように安らかなものなのか。
家族の死に顔は拝めなかった。あの一瞬で全てが終わった、散ってしまったから。
(でも、今死ねたら、幸せを抱えたまま死ねるのかも知れない)
死なんて安いものじゃない。簡単なことじゃない。それは分かっている。死んだ後の周りのことを考えると、不幸をばらまいてしまうんじゃないかと言うことも。
「……幸は、何て言うかな」
あの子は、また来ると言って病室を出て行った。彼女が何て答えを出すのか僕は考えた。でも、幸のことはまだ分からない。この間までは子供のように無邪気だったのに、何処か色気づいて目で追ってしまうぐらい綺麗になった。髪型を変えたからだろうか、それとも服を変えたからだろうか。いいや、どちらでもあって、ない気がした。もっと根本的に変わったのではないか。
僕と出会う前の幸がどうだったかは分からないけれど。きっと変わったに違いない。
「会いたいな……でも、会わせる顔がないんだよな」
弱った僕を見せたくない。彼女は優しいから、きっと悲しんでくれる。そう勝手に幸を理想化している。もしかしたら、別れるといわれるかも知れないけれど。
でも、どっちにしても彼女との時間は長くないような気がした。
僕は、橋の下を見た。底の見えない青緑色の川。吸い込まれそうなそのエメラルドグリーンは僕に手招きするようだった。ここから飛び降りたら、エメラルドグリーンのその先に行けるだろうかと、僕は少し身体を乗り出した。錆び付いた手すりが手のひらを赤茶色に染める。
そうして、上半身を乗り出せば、誰かに背中を押されたように手すりから乗り上げそうになった。
落ちる。
そう思った瞬間ぐいっと後ろに引っ張られる感覚がして、僕は尻餅をついた。
「何してるの!」
「……幸?」
顔を上げる暇もなく目の前から誰かに抱きしめられ、僕の手は伸びたまま掴めない空気を切る。指が上手く曲がらなかった。落ちるかも知れないという一時的な恐怖が身体に残っている。でも、それよりも温かくて、安心する温かさがそこにあった。
(このシャンプーの匂い……幸だ)
僕の手はようやく彼女の背中に落ち着いた。
顔を見なくても、先ほどの声と、匂いと温もりで誰かが分かってしまった。何で彼女がここにいるのか。学校にいるはずじゃ無いのか。ああでも、彼女は部活動をしていなかったなあと、ぼんやりと頭が回り始める。
もしかしたら、僕が見せている都合の良い夢かも知れないと。
「幸、僕さ……このまま、今の幸せを抱いて死ねたら、すっごく幸せだと思ったんだ。でも、落ちるって分かった瞬間、ちょっと怖くなっちゃって。可笑しいよな……本当は、あの時、家族といっしょに死ぬことが出来ればって思ってたんだ。ずっと、ずっと」
夢でも現実でも良い。そう思ったらそんな言葉が口から出ていた。彼女に聞いて欲しいのか、それとも、ただその言葉を言いたかっただけなのか。自分でもよく分からなかった。
でも、今はいたこと場は本当だ。本音だ。
「……ずっと、自分が生き残った意味を探してた。周りがどんどん不幸になっていくのに、僕は優しい人達に囲まれてた。僕を可哀相だって慰めてくれた。でも、そんな慰めがちっとも嬉しくなかったんだ。幸せにしないでって、そう叫びたかった……皆の分まで生きてって、そう言われるのが辛かったんだと思う。周りの不幸から目をそらして、自分だけ幸せになるのが許せなかったんだと思う。でも、結局僕は……幸せになるのが怖かったんだ」
幸せが痛かった。
奇病の症状のことじゃなくて、幸せになっていいのかと。その資格はあるのかと。家族がいなくなって、笑っていても良いのかと。
怖かったんだ。幸せにして貰うのが。
自分の中に閉じこもって、周りの優しさを受け流して。今思えば馬鹿だったと思う。
幸せって言う単語は、温かくて優しいものなんだって、教えて貰ったから。だから、今度は死ぬのが怖くなった。
今の幸せを抱いて死ぬか、幸せに埋もれて死ぬかの二択だった。
「僕、十分幸せなんだよ。幸」
「なら……」
「うん?」
「勝手に死のうとしないでよ。四葉さんが今言ったのって、自分が楽になる方法じゃん。幸せだって言ってくれるなら、私に幸せにして貰ったって言うなら、今度は私のこと幸せにしてよ!」
肩口で泣かれ、叫ばれようやく僕はこれが現実だと分かった。そうして、次の瞬間温もりが離れていき、僕の頬に痛みが走った。




