10 生きてください
四葉さんが倒れてその日、緊急手術を受け病室に戻された四葉さんの顔は真っ白になっていた。花が色あせたように、その色を失っていた。冷たくなった肌に触れるたび、生きているのかわからなくなった。
生きていて、お願い。
そう何度も心の中で祈った。その日は、珍しくお母さんが迎えに来てくれた。お母さんは私に恋人がいたなんていらなかったようで、驚いたが、もっと驚いたのは大人で奇病持ちだったこと。奇病持ちだからと、嫌悪している感じはなかったが、初めて見るそれにお母さんは困惑していた。お母さんたちの世代は、まだ奇病なんてものなかったから驚くのも無理なかった。
それから、一度家に帰ることになったのだが、気を利かせてなのか、お母さんは「今日はゆっくり休みなさい」と声をかけてくれた。ゆっくり何て休めるわけがないと、悪態をつく気力もなくて、私はそのままベッドに倒れ込んだ。明かりのついていない静かな部屋に私は解けてしまいそうな感覚に陥る。このまま溶けてしまったら、辛いとか悲しいとか忘れられるのかなと一瞬思ってしまった自分を殴りたい。
でも、四葉さんがあのまま目覚めなかったらと思うと気が気でなかった。眠れるわけがない。
水族館デートで最後にしようと思った。別れるわけじゃないけど、こうやって頻繁に会うのはやめようって思った。四葉さんに甘えている自分がいたから。このままでは、四葉さんを苦しめるだけだからと。
だけど、最後がそういう意味で最後になってしまった気がした。こんなはずじゃなかった。四葉さんも元気そうだった。だから、目の前で倒れた四葉さんを見て頭が真っ白になった。私のせい? 私のせいなの? そうやって、頭の中で誰かが言う。
私のせいだって。
私は覚悟が足りていなかったのかもしれない。こうなるかもしれないって想像できていなかった。だから、目の前で倒れた四葉さんを見て、もうダメかもしれないと勝手に諦めてしまっていた。四葉さんが奇病は発症した理由を聞いた。家族を失ったからだと、周りが不幸になってしまったからだと。だから、自分は幸せになっちゃいけないと、四葉さんは言っていた。
そうして、ようやく幸せになってもいいかもしれないと前向きになったところで、奇病が襲い掛かってきた。
「何で言わなかったの」
「何のこと?」
「奇病、悪化してたこと。もう、危ないかもしれないってこと。何で言ってくれなかったの」
田代店長や、莉奈さんが出て行って二人きりになった時、息のつまるような重苦しい空気が流れていた。本当にコンクリートの中に埋められているみたいな、身動きできない息苦しさ。
私はそんな中、四葉さんに尋ねたのだ。
四葉さんは、申し訳なさそうな顔をして、私に一言「ごめん」といった。何に対する謝罪か分からなかった。迷惑かけたと思っているから? それとも、悪化したことを言わなかったから? 何に対するごめんかさっぱりだった。そう考える冷静さは私にはなかった。
「言ってほしかった。だって、私は四葉の恋人だもん」
「君に背負わせられないよ」
背負う。その言葉は重かった。ずっしりと私の頭に、肩に、全身にのしかかってきた。重たい。重たい言葉。何も知らない、子供の私にはわかりえない言葉だった。
背負うこと。
何を背負うのか。
命を背負うのか、人生を背負うのか。四葉さんと付き合うには、たくさん背負わなきゃいけない気がした。でも、それでも私は隣にいたいとそう選んだんだ。
「四葉は何か勘違いしている」
「え?」
「恋人って対等なものじゃない。勝手に一人で決めないで。確かに、命がかかわってくることだし、私のせいでそうなっているなら、離れた方がいいって思った。でも、離れられないぐらい好きなの。それが、四葉に分かるの?」
「幸?」
四葉さんは何のことか分からないと、私を見た。答えが知りたい子供のように私にすがる目。
ああ、結局私も四葉さんも互いのことを理解しきれていなかったんだなと自覚した。
だから、そこに壁がある。価値観だったり、考え方。もっと深いもの。
私は、考えをまとめるために席を立つ。
「ごめんなさい。今日はもう帰ります。また来ますから、絶対に生きていてください」
生きていてください。
私がちゃんとあなたと向き合えるようになるまで、この答えを出して、互いに理解しあえるまで。
私には、四葉さんが辛いって見てわかる事はできるけど、四葉さんがどれだけ辛い蚊は理解できない。言ってくれない。いっつも我慢して、何も言わない、それが優しさだと思っているんだろう。
私も、お母さんみたいに冷たいところがある。自分さえよければいいところがある。それと同じように、四葉さんも幼少期に家族を失って、何欠けているんだろうと思った。それが何かは分からないけれど、少なくとも遠慮する事。あの時見せた、四葉さんのわがままを聞いて、もっとそうやっていろいろ言って欲しいと思った。
私は、そうやっていつの間にか、愛されたいから、愛したいに変わっていたんだ。
私を変えたのは四葉さんだ。
「よし……」
頼ってばかりで申し訳ないと思いながら、私は病院を出て、明日このことを相談してみようと一歩踏み出した。