06 向き合う勇気
「ただいま」
玄関を開ける。すると、そこにはお母さんの靴があった。早帰りにでもなったのだろうかと思いながら、私はスマホの電源を入れる。
四葉さんからの水族館デートのお誘い。四葉さんから誘ってくるのは初めてだったため、嬉しい反面、いいのかな? と心配にもなってしまう。私のデートが楽しくないならそれでもいいけど、楽しいって思ってくれるなら、それは幸せを感じると同じことだと思う。だから、すごく心配でもあった。
でも、せっかくのデートを断るわけにもいかなくて、私はすぐにオッケーと返事をする。土曜日が待ち遠しい。
そんな思いでリビングの方に行けば、リビングの椅子に私服姿のお母さんが座っていた。お母さんは、いつもスーツに身を包んでいて、その姿遺骸見たことがなかったから、ラフなTシャツを着ている姿は珍しかった。
「ただいまも、言えないの」
「言ったんだけど、聞こえなかっただけじゃない?」
私の顔を見るなり、突っかかってきたお母さんの言葉を蹴り返してやれば、お母さんは面食らったように、これまた珍しい顔をして「ごめんなさいね」と小さく謝った。一体、どういう風の吹き回しだろうと、いつもと違うお母さんに戸惑いつつもリビングに行けば、机の上には大量の大学のパンフレットが散らばっていた。文系から、理系のものまで統一性がなく、場所も近場のものもあれば、遠いものもあった。頼んだ覚えのあるものと、ないものが混ざっている。
「ほら、貴方受験生でしょ。行きたい大学決めた方がいいんじゃないかって思って」
「何で、お母さんが?」
「お金を出すのは私だからよ」
そう言いつつも、お母さんはお金が高いであろう私立のパンフレットまで準備していた。言っていることと、真逆である。
私はそれに気づいたが、気づかないふりをして椅子に腰かけた。先ほど、お店であった女性が言っていた大学をパンフレットの山の中から探し当て開く。その様子をお母さんはじっと見つめていた。
「何?」
「そこに興味があるの? そこは確か、心理学を学べるのよね。今の時代、カウンセラーはいてもい足りないぐらいって聞くわ」
だから何だと言ってやりたかった。でも、そんなこと言える勇気もなくて、黙ってページをめくる。真新しいキャンパスに、ガラス張りの大きな窓が特徴的な大学だった。敷地面積も広くて、有名教授や先生を呼んだ講和などもあるとか。後は、奇病に関する最新の研究をやっているとか書いてあった。
(さっき、いっていた通り……)
ほかにも目を惹く情報が沢山載っており、心理学系じゃなくても、奇病に関わるものを研究している学科もあった。兎に角、今問題となっている奇病の謎を解き明かす、社会とのつながりを考えるような大学といった感じだった。
「珍しいわね、そんな真剣に見て。貴方、本とか苦手だったじゃない」
「それは、昔。今は、今。というか、珍しいのはお母さんだよ」
「え?」
「早く帰ってきて、どういうこと? 仕事ばっかりのお母さんが、私のこと気を遣うなんて珍しかったから……その」
嬉しくないわけじゃない。でも、戸惑いの方が大きかった。
なんで今なのか。どんな心情の変化があったとか。私では、お母さんのことが理解できなかった。元々、しようなんて努力もしてこなかったけど。
お母さんは、目を丸くしてから、少し眉間にしわを寄せ、口元を手で覆った。
「何でかしらね」
「何でって、こっちが聞きたいのに」
私が少し強く言えば、お母さんはちらりと私の方を見た。その瞳に罪悪感やら航海やらが見えて、私はハッとする。初めて見るちゃんとした「母親」の顔だと思った。
血も涙もないような、仕事一筋の人だと思っていた。でも、そんな人がこんな感情的な顔をできるのかと、そういう驚きがあったのだ。
本当に始めてみる、お母さんの顔。
「ごめんなさい、実は、取引先の会社に貴方のお父さんがいて……久しぶりに話し合ったの」
「お父さん?」
私を捨てたお父さんのこと? と、私は自分のおでこにしわが寄ったのを感じながら、お母さんをにらみつけた。お母さんはそんなことを気にする様子もなく、話を続ける。それは、譫言のようだった。
「久しぶりに、お父さんと話してね、あの時はまだ私たちも子供だったって。大人なのに、おかしい話になるかもしれないけど、お父さんあなたに謝っていたわ。疲れていたとはいえ、究極の選択の悪いほうを選んでしまってって。私も、私が決めたことなのに、貴方のことをほったらかしにして」
「……何今更、母親の顔して」
「そうれも、そうね。ごめんなさい。時間を取ってしまって」
「……」
何か言い返せればよかったけれど、生憎まだその勇気がなかった。四葉さんの奇病と向き合う以前に、お母さんとも向き合わなければならないと思った。それが、どれだけ大変で、これまでにできた溝を埋めることになるか。そう簡単に埋まらないことぐらい、私もお母さんも気づいている。でも、向き合わないといけないのだ。大学受験も備えているから。
私は、お母さんに軽く頭を下げて部屋に戻ることにした。心臓がバクバクなっている。こんなに親と話すのに緊張を感じるなんて思わなかった。普通の家庭だったらどうなんだろうか、と考えてしまうがそれも分からない。
再婚……お父さんが戻ってきたとしても、どんな顔をすればいいかなんてわからなかった。
私は部屋の中でうずくまって、四葉さんから来たメッセージを読み返し、自分を保とうと必死になった。




