03 おまじない
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「ダメだ。身体のだるさが抜けない」
三時に一度目を覚まし、それからその日はバイトがないということで昼間で寝ようかと思ったが、起きたのは八時だった。熟睡もできず、そこまで体を動かしたわけでもないのに、どっとのしかかるような重さと樽さで動く気力もなかった。
悪夢を見たせいで、眠れなかったのか。でも、そうじゃない気がして体温計をわきに判で、熱がないか測るが、平熱で、この身体のだるさの原因は何なのかと、ベッドに突っ伏したまま考えていた。考えられることなど一つしかない。
(熱ものどの痛みもないから、田代さんの言っていた流行病ではないと思うし、となるとやっぱり)
奇病が悪化してきている。そうとしか考えられなかった。病院に行って何とかなるわけじゃないことぐらいわかっていたけれど、行かずにはいられなかった。
幸の笑顔を見ていると、あの子の隣にずっといてあげたいような気持にもなるし、あの事もっと喋っていたい。でも、この奇病のせいでいつまで彼女の隣にいられるかわからなかった。だからこそ、治らないにしても、信仰を追染める何かがないかと聞きたかったのだ。
僕は重い身体を起こして立ち上がり、身支度を整える。早朝であれば、どの科もすいているはずだと、歯磨きと髪の毛を整えて玄関を出ようとする、すると、ドアの向こうに誰かがいる気配がして、ドアノブに掛けた手を下ろした。
ピンポーン、と無機質なチャイムが鳴り「四葉―」と聞きなれた声がアパートの廊下に響いた。
「莉奈さん、どうしたの。こんなに早く」
「いやあ、急に四葉の顔が見たくなって。どこか行く予定だった?」
「あーうん、まあ」
どこ? と莉奈さんは顔をのぞかせる。
扉を開けた途端、パッと顔を明るくして立っていた莉奈さんは嬉しそうに笑う。こんな早朝に何の用だろうと不思議に思った。莉奈さんはしっかりしている人だから、いつも連絡してからしか訪ねてこない。でも、今日は何故か、連絡もなしに家の前に立っていた。
僕が言葉を濁せば、胸をこつかれて「私たちの仲じゃないか」と絡まれた。乗りの良さと、頼りがいのある姉御肌は嫌いじゃなかったけど、今の体調でそれをやられると反応に困ってしまった。
「莉奈さんごめん、ちょっと用事があって」
「用事?」
と、莉奈さんは聞き返す。
病院に行く、なんていえば、ついていく、というに決まっているだろうし、そうでなくとも、この話を莉奈さんにするのは気が引けた。莉奈さんは誰よりも一番僕の奇病のことを心配してくれている人で、発症したその日に気付いた唯一の人だった。家族のようにも思っているし、隠し事するのはつらいというのもある。でも、心配させたくなかった。
「うん、用事。とっても大事な」
「それって、病院に行くこと?」
「えっ、ああ、違くて」
「えっ、ていったじゃん。そうなんでしょ?」
と、莉奈さんに問い詰められる。
僕は、うつむいて首を縦に振ることしかできなかった。嘘をつくのは苦手だし、下手だ。じゃなくても、莉奈さんに嘘をついたら一発で見破られるに違いない。僕に嘘をつく理由はなかった。
「そう、病院に」
「風邪……じゃないよね。何で、奇病が悪化しているの?」
「悪化してないよ。ただ定期健診」
「それ、数週間前に行ったわよね」
痛いところを突かれ、何も言い返す気はこれですべて失せてしまった。
莉奈さんは「やっぱりそうなのね」と見当がついていたように、一人納得していた。やっぱり莉奈さんはすごいと思う。
隠せるものなら隠したかったけれど、そう上手くはいかなかった。けれど、最後の抵抗と、嘘をつく。
「でも、そんなめちゃくちゃ悪化したとかじゃないから。ただ、ちょっと気になることがあって」
「じゃあ、私もついていくわ」
「大丈夫だって。僕も二十歳になるし、お酒飲める年齢になるんだよ?」
「私の中で、四葉はいつまでも子供なの。だから、甘えなさいよ」
「い、いや、そういう問題じゃなくて」
「だって、一人でいかせたら、噓の報告するかもしれないじゃない。不正防止のためよ」
莉奈さんはそういうと、僕の口に指をあてた。
何もかも見透かした黒い二つの瞳がじっと僕を見つめている。
僕は、諦めるしかなかった。最後の抵抗もこれで虚しく終わる。
「分かった、ついてきてもいいから」
「ついてきてくださいでしょ」
「ええ……付いてきてください」
「任されたわ。それじゃあ、行きましょう」
と、ぐいぐいと莉奈さんは僕の腕を引っ張った。玄関のドアがガチャンと音を立ててしまったが、鍵をかけていないと引っ張る莉奈さんを止めて戻る。財布の中に入れていた鍵を取り出して施錠し、廊下の端の方まで言っていた莉奈さんを見た。
(何もなければいいな……)
そう、自分におまじないをするように心の中で願掛けをする。でも、これは危険信号だと、僕は気づいていた。




