11 優しすぎ
「ただいま」
帰っても返事が変えてこない冷たい家。
慣れないヒールを履いて走ったせいで靴連れを起こし、足首は赤く、そして紫に変色していた。四葉さんと一緒にいたときは感じなかったのに、幸太郎とあった後痛くなったため、幸太郎が無理に走らせたせいだと思う。そう思うと、いかに四葉さんが私のことを気にして歩幅を合わせて歩いてくれていたのかとわかった。誰かさんとは大違いで。
最低な初デートになってしまい、あっちも怒っているだろうな……と、もしかしたら別れようなんて言い出されるんじゃないかと不安に駆られていた。私だったら、知らない女性が割り込んできていきなり恋人をかっさらっていったら許せない。それが、幼馴染だろうが家族だろうが、きっと分かれている。
私がこうなのだから、四葉さんもそうかもしれないと、勝手な想像のもと私はようやく立ち上がったスマホを確認する。そこには新着のメッセージが一通来ており、名前を見てズキンと心が痛んだ。
三十分前に、四葉さんから連絡が入っていたのだ。
電話じゃなかっただけ幸いか、と思いつつ、もしこれが別れようとか言うメッセージだったら。そう構えてしまって、開けずにいた。取り敢えず、心を落ち着かせるために、手を洗い、歯磨きをし、服を脱いでハンガーにかけた。映画館の椅子はやわらかいが、かなり深く腰を掛け長時間座っていた為、お気に入りのワンピースにはしわが寄っていた。アイロンで早く当てなければとも思ったがやる気が出ない。
目の前に置いた自分のスマホと向き合い、早く開かなければというプレッシャーを与えられる。心の準備がついていない。
(いやだ、別れるなんて、絶対嫌!)
でも、開かないことには始まらないし、もう三十分、一時間も過ぎている。いつもなら、メッセージは一分以内で返せるのに、メッセージを打ち込むどころか、開くところまでたどり着けなかった。
だが、ここでうじうじしていても仕方がない。私は思い切ってメッセージを開いた。そこに表示されていた文字は、とても暖かなものだった。
『今日のデートは、楽しかったよ。ちゃんと家に帰れた?』
怒るどころか、今日の感想、そして私が無事に帰れたかと心配するメッセージがそこには表示されていた。驚いてスマホを落としてしまい、太ももの上でバウンドする。角が当たっていたかった。でも、それを上回る幸福感で満たされていた。
(え、え、優しすぎるでしょ!?)
さすがは大人だ。と先ほど怒るんじゃないかとか、別れ話になるんじゃないかとか心配していた私が嘘のように、四葉さんのたったそれだけのメッセージを受け取った瞬間私の心は飛び跳ねた。皆に単純と言われるが全くその通りだと、その時は思った。
私は既読を付けると、すぐにメッセージを返そうと意気込んだ。嬉しくてたまらなかった。
でも、ふと冷静に立ち止まって、これは別れ話の切り口なのではないかという疑心暗鬼の心が生まれた。打ち込んだメッセージを一度全部消して、まずは昼間のことを謝罪しなければと私はメッセージを打ち込みなおす。
「昼間すみませんでした。不快な思いをされていないでしょうか。私の身勝手な行動で、四葉さんの機嫌を悪くしてしまったのなら、すみません」
堅苦しい文面に体がむずがゆくなった。
一応、大人に送る文章、そして謝罪文ということでできるだけ丁寧に書いたつもりだったが、如何せん慣れないことをするものではない。敬語は大丈夫かとか、言い回しは変じゃないかとか確認したのち、行ってこい! と送信ボタンを押す。するとすぐに、ポンと音を立てるスマホ。
『気にしないで、映画楽しかったよ』
「よ、四葉さん!」
誰もいない部屋で起立し、私はスマホを両手で握りしめる。本当にどこまで心が広い人なんだろうか。苗字の海は、その海のような広い心を表すのではないかとすら思った。そんな、しょうもないことを頭で考えつつ、つい許してもらった気になって、友達に送るように、それでも四葉さんに対して送るメッセージだと次の文章を打ち込んだ。
「楽しんでもらえたなら何よりです! 私も楽しかったです!」
最悪の日から、一気に最高の日になった。
幸太郎の乱入は未だ許せるものじゃなかったが、記憶の片隅にまで飛んでって、今はただ四葉さんのメッセージに舞い上がっている。そうして、四葉さんのメッセージが来る前に、次の予定をと私は打ち込んだ。
「今日の埋め合わせに、またどこか行きませんか?」
今回のデートは成功して、失敗した。だから、今度は邪魔されないように幸太郎の行動範囲を考えてデートプランを組もうと思った。どこでもいい。いけなかったパスタのお店でも、水族館でも。きっと四葉さんとなら楽しいだろうって。そう思っていると、四葉さんからメッセージが返ってくる。
『今度は、カフェで』
「ええ、まさかのバイト先!」
もしかしたら違うかもしれないと、自分の都合のいい解釈をしていないかと思ったが、そんなことを考えている余裕はなかった。高速で文字を打ち込む。
「毎日でも通います! 今度は、月曜日にお邪魔しますね!」
これで、カフェデートの約束は取り付けられたと、私は達成感を得る。
それから、もう十時も回っていたこともあって寝る支度をしようと、最後におやすみなさいのスタンプを送る。数秒も経たないうちに四葉さんからもメッセージが返ってきて、私はニマニマと頬を緩ませながらベッドに飛び込んだ。