06 デート
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「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるね」
「分かった。私は、映画館の入り口付近で待ってます!」
奇病によって現れた傷を洗い流す為、幸にはそうって抜けてきた。上映後のトイレは混んでおり、手洗い場にはたくさんの男性がいた。髪を直すものや、服を確認するものがいて、もしかしたら自分と同じ恋人を待たせている人達かもしれないと思った。身なりを整えるということは、誰かからの視線を意識してのことだろう。
僕はその間を縫って、手首にできた傷口を洗い流す。かなりの量の血が出ていたこともあって、流れる水は赤く濁っていた。周りにいた人たちは大丈夫かと、心配したり、奇異の目を向けたりと様々だったが、僕も僕で待たせている人がいるので急がなければとハンカチでふき取りトイレを後にする。
奇病が発症してから、誰かと一緒に買い物やお出かけなど言ったことがなかったため、そういう一般的で普通の幸せを前にして、気持ちが高ぶってしまっていたのかもしれない。僕には普通が普通じゃなくて、幸せを感じないようにと生きてきた。かといって、自分が不幸になるよう仕向けているわけでもない。ただ生活して、ただ息をする。それを続けて生きてきた。
奇病は今回のようにいつどのタイミングで発症するか分からない。治らない病気ほど厄介なものなどなく、頻繁に身体に傷が出来てしまうため、長袖長ズボンを着用することが多かった。余計な心配をされたくないというのもあったが、一番は周りにそういう目で見られたくないというのが本心だった。奇病は症状が重いものもあれば、軽いものもある。その軽重の度合いは、身体の側面にどれだけ奇病の症状が出るかである。心の病が外側に出てくる、それが奇病。
ひどいコンプレックスを抱いている人であれば、それが何かしらの形で外側に出て、さらにそのコンプレックスを醜くて汚いものに変えていく。だから、奇病を発症したものは、人の目が怖くて仕方がないのだ。僕の場合は、幸いと言ってはなんだが、傷ができる程度のものだが、ネットで検索を掛ければ、身体から石が生えてくるようになった人や、全身が緑色に変色してしまった人など様々だった。僕の「幸せ」はまだいいほうなのだと思ってしまう。
(ちょっと時間かかったかな……)
映画館の外に出て幸を探せば、映画のポスターを眺めている彼女の姿が見えた。僕は彼女の名前を呼びながら近づいていく。ふわりとスカートを翻しながら振り向いた幸は、僕を目でとらえると、やわらかい笑みを浮かべた。
「……っ」
「どうしたの? 四葉さん」
「ううん、いや、何でもない。待たせてごめんね」
一瞬花が咲いたようだと思った。幼さが残るその顔に、大人びた女性の笑顔が浮かび上がった。それに見惚れていた。
そこまでは、口にしなかったが、そんな風に見えたのだ。自分よりも年下の女の子に対して、初めて抱く感覚だった。感情だった。
恋人とは名だけだと思っていたが、こう幸と一緒にいると自分が彼女の恋人なんだと自覚する。
それから、幸に連れられて飲食店へ向かうことになった。何でも食べたいものがあるらしく、興奮気味に僕の手を引いた。その道中で、アレルギーはないかとか、嫌いな食べ物はないかと聞いてきて、自分の要求を通す前にしっかりと相手のことを考えられる子なんだなあと思った。僕はアレルギーもないし、偏食もしない。好きな食べ物が特にこれと言ってあるわけじゃなかった為、幸の好きなものでいいよ、と答えたら幸は不思議そうに僕を見た。何かおかしなことを言ったかと思い返してみるが、心当たりはない。そうして幸は何事もなかったかのように僕の手を引いた。連れてこられたのはイタリアンのお店だった。しかし、そこにはすでに行列ができており、名簿に名前を書いて十人ほど前に人がいるのを確認したのち、幸は肩を落とした。そうして、スマホを取り出し他のいいお店はないかと探そうとしていた。
(今から探してもきっとそこも混んでいるだろうし、ここで待っていた方がいいんじゃ……)
そう思い、僕は幸に調べるのをやめて待たないかと提案する。
「でも、すごく待つんだよ?」
「他の店も同じじゃないかな。なら、ここで順番を待っていた方が早く済むかもしれない」
「そうかもしれないけど……」
「僕は、幸と一緒に並ぶのもいいって思ってるよ」
僕がそういうと、幸は顔を赤らめて、小さく頷いた。何で幸がそんな態度をとったのか分からないが、繕って言った言葉ではなく本心だった。ここで一緒に並んでいる間、少しでも幸のことが知れればと思ったのだ。でも、こちらから聞くのは……とためらっていると、幸はその空気に耐えられなくなったのか、このお店のいいところを話し出した。幸から話を振ってくれたため、僕は相槌を打ちながら聞く。そうして、幸の話が終わったタイミングでこちらから話しかけようとしたとき、幸の動きが止まった。目は行列の横を通り過ぎる人に向けられており、幸と同じぐらいの少年が僕らの前で立ち止まった。
「幸、お前どうしてここにいるんだ?」
「こ、幸太郎……」
どうやら知り合いのようで、幸は会いたくなかったとでもいうように顔を青ざめさせていた。どうしてかと、理由を尋ねようとすると、その少年は今度は僕の方を見た。睨みつけた。
「それで、お前は誰だ?」