The black cat rage about 12
京都にある、一見さんお断りのお店の懐石料理屋。その中でもかなり規模の大きい和室の個室を持つ店である。向かい合って座り、座布団には陰陽庁幹部候補の一人である汚蜀大輔が卑しい笑みを浮かべていた。向かいに座る男が、大輔に酒を注ぐ。先の一件で、陰陽庁は幹部の増員を急務としたが、それによって派閥の問題に頭を抱える事ともなった。今の晴明の一族を主とする保守派と、時代は変わるべきを唱える玄府派、まだどちらに属さず決めかねている中間派閥。
「これで、次の幹部になる確率がぐっと上がったというものよ。玄府派閥の数が増えれば、若造を蹴落とし組織を牛耳る日も遠くあるまい」
そういって、回収した術札を眺めて、口にした。
「汚蜀様、流石で御座いますなぁ。海道のやつを蹴落とすだけでなく彦麿呂殿を幹部から落とす算段には感服致しました。幹部になった暁には是非次は私の名前をご推薦下さいますよう」
そっと、菓子折りを大輔に差し出す。中身は当然金子である。
「越後谷、お主も悪よのう」
越後屋ではなく、そういう名前らしい。
「いやいや、汚蜀様程では・・・」
ふっと、部屋の明かりが急に消える。
「何事か・・・」
「停電でしょうか」
にゃあ、という猫の声が聞こえ、二人は上を見上げた。すると、巨大な猫の目が二人を睨みつけている。猫が喉をならし次の瞬間に黒い影のような物体が越後谷に襲い掛かった。猫が暴れる声を出し、越後谷も悲鳴を上げる。
「汚蜀様!!たっ助け!!ひゃあああああああああああああああああ!!」
「何事か!!・・・・・・・・・むう!!」
汚蜀は慌てて、襖を開けて廊下へと出た。これもまた、停電で廊下も真っ暗闇。悲鳴の方から逃げようと歩を進めると、ボッっと火の玉がゆらゆらと揺れている。目の前には、仇討ち衣装に身を包んだ和香の姿がそこにあった。刀は持っていないが、現役時代得意とした獲物である糸を出すグローブを両手に付けており自由に伸縮させる事が出来る彼女の十八番。彼女の底冷えた冷笑は彼の背筋を凍らせるのに十分な迫力があった。
「和香殿??何故ここに!!」
糸を伸縮させて、汚蜀に絡ませ亀甲縛りを作った後そのまま廊下の上にある柱に引っかけて宙づりにする。股間にダメージが行くようにする和香の妙技。
「和香どの・・・・・・許してくれ・・・」
その言葉を掛けられても和香は一切揺るぐ事無く寧ろ力を籠める。体が宙に上がる度に、負荷が掛かる股間に悶絶級の痛みが奔る。
「わがどのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
限界値を超えたのか、汚蜀にしか聞こえない股間の何かが壊れる音が聞こえた。男に2つしかない金の玉が圧に負けて砕け散る。と同時、ぴん、と糸が切れて縛られたまま廊下に落ちる。気絶している汚蜀を冷たく見下ろして、和香が呟いた。
「今回は玉二つで済ませますが―――次うちの者に手を出したら心の臓を潰しますのでご覚悟を」
そう言い残して、和香は踵を返してその場を後にした。
陰陽庁幹部が揃う席にて、幹部一同と今回の一件に連なる者が同席していた。和香、和香の父、彦磨呂それと汚蜀、越後谷。清治の判断は、全員幹部への候補抹消と今回の幹部選出の取りやめである。半壊した店の修理費用の捻出に関しては汚蜀に負担させる事となった。正式な謝罪が行われ、幹部会を去る汚蜀が常に内股でその場を去った。彼の金の玉はもう無い。
「という事で、どうしょうね皆さん」
幹部全員が目を背け、今回は止む無しの空気を作る。歯ぎしりをして悔やむ者も居る中で今回の一件は幕を下ろす形となったのである。
「止む無しでしょうな。まぁ歴史を紐解けばこのような事は幾度となくあったとは思うが」
玄府がそう言うと、星蘭が呆れた口調で返した。
「狐と狸の化かし合いやってる場合じゃないでしょうに。支部が出来ても京子ちゃん一人に京都全体背負わせる事は出来ないんだからあんたちょっとは下のやる事にも目を張っておきなさいよ」
「そう言われると返す言葉もない」
自分の派閥の不始末故に、玄府は申し訳なさそうな表情で答えた。和香の家族もそこに呼ばれており、吃驚した和香の下に亜子が抱き着いてくる。幹部の者達の反応は様々ではあったが、亜子が泣いて再会を喜ぶ家族の顔を見た者の中には、微笑ましい笑顔が零れていた。
「社長、もうお帰りですか?」
気付けば、夕暮れ時。つい夢心地でソファーで寝そべってしまった。私は京子に頷いて、ソファーから降りて帰路へと歩く。とまぁ、ざっと今までを思い返すとこういった経緯であった。結局、和香はそのまま陰陽庁の復帰になった。なんでも、旦那の仕事が前より給料が低くなったので泣く泣く働くそうだ。旦那は今でも京都支部の事務員兼店頭販売員として働いている。適当に人間に愛想を振り向けば餌にありつける猫にはわからん苦労である。自暴自棄になって酒に溺れた挙句職を失った事実を知った和香の鬼の形相が今でも忘れそうにない。夜の仕事になるので、当然和香は朝に帰ってくる事が多い。それでも、家事全般をこなしていくのだから母は強しと言えるだろう。あれからは特に何事も起こらないが、警戒は続けているので見回りも習慣になってしまった。深夜にも関わらず和香が縁側へとやって来た。私の頭に手を触れて以前と同じように温かい白湯を差し出してくれる。
「この度は、誠にありがとう御座いました。本当に何とお礼を言っていいか」
気にしなくてもいい、と伝えれれば良いが声に出せないのでこういう時は困る。
横に首を振っておく。
「これからも、どうぞ家族共々宜しくお願いします」
凛とした目である。当然、私は快諾して告げた。
「にゃあ」
「ふふ、黒猫は不幸の象徴なんて迷信ありますけど、本当は福猫なんでしょうかね」
それを決めるのは、人間の勝手次第である。
都合が悪ければ不幸の象徴とされるし、良ければ福猫となる。
猫は猫である事に何ら変わりはしない。
私は出された白湯に舌を付け、夜空を見上げた。
FIN