モナカとつまらない日
解決しないままなので気をつけてください。またこの作品にファンタジー的な要素はありません。
僕は、仙台の、駅から少しだけ離れた大通りを歩いていた。5月も半ばで空は良く晴れていた。柔らかな風と暖かな気温とが、この時期特有の、吊られた布のような中途半端な空気感を増幅させる。
火曜日の10時。思ったより通行人は少ない。
何か手に入れたいものがあるような気がした。それが日常生活に必要不可欠なものかというと、たぶんそうではないはずだと思えた。しかし、そうは言っても、それがなにかをはっきりと思い浮かべることは出来ない。すりガラス越しに遠くの景色を見た時のような、そういったぼやけがあった。
なので仕方なく、家から大して時間もかからずに行くことができ、かつ大抵のものは売っていそうな街である仙台に来た。色々な店を巡って、品物を見て、そうして自分が欲しいものが何か見当をつけられればいい。そう考えた。
片側三車線の車道と幅が広めの歩道とは、街路樹の列で区切られている。木々の緑の葉は春風になでられてサーッ、と鳴る。その葉の音と近くの歩行者用信号機の音とが、この大通りの中で一番目立つ。
僕はまず本屋に入った。
まるきり定規で作られたみたいにピッチリと整備された店内だ。小説コーナー、漫画コーナー、雑誌コーナー……色々なコーナーがあり、様々な種類の本が置いてある。本屋に来るたび、まるで世界の広さをコンパクトに縮めて教えてくれているような場所だなと感じる。僕は本屋が好きだ。
しかし、普段なら心惹かれるこの場所にも今日はほとんど魅力を感じない。なんだか少し色褪せたように感じる。たぶんここには僕が手に入れたいものは無いのだ、と分かる。
とりあえず、お気に入りの作家の文庫本や最近流行っているという漫画を軽く手に取ってはみる。が、やはりダメだ。すぐに興味は失われてしまう。このままでは本屋への愛着すら無くしてしまいそうだと思ったので、僕は諦めて立ち去ることにした。
外に出てあらためて辺りを見渡す。古着屋や花屋、楽器店、小型スーパーマーケット、鞄屋などが視界の範囲内にある。
でもやはりどの店に対しても「ここだ」と思えない。「ここだ」という検討が付いていたら、わざわざ仙台まで足を運ぶ必要は無かったのだから当たり前だが。
空は相変わらず良く晴れていた。しかし、綿ボコリみたいな小さな白い雲が一つ、まるでその天気に抗うかのように、太陽の近くに現れていた。
古着屋に来た。
中に入る。少し暗いのは、わざと照明を弱くしているからだろう。そのほか、量を間違えたのではないかと思うほど強い香水の匂いがする。それに混じって、少し木材の香りが漂っているようにも感じる。飾られている服を一通り観察してみると、デニム生地の服が特に多い。
古着はもともと好きではない。人の肌に触れたものはもう、芯からその最初に着た人のものになってしまっているような気がする。それを自分が使うというのは、なんだか他人に支配されているような感じがして嫌なのだ。となると、古着を集めた場所である古着屋に対しても苦手意識を抱くのは当然のことだ。
実際僕は息苦しさを感じていた。ここは、僕が気軽に訪れるようなところではない。心の強張りと戦いながら店の中を一周する。
結果、これといって惹かれるものは見つからなかった。ああ無駄足を踏んだなと感じた。
曖昧な願望にとらわれることほど悲惨なことはない。多くの場合そうなってしまうと、大抵それを実現することはできないからだ。今日もあるいはそうなるかもしれない。
……つまるところ、仙台に来なければ一番良かったのだ。不安定なものというのは、こちらから支えるような真似をしない限りは自然と消えていくのだから。
次は楽器店に入った。
電子ピアノがいくつも展示されている。何台かにはちゃんと電源が引いてあって、鍵盤を叩くと音が鳴る。残りはただ展示されているだけで、音は出ない。
あとはギターが壁に掛けられている。カラフルな変わった柄のものもある。他にも、金管楽器や弦楽器がガラスケースの中に飾られていたり、ドラムセットが店の奥の方に並べられていたりした。どの楽器にも、いかにもな新品らしさがある。表面のすべらかなところで光が反射している。ここは……今まで入った他の店に比べると、なんとなく自分が欲しているのに近いものがあるように思えた。だからさっきよりも一生懸命に品物を探し回ってみた。
が、探せば探すほど先ほどの予感めいたものは薄まっていってしまった。まるで、暗闇で目が慣れたら、目の前の猫のように見えたシルエットの正体が単なる掃除機であることが判明した、みたいな感じだ。たぶんここにも求めるものは無い。ガッカリしていると次は店員が話しかけてきた。僕の嫌いなタイプのうるさい奴であったので余計にがっかりした。僕はそのまま店を出た。
このまま帰ろうか。別に義務というわけでは無いのだ。僕自身が僕を留めているだけで。
しかし自分は、自分が自分に丸ごと監視されていて、そうしてロボットのように乱暴に操られているという状態をひどく好んでいた。きっと悪癖なのだろうと薄々勘付きながらも、身に染みついたこの感覚を忘れることが出来ない。
それでもう少し探すのを続けることにした。
スーパーマーケット。少し腹も減ってきたので何か食べ物も買おうと思って入った。
どこにでもあるようなスーパーマーケットだ。店内で迷うこともない。甘いものがいいと思って菓子のコーナーに向かった。
陳列された色々の菓子群。チョコレート、飴、クッキー、カステラ、どら焼き、モナカ……。
………モナカ。モナカ……。
それは、あまりにも突然のことだった。自分でも信じがたく思えたようなことだが、棚に並べられている小ぶりのモナカを一目見たときふと「たぶん、これだ」という気が、ヌッとした感じで起こった。自分なりに完璧に納得できたというわけではない。しかし、この先いくら探し続けても、この「たぶん、これだ」という感覚を味わうことは、もうこれ以上は不可能であるような気もした。
僕が探していたものはきっとモナカだったのだろう。この湧いてきた感覚からすれば明らかだ。しかし自分は、ここまで欲しているからには、もっとなにかしっかりとしたものであるように思い込んでいた。でもやっぱり欲していたものはモナカなのだ。そうと分かってしまった。なんとも拍子抜けだ。
どうしようか迷った末、結局僕はモナカを3つだけ買った。そして外に出た。
仙台には、探せばまだ沢山の店がある。腕時計を見ると13時で、時間にも余裕はあった。どうせならもう少し仙台に居ようとも思った。しかし、自分を操縦していた自分は、まるで捉えていた目標を急に見失ったかのように動揺していた。これではもう駄目だ。それで、今の時刻から一番早く乗れる帰りのバスを時刻表で探し、それに乗ることにした。
待っている間、待合所の椅子に座り、買ったモナカのうちの1つを手に取って眺めた。自分の願望の中のぼやけを晴らそうと思って一生懸命に探し、苦労してようやく見つけた。この目の前にあるモナカというのは、そういうものであったはずだ。でもモナカの輪郭は、見つけてしばらくたった後になったというのに、未だにモウモウとぼやけたままでいた。自然と溜息が出てしまった。
理由が定まらないのだ。なぜモナカだったのか。今考えれば僕は、欲しているものそれ自体というより、欲している理由を明らかにすることを求めて仙台を徘徊していたように思える。
そうこうしているうちにバスが来た。人が立ち上がる時のかけ声のような感じでプシュー、と音を鳴らしながら、バスの扉が開いた。僕は後ろから3列目の長椅子に1人で座った。他に乗客はいなかった。定刻通りにバスは出発した。
景色を眺めることはせず、僕は自分の足元の方を向いて考えていた。やっぱり理由をはっきりとさせることはできないのだろう。
モナカというと高校時代の知人の長田君のことが思い浮かぶ。彼がモナカを食べるところを、僕は何度か目撃した。ただし彼はモナカだけではなくて、他の和菓子もよく食べていた。彼はその偏食ぶりで、学年の間で有名だった。僕は彼のことを一方的に知っていた。確か、部活は管弦楽部とかだった。
たとえば今日が長田君の命日とかだったら、僕がモナカを欲していた理由として、少しは自分にとって納得のいくものが得られたんだろうか。まあ、そもそもたぶん長田君は死んでいない。そんな悪い噂は聞かない。その上最大の欠陥として、「僕は彼を知っているが、彼はおそらく僕のことを全く知らない」という部分があった。なので長田君は関係無い。
僕はバスに揺られている。試しにモナカ3個のうちの1個を袋から取り出して食べてみた。所詮はスーパーで売っている程度のものだ。皮はシナシナだった。餡も不必要に甘い。いや、もしかするとそのモナカはちゃんと美味しいものだったのかもしれない。しかしその時の僕は欠点ばかりに目を向けていた。
家の最寄りのバス停で降りた。灰色がかった住宅街の一角。まだ夕方というには早い時間であったような気がしたのだが、空はやけに沈んでいた。
残りの2つのモナカはどうしようか。実のところ、これらをどう扱ったところで満足いく結果は得られないということにはもうとっくに気付いていた。つまり諦めて食べてしまうしかない。とにかく折り合いをつけないといけない。だが、ではどこで食べよう。
そして最後に、なるべく他人に見られるようなところで食べるということに決めた。嫌だと思う心は両の手の平でギュっと押さえ込むようにして、見ないふりをした。
少し移動して、家の近所にある大きい歩道橋の階段を上った。そして、歩道橋の真ん中のところ、橋の下の道路にあるセンターラインのちょうど真上に位置するようなところで立ち止まった。どうやら小学生や中学生の下校が始まりつつあったようだ。僕を避けるようにして、赤や黒のランドセルや制服姿がちらほら目の前を過ぎてゆく。
まず1つモナカを食べる。わざと口の音をクチャクチャと汚く鳴らした。そばを通る車の音やあるいは風の音に、少し隠されてしまったかもしれない。でも少なくとも自分には、充分に醜く聞こえた。
ここで、昼にろくに食べていなかったせいで、一緒にぐうという腹の音も鳴った。ある意味で好都合だった。
そして最後の1個。ポン、とお手玉のように高く投げ上げて、口でキャッチするようにして食べた。思ったより綺麗に成功してしまった。
食べ終わって辺りを見渡す。こちらに注目している人など誰も居なかった。
つまりは、そうだ。
あの程度のモナカは大して珍しいものなんかじゃないのだ。そして食べ方もさして突飛ではなかった。それがようやく理解できた。僕は少しだけ笑いたくなった。
仮に僕がモナカを欲した理由を無理矢理に述べるのであればそれは「仙台に行き色々な店を巡るという行いは、やっぱり間違いだった。」ということに気づくためであったと言える。
僕は頭の中で 継続してもよいことと継続すべきでないこととを綺麗に分類した。その境目の材料には今日得たものを使った。
そして歩いて家まで帰った。空はいつの間にか暗くなっていたが、それは思いのほか綺麗な暗さだった。自己満足のつまらない一日というのは、この今日の日のようなものを表す言葉のかもしれないなと思った。
なるべくダメ出しをください