仮面会話会
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
わー、つぶつぶ、いいところに。助けてー!
なにがって、お金よお金。ほんとーに申し訳ないんだけど、お財布落としちゃって、見つからないの!
家に戻れさえすれば、現ナマあるし、補填するから帰りの電車代だけでも。
ごめん! この通り! 袖振り合うも他生の縁!
――踏み倒されてはかなわないから、家までついてってやる?
ありがとー!
そのもっともな冷たい正論に思えて、この遅い時間に家まで来てくれる心強さ。
なになに、男のツンデレってやつ? 最近は需要がちまちま増えてるっていう?
ああ、ごめんごめん! ソーリー、ぺルドン、エントシュルディグング! ああうう、イタリア語では何だっけ? とにかくすまんて。
お願いだから「ピッ!」で先行こうとしないで! きっぷ買えないの! カードも全部、お財布なのよ!
ふああ、ありがとう。サンキュー、シェーシェー、グラッチェ、ダンケ……。
天丼はもういい? へいへい。感謝してまーす……と、お礼の言葉だけじゃ、君には十分じゃないでしょうね。
ふふ、どれくらいの付き合いだと思ってるの? つぶつぶが欲しいのは、ネタとなる話じゃない?
よし、誠実さを見せるために提供しましょうか。あんたの預かり知らぬところであった、奇妙な遊びを。
ケータイ電話をはじめて手にした時は、私たちにとって革命だったといえるわ。
今までは、家の固定電話が連絡手段の主力。どんな会話も、家族がいるならおおよそ筒抜け。時間をまたいで占領しようものなら、お小言、制裁、容赦なしでしょうね。
けれど、その電話が手のひらにおさまることで、問題は一挙に解決! パーソナルスペースさえあれば、家族をはばからずエンドレスコミュニケーションが……。
――通信料を、お前自身が払っているのか?
ごめん、盛大に調子こきました。ま、まあ、そのあたりの分別さえつければ、電話にメールなりも問題なくできたわけ。
この電話越しに会話をする光景、親たちが「気味悪い」と話していたのを、よく覚えている。
手の中におさまってしまうケータイ電話。それを外から見えない角度で使い、目の前に誰もいないのに話す姿は、イマジナリーフレンドさながらだと。
その表現に、私の思考回路はある方向に目覚めてしまったわ。それはケータイ越しであれば、顔が見えない誰かとも、リアルタイムで交流ができるということ。
別に、適当なアドレス、適当な番号へ手当たり次第に連絡をとるような、危ない真似をする気はなかったわ。
あくまで、よく知る友達間での連絡網限定。ただしケータイ越しに演じるのは、昼間に学校で相対するのとは、別の人格。厳密には、そのような設定で演技をし、おおっぴらにはできないディープなネタ、陰口などを匿名で共有、吐き出していった。
さながら、ネット上の掲示板ね。けれど、当時の私たちはその存在を知らなかったし、方法だってつたないもの。
あらかじめ学校で示し合わせ、非通知設定にした後、符丁としている手順での空着信をランダムな仲間うちに送る。通話中などで中断されることなく、無事にやり遂げられた相手と話しをしたわ。声で特定できないように、ヘリウムガスを使うことも義務付けたっけ。
うわー、思い出しても恥ずかしい黒歴史〜。笑ってくれるかしら?
でも、笑えるうちが華よね。どんな形でも、長く続けるってことは、ほころびを呼び込むってことだから。
その日、私の演じるキャラは「歴女かぶれ」だったわ。
ちょうど新聞とか、ニュースとかを読んだり聞いたりし始めた時期でね。ちょっと世界のリアル情勢と、少し過去を知ったならば、もうものしり気分。調子に乗って、聞きかじったことを、どんどんひけらかしていったのね。
今回の相手は、やたら聞き役に徹してくれる。うまい相づちで私の意見をどんどん引き出してくれた。ひたすらしゃべりたい気分の私に対し、割れ鍋に綴じ蓋といったところ。
一時間くらいは話したかしら。ますます気をよくする私は、にわか知識のまま、うかつにデリケートな話題に踏み込んでしまった。
ぼかすけれど、とある差別と大量殺人について、とだけ述べておこうかしら。
私はただ気持ちよくなりたいだけ。どこか嬉々とした声音で、事件の批評を伝えたと思う。
でも、その言葉を境に。
これまで、間髪入れずに返ってきていた相づちが、ぴたりと止んだ。
話がひと区切りしたこともあって、私もいったん口を閉じている。「次にどんな言葉を継いでくれるんだろう」と、わくわくしてたのは否定しないわ。
その返事、その一言が、私の舌を回してくれる。頭で考える手間もいらない。心と脊髄が発したままに、言葉を紡いでいくだけ。
そうして、しばし続いた沈黙ののち、電話の向こうでぽつりとひと言。
「ほんとーに、そう思う?」
ヘリウムを受けているのに、変わりない。けれども、ほんのわずか声が深刻さを帯びた。
けれど、それは振り返ることができた、後になってからのこと。
このときの私は、ようやく来てくれた返事に、数秒前の自分の言葉も思い出せないまま、飛びついた。
「うんうん、そう思う、そう思う! いくら敵国だからって、子供に対して……」
そう言いかけて、不意に手からケータイ電話がすっぽ抜けた。
手汗かと思った。わたし、多汗症の気があったから。
でも、ケータイボディの元の銀色、それに青色のカーペットを、同じ赤色に染めてくものを見たら、そうも言っていられない。
血。慣れてはいたけれど、私は戸惑いの方が大きかった。
ふと指を見る。いつ切ったか人差し指からくすり指にかけて、それぞれの先がぱっくり割れるのみならず、それぞれが指の中央に沿って、根元近くまで細く皮がめくれている。
「ほんとーに?」
スピーカー設定にしているわけでもないのに、床に落ちたケータイから、はっきりとミミ奥まで届くひと言を、私は聞いた。
ピリリ。
たとえではなく、皮を裂く音を続けて聞いた。
皮のめくれは手のひらへ。川の支流のように4本すべてが集まり、そこへ向かって細い血河ができあがる。たちまち血は川のふちよりあふれ、指全体を濡らし出す。
「ほんとー……」
「違う、違う。ウソよ、ウソだって」
察した私は、再度の質問へかぶせるように、電話へ声をぶつけたわ。血が出ないようになるかと、自分の手首をもう片方の手でおさえながら。
でも、いままでのおしゃべりの調子が、多分に残っている。
川はまた伸びた。
手のひらを横切り、手首を越えて、ひじ近くまで一気に走る。
私が作った、指のダムなどものともしない。川にはたちまち「水」が殺到し、おさえた指さえおおいに濡らして、私の腕に氾濫する。
痛みがなかった。このことが余計、私の心を揺すったわ。
血ならいい。でも、本当はもっと怖いものを出していたのなら……。
「ほんと……」
「嘘です……本当は、嘘だったんです」
私は謝罪した。心からの気持ちをこめて。
どうすればいいか分からず、あとは10回、20回と、ひたすら「ごめんなさい」を重ねるしかなかったわ。
気づくと、電話の液晶は真っ黒になっていた。充電が切れていたのよ。
腕にできた川たち。いまではずいぶん薄くなったけど、少しおさえると……ほら、表面に浮き出てくるの、見える?
お医者さんに診てもらったけれど、感染症のたぐいは心配なかったらしいわ。幸い、長袖や手袋で隠れやすいところではあるものの、バチが当たった、というとこかしらね。
はじめに取り決めていたから、あの時に私とつながっていた相手を特定することは許されていない。
ただまあ、あのときの教室に、身体をもって集った中にはいなかったんじゃないかしら。




