R1_お隣の天使様
「……いやいやいやいや、どんな偶然だっ!」
薄暗い部屋の一角で、片平洋輔は真っ黒な天井を仰いだ。
「っつか何なんだよあの女の子は……」
今日は久しぶりの休日だった。大学も休講でバイトもなし。だから思う存分朝からGMFを満喫してやるのだと意気込んでいたのだが。
「まさかあんなことになるとはなぁ……」
金策のために討伐クエストをこなしていたところに突如現れた『緊急討伐クエスト』の文言。意気揚々と駆け付けてみればなぜかそこで鉢合わせた女の子と共闘することになり、最後には強引にフレンド登録までさせられてしまったのだ。
「……もしかして、このままあの子と仲良くなってキャッキャウフフな展開がっ!」
そんな時だった。ゲームに熱中して部屋の電気も付けずにいたからだろう。テンションに任せて椅子の上で騒いだせいか膝が思い切り目の前の机を強打した。
「いってぇ!」
と同時に机の上に置いたヘッドギアが床に零れ落ちそうになる。
「っと、あっぶねぇ……。高いんだから壊れちゃたまらん」
両手で何とかキャッチするとお決まりのスペースへそっと戻す。すると急に洋輔の脳内に冷静さが波になって押し寄せてきた。
「……そもそも、中身が女の子とは限らないんじゃないか?」
『Guns&Magic Fronteir』のキャラクターメイクは昨今のVRMMORPGの中でも特に自由度が高いと言われている。
あの可愛らしいアバターだって単純にプレイヤーの好みで作り上げただけに過ぎない。つまり中身が男だろうが女だろうが関係なくあの見た目のアバターを使用することは可能なのだ。
「だけど口調がなぁ……」
最近のヘッドギアは技術の進歩もありかなりの高性能になっている。ヘッドギア内部に付けられたセンサーを使用し装着者の骨格を読み取り、リアルにかなり近い装着者の声を再現することが可能となっているのだ。
「女の子の、声だったな……」
やっぱり中身は女の子なのだろうか。夕日が差し込むのみの部屋でぼんやりと天井を見上げれば、静かな六畳間にぐうと小さく腹の音が鳴った。
「……ナポレオンにでもいくか」
椅子から立ち上がり机の上の鍵を握りこむ。初夏を迎えようとしている東京は未だ遠くに太陽が頭を出しており、部屋の扉を開けると飛び込んできた光が部屋の中を赤く染め上げた。
収まりの悪いスリッパのつま先を地面で数度叩き、扉へと鍵を差し込んだその時だった。
「あ、こんばんは……」
鍵穴に差し込んだ鍵が子気味のいい音を立てるのに合わせ、隣室の扉が聞き馴染みのある音と共に開かれた。
「どうも、こんばんは」
そこから姿を見せたのは一人の少女。身長は洋輔よりも頭一つ分小さいぐらいだろうか。肩まで伸びた黒真珠のような艶のある髪が夜風でふわりと揺れるのが見える。薄暗くてよく見えないが、それでも彼女が整った容姿をしていることを洋輔は良く知っていた。
「今からお出かけですか?」
「へ、あ、あぁ……。ちょっと晩御飯の買い出しに行くもんで」
突然声をかけられたもんだから思わず声が上ずってしまう。変に思われていないだろうかと気にしながら、それでもその動揺を必死に隠すように平静を装って洋輔は鍵穴の鍵を回しきった。
今どき珍しい物理型の鍵を使うこの建物はこれまた珍しい木造二階建てのボロアパートだった。そんなボロアパートの隣室に彼女が越してきたのは春先の事である。
大学進学を機にこのアパートに住んで一年ほどが経ったある日のこと。洋輔はボロアパートの隣室に荷物を運ぶ天使の姿を見た。
天使というのはあくまで洋輔なりの比喩表現なのだが、それほどまでに隣室に越してきたのであろう少女は独特な透明感と儚さを併せ持つ美少女だったのだ。
それからというもの、部屋が隣という縁もありこうして顔を合わすたびにあいさつ程度なら交わすことのできる関係にまでなった。
だからといって隣人という関係以上のことは何もないのだが。
そんな洋輔が唯一知っている天使の情報が彼女の苗字。ボロアパートの扉の前には「四宮」と書かれたプラスチックの表札がはめられている。
「四宮さんもお出かけですか?」
「ええ、ちょっとお腹が空きましたので」
そう言って天使こと、四宮詩乃は自らに声をかけてきた隣人へと小さくほほ笑んだ。
詩乃がこのアパートに越してきたのはちょうど三か月前。春先のまだ肌寒い日のことであった。大学進学を機に親元から離れた彼女はこのボロアパートで一人暮らしをするようになった。
両親には随分と引き留められたものだったが、高校の時から溢れる冒険心を抑えきれなかった彼女は新たな冒険の拠点としてこのボロアパートを選択したのだ。
住めば都、なんて言葉もある。その味のある外観を見て即決したこのアパートだったが住んでみれば案外不便もない。駅や商店街も近く近所に美味しい中華料理屋もあるこの場所を詩乃は案外気に入っている。
「それで、片平さんはどちらに向かわれるのですか?」
少女もそんな拠点の隣に住む青年のことを認知していた。時折顔を合わせる男のことを最初は警戒していたものだったが蓋を開けてみれば特に害のあるような存在ではない。
更にはこうして時折会話が出来る相手が居るというのは大学で今だ周囲に馴染めないでいた詩乃にとって小さな憩いでもあった。
「ナポレオンにでも行こうかと思いまして」
「あらっ」
洋輔が挙げた店名を耳にし詩乃は思わず一つ声を上げてしまう。
「あれ、なんかマズかったかな……」
詩乃のリアクションを見て洋輔は咄嗟に自分の行動を悔いた。もしかして天使を傷つけてしまうような何かを自らがしてしまったのではないだろうか。
「いえ、とんでもありませんっ!奇遇だな、と思ったもので……」
「奇遇?」
「ええ、私もちょうどナポレオンに行きたいなと思ってたところだったんですっ!」
嬉しそうに顔の前で手を合わせて見せる彼女を見て洋輔は思わず頬が熱くなるのが分かった。そんな洋輔を追撃するように、詩乃はさらに魅力的な提案を洋輔へとして見せる。
「えっと、その……もし良かったら……ご一緒に行きませんか?」
「え、あ、あー……よろこんで?」
日頃から美少女に耐性がある訳もない洋輔が、上目づかいでこちらを見つめる天使の提案を断れるはずが無かったのだった。
と言う訳でお付き合いいただきありがとうございました。
併せてご感想、ご評価、ブックマーク等いただけると泣いて喜びますのでよろしくお願いいたします。