ファイル83【愛とは何か? 今更知ってももう遅い】
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エドガーの依頼を受けた後、すぐに帰路についたアイリーン。馬車の中でも彼女は抜け殻の様だった。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「……」
いつもならばメイドや執事に笑顔で挨拶をするアイリーンが、表情すら変えず声も聞こえていないようなぼんやりとした様子に、従者も両親も異変を感じていた。心配そうな表情を浮かべる従者たちとは違い、アイリーンの両親であるポーター夫妻は顔を見合わせ心配だけではない困った表情を浮かべる。
マギーはポーター夫妻の表情を覗い、夫妻が彼女を見て頷いたことを確認した。マギーは頷き返し、アイリーンの部屋へと向かったのだった。
「アイリーンお嬢様、マギーです。入ってもよろしいでしょうか?」
マギーは声を掛けてからドアの前で待つが、中からの返事はない。ふぅ、とため息にも似た息を吐き出して彼女は主の部屋の扉に手をかける。
「お嬢様、失礼いたします」
ガチャリ、マギーが扉を開けると、ベッドの上に大きなシーツの塊が出来ており、その横には白猫アランが寄り添っていた。いつもアイリーンを足蹴にするアランだが、どうやら元気のない主人を心配しているらしい。
アイリーンの横に寝そべったアランは、マギーに何とかしてくれというような視線を向けている。
マギーは努めてゆっくりと優しい声でアイリーンに声を掛ける。
「お嬢様、どうなさったのですか? 体調がすぐれませんか?」
「……」
小刻みに震えるシーツの塊からは返事がないが、かすかに漏れる声は泣いているようだ。
「……お嬢様、シーツを取りますよ?」
またしても返事がないので、マギーはゆっくりとシーツを捲る。
「アイリーン様」
アイリーンは小さく丸まっていた。抱きしめていた枕は彼女の涙を吸い込んでしっとりとしている。
真っ赤に目をはらし、涙でぐしゃぐしゃになったアイリーンが顔を上げる。マギーと目が合うと耐えきれなくなったようで、彼女に抱きついて泣き出した。
「……ま、マギィ~! うわ~ん!!」
「はい。お嬢様、マギーですよ」
「マギィ、まぎぃぃぃ」
「よしよし……どうしたんですか? どこか痛いのですか?」
ふるふると首を横に振るアイリーン。
「お腹が空いたのですか?」
「ううん」
「では、どうしたのですか? ご飯もまだ食べておられないでしょう? 旦那様も奥様も皆も心配していますよ」
「だって、だって……でんかが…………」
「今日は報告に行かれていましたね。そこで何か?」
とんとんと背中を叩かれ、少しずつ落ち着いてきたらしいアイリーンは、ぽつりぽつりとエドガーとの報告会での話を始めた。
「そんなことが……お嬢様はその依頼を受けられたのですね」
「だって、殿下に婚約者ができるなんて……当たり前に分かっていると思っていたのよ。むしろなんでいないのかと思っていたし、ひくっ」
「はい」
「いつも殿下と会っていると胸がどきどきして、痛くて、悲しくなってしまったりするからっ……きっとこれはベリンダ達の言う恋ではないと、恋心窃盗犯は冤罪だったかもしれないと思ったのに」
アイリーンは手元に置いていた本【愛とは何か? 今更知ってももう遅い】を見つめる。
「だけど、愛って、恋って、苦しいものもあるのね……わたし、エドガー様のことが、すきなのよ! すき、間違いなく恋だったのよ……」
そう言って再び枕に顔を埋めてすすり泣くアイリーンに、マギーは何とも言えない表情を浮かべる。
「お嬢様」
マギーがアイリーンの背中をさする。どう声を掛けるべきか迷っていた。
「フィリップはこんな気持ちだったのかしら? 張り裂けて死んでしまいそう」
マギーにも聞こえない小さな声で呟く。
アイリーンは再び【愛とは何か? 今更知ってももう遅い】に視線を向ける。
以前エドガーはこの本のあとがきが一番好きだと言っていた。昨晩丁度あとがきまで到達したこの本は、そのページのままだ。
【愛とは何か、恋とは何かを多角的視点で考えてきたが、本書は哲学、学問的なものであるからして、本書をつまらないと思ったものも多かったであろう。
そのような方は、何故この本を手に取ったのか? それは愛が何か気になったからであろうと思う。
そのようなあなたに言いたい。この本を手に取ったあなたは、まぎれもなく誰かを愛し、誰かに愛されているということを。あなたは本書を読むより周りを見渡し、あなたを愛し、あなたが愛している人を観察することの方が有意義であると私は思う】
今までのアイリーンにはこの言葉の意味は、本当の意味では理解できていなかっただろう。今の彼女にはほんの少しだけ、この作者の言いたかったことが分かる気がするのだ。だからこそ、彼女は涙が止まらない。
今まで、他の令嬢よりも沢山の時間をエドガーと過ごしてきた。好きな人を探したりもした。しかし、いざ彼に婚約者にしたい女性がいると言われると、これほどまでに衝撃を受けた。
きっと、自分が彼に最も近しく親しい令嬢だと、無意識にも思っていたのだろう。それが愚かなことだと気付けなかった。
(お母様の言っていたことは、こういうことだったのね。こうなってから気付くなんて……私は本当に駄目ね)
アイリーンは不思議な感覚だった。涙は止まらず悲しい気持ちで埋め尽くされているはずなのに、どこか冷静な自分がいるのだ。
「……マギー、大丈夫よ。やらなければならないことが沢山あるもの。明日には……元気になるから、今は」
「分かりました。後で部屋の外に軽食を置いておきますね」
マギーはアイリーンの気持ちを汲んで、そっと部屋を出ていった。
ありがとうございました!




