ファイル80怪盗プリンス現る!
よろしくお願いします!
王立図書館で開かれるドイル氏の初個展を見学するため、エドガーの迎えを待っているアイリーンは不安を感じていた。
彼女の手には、昨日届いた怪盗プリンスからの予告状。
(怪盗プリンスは本当に来るのかしら? 誰かの悪戯だったりして)
時間や手口など、悶々と考えているところに、馬車の音が近付く。
(あ)
侯爵家のものよりも大きい馬車が彼女の前に停まる。御者が扉を開けると、中から出てきたのはエドガーだった。
「おはよう、アイリーン」
「おはようございます」
「今日もとても可愛いよ。これもとても似合っている」
エドガーはにこやかに笑うと、アイリーンの全身に目を向けてから、そっと彼女の耳たぶに触れる。その表情はどことなく嬉しそうで、アイリーンは気付いていないが、頬が少し赤くなっている。
今日のアイリーンはマギーの勧めで、以前エドガーにもらったルビーのイヤリングを付けているのだ。
当のアイリーンは間近で見るエドガーに、どきどきと鼓動が高鳴るのを感じる。目が合わせられず必死に明後日のほうへ視線を逸らす。
「……エドガー殿下も何だかキラキラしていますわ」
「ははは、そうかな? さぁ乗って」
アイリーンの発言をさらりと流し、エドガーはアイリーンの手を取ると、彼女が馬車へ乗る手伝いをしてから、自分も一緒に乗り込んだ。
馬車の中では対面に座っている二人。
(ううっ、どうしてかしら。殿下が可愛いって言ってくださることは今までもあったのに、何故なの? 胸のドキドキが止まらないわ)
最近のアイリーンはエドガーの顔を見る時に、今まで以上にドギマギしてしまう。
(な、何か話題を……あっ)
そわそわと落ち着かない様子のアイリーンだったが、思い切ってエドガーに話しかける。
「さ、最近とある本を読んでいるのですが、難しくて、すぐに眠くなってしまうのです」
「へぇ、何の本?」
「れ、恋愛哲学の本ですわ。王立図書館でランキングに載っていたものです」
「ああ、恋愛哲学……もしかして、【愛とは何か?】という本じゃない?」
アイリーンはきょとんと目を丸くする。
「そうなんです! でもどうしてわかったんですか?」
「実はあれ、私も読んだことがあるんだ。図書館であのランキングに惹かれてね。で、どこまで読めたの?」
「まあ! そうだったのですね。実はまだ三分の一ぐらいです」
「ふふ、まだまだだね。難しい内容が書いてあるから、意味が分からなくてもいいと思うよ。正直に言うと私も作者のあとがきの一文が、一番しっくりきたよ」
「どんな文なのですか?」
アイリーンが首を傾げると、エドガーは悪戯っぽく笑う。
「ひ・み・つ。頑張ってそこまで読んでみて」
「わ、わかりました」
それから先日の新聞に載っていた【シャーリーシリーズ】の小説の話で盛り上がると、流れで今日の個展についての話題に移った。
(今なら言える!)
アイリーンは「実は――」と、新聞に挟まっていた予告状を取り出す。
彼女の説明を聞いたエドガーは考えるような仕草をする。
「――なるほど。予告状……その怪盗プリンスは、個展で絵を狙っているんだね?」
「そのようですわ」
「ふむ。今日は生憎怪盗から絵を守るような人数の警備は連れてきていないから、司書騎士にも手伝ってもらって警備を固めよう。いいね?」
「はい」
「それにしてもアイリーンの元に届くということは、君への挑戦状のようなものなのだろうね。心当たりのある人物はいないのかい?」
「挑戦状かもしれないというのは、私も思っておりました。でも怪盗プリンスの心当たりは全くありません」
エドガーにそう言ったアイリーンだったが、内心では心当たりのある人物がいる。彼女が怪盗プリンスと呼んでいる人物がいるのだ。
(まさか殿下のことを怪盗プリンスと言っていたなんて、殿下が犯人なのではないかと疑っているなんて……言えない)
それぞれの思惑を抱えたまま、馬車は王立図書館へと進む。
王立図書館についた後、館長と出版社の人だという女性に挨拶をした二人。
「お初にお目にかかります。ドイル先生の編集をしております、ロビン・ウォーカーです」
「ああ。今日はよろしく頼むよ」
エドガーは挨拶もそこそこで切り上げ、館長に予告状の件を伝える。
「分かりました。ギャラリーの警備に何人か手配しましょう」
館長はいつものように、にこやかに快諾して、警備を固めることを司書騎士達に告げる。
集められた司書騎士達と館長を含めていくつか打ち合わせを行い、配置を決めたところでようやくエドガーとアイリーンは、案内役のウォーカー編集と共に、個展の見学をするため二階のギャラリーへ向かう。
「ここは任せて私たちは個展を見て回ろうか。何が盗まれるのかは分かっているけれど、怪しいものもあるかもしれないからね」
「はい」
「ご案内致します。どうぞ、こちらです」
図書館の二階にあるギャラリーの扉を開けると、その先の光景にアイリーンは歓声を上げる。
「うわー!」
手前にはショーケースが並んでおり、ドイル氏が実際に使用しているものや資料が展示されている。奥の方は絵や直筆原稿などが飾られているようだ。
アイリーンは目を輝かせてあちらこちらと飛び回る。
「わ! これがドイル先生の資料! ホームズはこんな犬だったのね!」
「喜んでもらえてよかった。ゆっくり見て構わないよ」
「ありがとうございます! まぁ! このお菓子! お兄様の好きなものと一緒だわ! 執筆の休憩にドイル先生が食べられているなんて知らなかったわ」
くるくると表情を変えながら展示を見て回るアイリーンに、エドガーの顔もほころぶ。彼のほうは展示を見ながらも時計と周囲の警備へも視線を向けていた。
アイリーンとエドガーがゆっくり話をしながら展示を見る。ようやく予告されていた絵のある奥の展示品の所までやってきた二人は、直筆の原稿や各本の表紙になった絵を眺める。
「あら?」
直筆の原稿を見ていたアイリーンはふと既視感を覚える。
(この字の癖、どこかで見たことがあるような……)
アイリーンは思い出せそうで思い出せない、何か魚の小骨が喉に引っかかるような違和感を感じたが、すぐに気のせいと思い直した。
(ファンとして、ドイル戦線の正体を詮索することは良くないわ。やめておきましょう)
そしてすべての展示を見終わり、予告のあった絵が無事であることを確認した後、二人は一度ギャラリーを出た。
休憩をして警備を見ようとギャラリーに戻ろうとした、その時。
ギャラリーの前にいた警備が消えていた。
「あれ? 兵は?」
アイリーンとエドガーは顔を見合わせる。
「嫌な予感がします」
「急ごう。開けるよ」
エドガーが扉を開けると、部屋の中には倒れた警備兵たち。そして奥の絵があるあたりに黒っぽい何かが動いている。
「な! 殿下、絵の所に誰かいます!」
「何者だ!」
黒いマントを羽織り、マントと同じ色のシルクハットをかぶった誰かが二人のほうを軽く振り返る。その目元は白い仮面で覆われていた。
(仮面? まるで怪盗貴族みたい)
アイリーンがあっけにとられているうちに、マントの男は颯爽と空いていた窓から外へと出ていってしまった。
「待ちなさい!」
アイリーンが追いかけようと足を出したところ、「アイリーン!」と叫んだエドガーが彼女の腕を掴む。
「もう間に合わないよ。それよりも絵の様子と兵の無事を確認しよう」
「そうでしたわ!」
「アイリーンは絵を。私は兵たちを見てくる」
「分かりました!」
アイリーンは急いで絵の元へと向かった。
大きな額に入った絵は特に変化があるようには見えない。探偵コートを身にまとったシャーリーと愛犬ホームズが描かれ、後方に怪盗貴族の後ろ姿が描かれている。
(さっき見た時と変わらない様に見える。盗まれてはいないみたいね。よかった……)
ほっと胸をなでおろしたアイリーン。そこにエドガーが声を掛ける。
「アイリーン、絵はどう?」
「無事だと思います!」
「うん。こちらの兵も眠らされただけのようだ。すぐに起きてきたよ」
「良かった」
安堵の息を零したアイリーンだったが、すぐに表情を引き締める。
「今の人物が怪盗プリンスでしょうか」
「おそらく、間違いないだろうね。さ、彼らに事情を聞くのは後日にしよう。アイリーンも今日はもう帰ろう。送っていくよ」
「……はい」
捜査の不完全な印象はあるものの、それ以上何も言うこともできず、個展見学はお開きとなったのだった。
読んでいただきありがとうございました!




