ファイル78アイリーンの悩み②
よろしくお願いします!
誕生日会の夜から数週間が経過したが、アイリーンの心は一向に晴れなかった。
『エドガー王太子殿下に婚約者が出来たらどうするのですか?』
あの日の母の言葉がぐるぐると頭の中で浮かんでは消えまた浮かぶという困った状態だった。
(殿下に婚約者……どう考えても分かっていたことだわ。なのに、何故こんなにモヤモヤとするのかしら?)
マギーは普段より口数の少ないアイリーンを見て心配そうに表情を歪める。
(ここ最近、一体どうしたのかしら?)
彼女が見ている間もアイリーンはぼんやりしてアランに踏まれている。
「お嬢様、どうされたのですか?」
「……ねえマギー」
「はい」
「愛って何かしら? 恋っていったい何?」
「えっ?」
アイリーンの質問にマギーはきょとんと目を丸くする。
(ええ!? ホントに急にどうしたのかしら?)
アイリーンはマギーの驚きに気付くこともなく、とある一冊の本をじっと眺めている。
寝そべったアイリーンの隣に置かれたその本は、コバルトブルーの鮮やかな装丁で表紙に【愛とは何か? 今更知ってももう遅い】と書かれている。
アイリーンにとって、この本は特別なものとなっていた。
エドガーに恋心を盗まれてから、彼女は怪盗プリンスを捕まえることを目標に捜査をしてきた。
しかし、友人たちの恋の話を聞いていると、どれも、ベリーの様に甘酸っぱく、綿あめの様にふわふわして、口に含めばたちまち幸せになるようなもので。
(私は殿下を見るだけで楽しいのよ。探偵だってもとは怪盗プリンスの捜査をしたくて、シャーリーみたいになりたくて始めたのよね。追いかけてみたかっただけ。だから王太子妃が誰になってもおめでたいし関係ないと思っていた)
恋とはベリンダ達の様に甘酸っぱいものだと思うと、アイリーンは、エドガーは冤罪かもしれないと思う。
なぜなら、最近のアイリーンはエドガーを見ると、むず痒くなったり、動悸が早くなったり、時にはきゅっと苦しくなって、胸の中にほろ苦いチョコレートみたいな気持ちを感じるのだ。これは、思っていた恋とは違うもののような気がした。
(殿下は冤罪かもしれない、って思っていたのよ。だけど、レティシア様と会ってから――)
レティシア王女の想いを知って、フィリップの想いを知って――全ては理解できなくても、アイリーンは二人の間にあった確かな絆を見たと思う。
本当にこれでよかったのか? 二人には違う未来があったのではないか。度々夢の中で、彼女は自分自身に今でも問いかけていた。
(まだ恋も愛もよく分からないけれど、きっとレティシア様とフィリップの気持ちが分かるようになれば、どうして殿下を見るとモヤモヤするのか分かる気がする)
アイリーンはコバルトブルーの表紙をなぞり、ぱらりとめくってみる。
二人の思い出が詰まったこの恋愛哲学書を最後まで読めば、愛とは何かを理解できるようになるのではないか、アイリーンはそう思って本を借りてきた。
(でも、難しいのよね。二ページ読んだら眠ってしまう本なんて初めてだわ)
本を読み終わるまではまだまだ時間がかかる。アイリーン自身が決めたことではあるが、ページ数が多すぎてげんなりしてしまいそうだ。
「はぁ、愛って何なのかしらね……」
主の奇行を一部始終見ていたマギーは、何かを悟った表情で部屋を出る。
(今のお嬢様には考える時間が必要なのですね。頑張ってください、お嬢様! マギーは陰ながら応援しております)
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数日後、アイリーンは悩んだ気持ちを抱えたまま、エドガーとの定期報告会に赴く。
「待っていたよ。アイリーン。誕生日パーティー以来だね」
エドガーは誕生日パーティーの時と変わらない優しい微笑みで、彼にだけスポットライトが当たっているようにキラキラと輝いているように見える。
(は~、本当にいつも素敵だわ。どうしてあんなに輝いて見えるのかしら?)
アイリーンはエドガーに見惚れながら、最近の捜査内容について報告した。
「ふーん、なるほど。最近は平和なようでよかったよ」
「そうですね。探していた猫も見つかりましたし、特に事件もないようですわ。あとは王立図書館での子供たちの職業体験が好評だったようで、工場やパン屋、出版社、テーラー、喫茶店などから体験しないかとお誘いがありました」
「それはいいね。アイリーンの頑張りのお陰だ」
「いえ。皆が一生懸命に働いてくれたからですわ」
和やかに報告を終えると徐々に二人の会話は雑談に移っていく。
「そういえば、アーサーから連絡はあったかい?」
「いいえ。誕生日に手紙が届いただけです。私はお兄様が領地に行くというのも全く知りませんでした。お兄様ったら挨拶も出来ていませんの。置手紙だけで」
「そうだったのか」
「ええ。父と母は知っていたようですが、私は全く知りませんでした」
せっかくなら別れの挨拶がしたかったと、口をとがらせるアイリーン。エドガーは質問をする。
「その手紙は見たのかい?」
「はい。誕生日おめでとう、プレゼントを用意したと書いてありました。でも、プレゼントらしきものは届いていません」
そう言うとアイリーンは兄の手紙を思い出す。綺麗だが少々ペン先の払いに癖のある太めの字は、アーサーが字を書く時の特徴で、間違いなく兄からの手紙だと思ったのだが、同封された品もなければ、今のところプレゼントも届いていない。
「へぇ、不思議だね」
「はい。お兄様が書いていて忘れる、なんてことはないと思うのですが……まぁ戻って来られてから一緒に買いに行くという意味かもしれませんし、分かりませんが」
アイリーンはよく分からないと肩をすくめる。そんなアイリーンにエドガーは微笑むと、ある提案を切り出した。
「そうか。では私と一緒にドイル氏の個展を楽しもうか」
「あっはい!」
誕生日パーティーでエドガーからもらったチケットのことだ、アイリーンはすぐに合点がいった。
個展は明々後日から一週間行われる予定になっている。人気でチケットの倍率がすごく高いようだ。
「私達は明後日、公開前日に行くよ。当日は貸し切りの予定だから、ゆっくり見られるはずだ」
「公開前日だなんて! 準備が大変だったのではありませんか?」
「王立図書館の職員やドイル氏には少し頑張ってもらったかな」
「まあ! 今度お礼を言わなくてはいけませんね。素敵な誕生日プレゼントをありがとうございます!」
「喜んでもらえたなら良かったよ。当日は迎えに行くから」
「はい! お待ちしております」
最初のぎこちなさを忘れたらしいアイリーンの嬉しそうな表情に、エドガーも笑顔を見せるのだった。
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