ファイル56決戦! 聖なる日の茶会③
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アイリーンを含めその場にいる貴族たちには、表に出さない衝撃が走った。
釘付けになっているのは、威風堂々と貴族たちの前に立った王太子エドガーの衣装。
この聖なる茶会での仮装を義務付けたのは、他ならぬエドガー殿下だ。
参加している貴族たちは、てっきり彼が【シャーリーシリーズ】のヒーロー怪盗貴族に仮装するものとばかり思っていた。
招待状ではシャーリーの衣装は禁じられていたが、怪盗貴族については記載がなかったにもかかわらず、この会場内に怪盗貴族の衣装を着ている者はいないことが、それを物語っている。
(エドガー殿下は仮装をなさらないのね。この白い正装も素敵なのだけど、漆黒のマントと仮面も見てみたかったわ)
ちょっぴり残念に思い肩を落としたアイリーン。
ふとエドガーが彼女のいる方を向き、ばちりと視線が合う。
アイリーンは彼が軽く口元を緩ませたように感じた。
(今、殿下と目が合って微笑まれたような? 気のせいかしらね)
エドガーはすぐに正面を向いてしまったので、アイリーンには偶然かどうかも分からない。
エドガー殿下は堂々と臣下たちを見渡すと、正面を見据え、挨拶が始まった。
「皆、よく来てくれた。年を超える準備の忙しい中、参加してくれたことを嬉しく思う」
貴族たちが殿下の言葉に合わせて礼を示す。
「皆も知っての通り、【名探偵シャーリーシリーズ】はこの国を代表する作品だ。シリーズを通して愛読している者も多いだろう。だが、その作者であるドイル氏と会ったものはいないだろう」
エドガーの言う通りドイル氏は、今この国で最も有名であり、謎に包まれた作家だった。
ドイル氏はこの【シャーリーシリーズ】がデビュー作であり、それまでは全くの無名。
デビュー当時に少し流れた噂によれば、どこかの貴族が趣味で書いたものを、偶然王族の目に留まり大変気に入られたことで出版が決まったのだとか。
それも信憑性のある話か不明である。
貴族なのか平民なのか。性別、年齢、名前——あらゆることが謎に包まれた作家、それがドイル氏だ。
世間ではそんな謎めいた部分も好意的に受け取られている。ミステリアスな作者自身に惹かれてファンになった者もいるほどだ。それもまた【シャーリーシリーズ】の魅力の一つとなっていた。
「かの作者は、諸事情で握手会やサイン会には参加していないことは周知の事実だろう。そのため、今まで直筆サイン本は、存在しなかった。しかし――」
貴族たちの中に興奮とざわめきが広がる。
(えっ! まさか、まさかなの!?)
アイリーンは期待に高揚した表情でベリンダを見る。ベリンダもまた彼女と、同じよう瞳をキラキラさせている。
エドガーは勿体ぶったように間をおいてから、にやりとした笑みを浮かべて口を開いた。
「この度、特別に初版本へのサインを許可してくれた! 後程、今年最も運のいい者に、この本を贈ることとする!」
「なんとっ」
「素晴らしい!」
「これは是非手に入れたいものですな」
人より珍しいものを手に入れたいという貴族たちの心を刺激する、世界でただ一冊のサイン本。
いたるところからごくりと喉を鳴らす音がするようだ。会場の熱気が高まった。
(サイン本……欲しいわ……一体どうやって当選者を決めるのかしら?)
生粋の【シャーリーシリーズ】マニアであるアイリーンは、食い入るようにエドガーを見つめている。
見つめられているエドガーの方は、実は会場に入った瞬間からアイリーンを確認しては、時折視線を送っていた。
サイン本の話題から彼女の視線が、あまりにも熱烈になったので、内心笑いをこらえているのだが、そんなことは会場中の誰も知る由もない。
アイリーンの隣では、ベリンダがサイン本を想像して、頬を押さえてうっとりとした表情を見せていた。
「茶会の途中で、最も強運な者を選ぶ方法を伝えたいと思うので、それまでは各自歓談を楽しんでくれ」
エドガー殿下のお言葉が終わると、すぐさま彼の周りには人だかりができ始めた。お付きのクラウスと共にその姿はあっという間に見えなくなった。
アイリーン達はそんな様子を少し離れたところから眺めていたのだが、アイリーンは周囲を見て、兄の上着の裾を掴むと、二度ほど引っ張った。
「お兄様、殿下へのご挨拶はいいの?」
「あーいいって。後で。しばらくあのままにしとけ」
「? 分かりました」
アイリーンは、よく分からないといった表情で小首をかしげると、ベリンダとのおしゃべりに戻って行った。
アーサーは、そんなアイリーンを見てからエドガーを一瞥すると、彼と目があった。
(シャーリーの衣装について、さっさとアイリーンに説明してなかったお前が悪いぞ。しばらく令嬢に絡まれて困れ)
そんな思いでアイリーンとの挨拶を後に回したアーサー。彼らの視線は、一瞬のやり取りであったが、正しく彼の意図を読み取ったエドガーに不機嫌な目で睨まれる。
(後で覚えていろよ)
視線を外したアーサーの後ろ姿にエドガーの視線が突き刺さる。
アーサーの方は視線に気付かなかったことにして、楽しそうにサイン本について話しているアイリーンに視線を移す。
「エドガー殿下は噂通りの寵愛ぶりなのですね」
アーサーの隣で一部始終を見ていたオスカーが、くすくすと笑いを零す。
「妹が変なのに好かれたら兄として守るだろう?」
「変なの……ですか。反対されているのですか?」
「いや、反対はしてない、けど回りくどいんだよ。当の本人は、無自覚なお子様だから気付いてないし」
「ふふ。——まあ、確かに伝わってこその想いというものですね。でも、見守りたくなる魅力があると思いますね」
オスカーの瞳がアイリーンとベリンダを映す。
アーサーがオスカーを一瞥する。
「そうか。——ああ。フォスター家が付くってことはそうか。まぁ二人が上手くいったらよろしく頼む」
「ええ。もちろんです。フォスターの血に誓って、王太子妃様をお守りいたします」
アーサーとオスカーはそれ以上言葉を交わすことなく、優し気に妹たちを見ていたのだった。
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