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5. 赤井と人形


 その日の放課後、俺は再び逢坂さんの荷物を手に校舎を歩いていた。

 まだ明るい窓の外からは、今日も励む運動部の声が聞こえてくる。

 

 隣を歩く逢坂さんは申し訳なさと不満が混同したような表情で、頬を風船のように膨らませていた。


「わたしが自分で運んでいくからいいのに」

「だったら階段はもうちょっと慎重に降りてくれ」

「それは赤井くんの言う通りなんだけど……いじわる」

「はいはい、いじわるでいいから」


 彼女が一人で向かおうとしていたのは、そして今いるのは本校舎の脇に建っている部活棟──通称サブ棟だ。

 俺たちが授業を受ける校舎は対応してメイン棟と呼ばれている。


 サブ棟には文化部を始めとしてたくさんの部活が入っている。

 また、図書室などその他授業用の教室もいくらかはこの中だ。


 学校を帰ろうとしていたところ、逢坂さんがサブ棟へ二階の渡り廊下を通ってふらふらと向かっているのを目撃した。

 自分のことを自分でするのは立派だと思うが、他人を使うことも覚えればいいのに。

 そう思ってしまうのはお節介だろうか。


 最初はぶぅぶぅ言っていた彼女も次第に楽しくなってきたのか、俺に話しかけてきてくれた。

 そんな中、思い出したように口が開かれる。


「そうだ、三人で遊びに行くことなんだけどね」

「あー、そのことについてなんだが、ちょっと考えさせてほしい」

「え」


 ぴきりと音を立てんばかりの勢いで逢坂さんの身体が固まった。

 かと思えば「そっか」と呟いて寂しそうにうつむく。


 これ勘違いされてるやつだ。


「……そうだよね。急に誘っちゃってごめんね」

「いや、断るつもりじゃなくてだな」


 かくかくしかじか事情を説明すると、すぐに笑顔が戻ってきた。


「よかった。一緒に遊びに行きたくないわけじゃないんだ」

「勘違いさせたら悪かった。でもやっぱりお互いのことを知らずに行っても、気を遣うだけじゃないかと思って」

「そっか……じゃあお互いの好きなことを知らないとね」

「俺もか?」

「わたしも赤井くんと仲良くなりたいもん」


 はにかみながら言われたら仕方ない。

 そんな会話をしていると、すぐに逢坂さんの足が止まる。


 どうやら目的地についたらしい。

 思ったより短く感じた原因は距離だろうか、それとも弾んだ会話だろうか。


「ここが手芸部だよ」


 いつの間にか手に持っていた鍵を使って教室を開け、逢坂さんは中に入っていく。


 漂ってくるどこか甘い香りをかき分けて後を追うと、目に入ってきたのは教室の後ろ半分に押しこまれた机。その上に乗せられたいくつもの編みぐるみや編み物が俺を出迎えてくれた。

 みんな思い思いの糸で作られているのか、統一性はあんまりない。


「荷物はそこに置いてね」

「了解っと」


 前半分に点在する机の一つに袋を置く。

 腕から重さがなくなった俺は、息を吐いて手を振った。


「誰もいないな。数はすごいけど」

「週一回のミーティング以外はほとんど来ないの。作品を作ったら持ってくるぐらいかな。あ、でもわたしは毎日いるから、いつでも来てくれていいからね」

「何でまた。どうせなら逢坂さんもそうすればいいのに」


 思わず口からそんな言葉が漏れた。

 他人がやってくる可能性がそのまんま作業の邪魔と考えてしまうのだが。

 どうやら逢坂さんは違う考えらしい。


「持ってきたときに誰もいなかったら、みんなもその作ったものも寂しいんじゃないかなって」


 寂しい、か。

 昔から優しいな、逢坂さんは。

 そんな彼女の話を聞いて、俺は制服の袖をまくる。


 心優しい彼女の力になりたかったから。

 

「よし、ここまで来たら組み立て帰るわ」

「え、でも──」

「遠慮はなし。それともダメだったりするか?」

「ううん、一人でやるつもりだったから嬉しいけど……」

「じゃあさっさとやるぞ。二人でやったらすぐだ」

「う、うんっ」


 二人きりの教室で、逢坂さんに教わりながら組み立てていく。

 こういうシチュエーション、ラノベとかならもうちょっと色っぽい空気になるのだろうが、そこは残念ながら俺と逢坂さんだ。

 かつて一緒に遊んだことを身体は覚えているらしく、自然と息の合った動きでトンカントンと組み上がっていく。


「このパーツはどこのだ?」

「えっとね、屋根のてっぺんかな」

「じゃあこれは?」

「三階の右だよ。あ、カイくん。そっちのネジとってくれる?」

「ほい、一本でいいのか?」

「あ、ちょっと待ってね……三本かな」

「了解」


 なんて会話をしながら組み立てること数十分。

 やがて一通り終わった頃には、三階建てのドールハウスが出来上がっていた。

 

 逢坂さんもふぅ、と額に浮かぶ汗を拭いながら一歩引いて全体像を眺める。


「あっという間に終わっちゃった」

「二人でやったらこんなものだろ。逢坂さんの手際も良かったしな」

「作るのは得意なんだよ、えっへん」


 彼女はふんすと腕まくりをしてみせた。

 健康的な肌が目に眩しい。


 自分で得意と言うだけあって、彼女は俺が一つの作業をしている間に二つ、三つと終わらせていた。

 やっぱり普段から何かを作っている人は手慣れているのだろう。


「カイくん、ハイタッチしよ。いえーい」

「嫌だ」

「ターッチ、ね」

「……ほら」


 にこやかな圧に負けて手を差し出す。

 怠惰と羞恥が混ざったその動きはパンと小気味のいい音を鳴らさず、ぺちりと手のひらをくっつけるだけになる。

 って、ちょ、これって。


 朝の布団のような離れがたい温かさが手から伝わってくる。

 事態を理解した心臓がばくばくと早鐘を打ち始める。

 逢坂さんも気づいたのか、夕暮れでもないのに耳まで真っ赤に染めていた。


 いつの間にかカラカラに乾いていた喉をごくりと鳴らし、なんとか言葉を絞り出す。


「……これはハイタッチって言うのか?」

「た、たぶん?」

「……そうか」


 気まずい空気が手芸部室の中に流れる。

 いやいや落ち着け俺、相手はなのちゃんだぞ。昔はよくやってたことだし、俺はなのちゃんの運命の相手じゃないし──


「せ、せっかくだしお人形さんも乗せちゃうね」


 フリーズした俺を尻目に、彼女は手で顔を仰ぎながら彼女は持ってきた袋の中を覗く。

 が、すぐに首を傾げた。


「あ、あれ?」

「どうかしたか?」

「えっとね、確か三つあったと思ってたんだけど……あれ、あれれ?」


 袋の中から取り出したのは親指ほどの人形。

 今朝拾った、胸のところに花の刺繍が入っているものだ。


 逢坂さんの言葉を信じるのなら、それは本来三つあるはずのものなのだろう。

 しかし、彼女の手に握られているのは二つだけ。

 

 その意味に気づいたと同時に逢坂さんがこちらを見る。


「どうしよう、カイくん。お人形一つなくなっちゃった……」


 瞳には、じわりと涙が浮かんでいた。





 気がつけば住宅街の道路から見上げる空は今にも闇に包まれそうだった。

 まだ九月の頭だというのに、夏休みと比べるとだいぶ日の入りが早くなっているように感じてしまう。

 暑さはまだ色濃く残ってるのにな。


 胸元を掴んで風を送りながら、俺は屈んでいた身体を上げた。


「本当にここら辺だったよな」

「うん、この交差点のところのはず……」


 逢坂さんも草をかき分けていた手を止めて息を吐く。

 首筋を伝う汗や張り付いた服が妙に色っぽい。

 そっと目を逸らしながら、俺は彼女に尋ねる。


「そんなに大事な人形なんだな」

「……そうだよ。あれはとっても、とーっても大事なものなんだ」


 そう告げる彼女の顔はとても思い詰めているようだった。

 何か励ました方がいいのだろうか。

 でも、下手なことを言えば逆効果だろうし……。


 そんな時、逢坂さんのポケットからピコンと音が聞こえてくる。

 取り出したスマホを見た彼女は「あっ」と短い声を上げた。


「どうした?」

「お母さんから連絡が来て、いつ帰るんだーって。もうすぐ門限だから帰らないと怒られちゃうんだけど……」

「そういや厳しかったな、おばさん」


 普段は優しい人なんだけれど、ダメなことはダメとはっきり言う人だった。

 俺も母さんの代わりにたくさん叱られたのでよく覚えている。


「どうしよう……」

「先に帰ってていいぞ。俺が探しとくから」

「で、でも」


 逢坂さんは視線を落とす。

 次に視線を上げた時、彼女の瞳にはひっそりとした決意が浮かんでいた。


「ううん、大丈夫。こんな時間までごめんね」

「は? いやでも大切なものなんだろ。だったら──」

「いいの。多分これだけ探して見つからないんだったら、きっとダメってことだろうし。それに、今日見つからなくても明日なら見つかるかもだし」


 そう告げる逢坂さんには不思議なほど迷いがない。

 こっちを気遣っているだけなら無理やりにでも探すが、今の彼女には有無を言わさぬ覚悟のようなものが見えた。

 俺が頷くまでテコでも動かない、そんな頑固さだ。


「……はぁ、それでいいんだな?」

「ごめんね」

「謝るぐらいなら──いや、何でもない。じゃあな」

「うん、また明日」


 逢坂さんは少し固い笑顔で手を振った。

 俺はコンクリート塀に立てかけてあった荷物を取って自宅の方へ踵を返す。

 曲がり角を左に逸れるところでそっと振り返ると、街灯の下に彼女の姿はない。

 

 本当に帰ってしまったのだろうか。

 大切なものと言うにはあっさりしすぎているような。


 いや、おそらく諦めたわけではないのだろう。

 彼女自身も言っていたようにこの近辺は隅々まで探した。

 それでも見つからないのは誰かに拾われたのか運命の悪戯か。


 後者を信じるのなら、まだ明日の明るいうちに来た方が合理的だ。

 それは理解できるんだが……やっぱり妙に引っかかる。


 あの場に残るという選択肢を彼女は許してくれなかった。ただ、どうにも家に帰る足取りは重い。


「ん……?」


 そんな俺の目の前を、赤い糸がちらついた。

 右ポケットから糸を取り出す。


 赤い糸自体に変化はない。

 しかし伝わってくる想いは変わっていた。


 流れこんでくるのはじんわりと滲む水気と、鼻の奥をツンと突く感覚。


「……」


 俺はスマホからNINEを起動する。

 送り先は逢坂さん、ではなく父さんだ。


『今日ちょっと帰るの遅くなる』


 それだけ送って、俺は来た道を走って引き返した。

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