10話 職業である。それは器用貧乏。
ズン、ズンズンズンドコ 見習い♪
ズン、ズンズンドンゾコ ヒモです♪
おかしい。
盛り上がる曲を選択したはずなのに、テンションが下がる一方だ。
ちゃんと音程を合わせようとしているのに、キー音が少しずつ下がっている。
これじゃあ逆に盛り下がってしまうではないか。
ミレルさんの反応を見ればこの世界でもヒモという意味は通じるようだ。
紐を編む職人の見習いって意味で世界共通認識だったら落ち込むのは早いかもしれない。
しかし、ミレルさんがそわそわしている気配がする。
紐見習いの職人という意味で慰めようとしているのならそれでもいいが、どうにもそういう感じではない。
不名誉な称号でいたたまれなくなったのかミレルさんが声を発する。
「気にすることはないと思うよシリス君。まだ見習いって書かれているだけだし、完全な『女のヒモ』になったわけじゃないんだから!」
ガハッ!
跪いて頭を垂れていた俺は、吐血して完全にうつ伏せになる。
ミレルさんの言葉は、二重三重にも俺を傷つけ最後にクリーンヒットを喰らわせた。
慰め、励まし、意味の本質というトリプルコンボ。
もう一回で4連鎖だ。そしたらお邪魔ぷよが背中に乗っかって地面にめり込んでいくだろう。
しかし、地面に倒れ込んでいる状態でミレルさんの一言が頭を埋め尽くす。
見習いではなく女のヒモ、確かにそう言った。
ということはヒモの意味がこの世界でも通用する、ということに更なるショックを受ける。
てことはあれか?
ギルドカードを見られる度にあの人の称号って……指差されるのか。
早いところ部屋に戻って引き籠る準備をしようかな? さすがの俺でも子供にヒモ! って指差されたら精神が崩壊してしまう、
「シリス君がヒモじゃないってのは私は信じているから。だからさすがに起きてほしいかな。なんだか見ていられなくて……」
こう考えることにしよう。
ミレルさんにはバレたがまだ他の人には俺の称号はバレていない。そしてどうしても一つだけ気になることがある。それを聞いてから廃人になるか健全な状態に回復するか、二つに一つ!
「ミレルさん……、ギルドカードで他に気になったことは何かないですか? 何でもいいんです、何か、何かないですか?」
ゾンビのように伏せた状態のままミレルさんに向かって手を伸ばす。
スカートだったらスカートの中を覗けたかもしれないが、生憎のズボン。引き締まった小ぶりなお尻と太ももしか見えません。
眼福です。
「ほ、他ね? 他に気になったのは――ここかな?」
しゃがみこんで俺にもカードを見えるように目の前まで持ってきてくれた。本当に貴方はデメテルです、ヒモですみません。
「職業に書いてあるフリーター? こんな職業今まで聞いたことないんだけど、戦闘職か生産職なのかしら?」
何とも説明に困るところを攻めて来る。
今の質問を答えるとしたら、両方でありそのどちらでもないとしか言いようがない。
どんな職業でもつけるフリーターというくくりは、一種の万能職ではある。ではあるが、その実一つのことを極められない半端者。
ザ、器用貧乏とでも名付けようか。
世界も驚愕する出来事ほどではないが、こちらの世界でフリーターという職業がないのであれば仰天してくれること待ったなしだろう。
ただ、今の俺は昨日読んだ本と目の前にいるミレルさんぐらいしかこの世界の情報を知りえていない。調子に乗ってあることないこと吹き込むと、取り返しのつかないことになりそうだ。
例えば? そうだなぁ、戦闘から雑務までなんでもこなせる滅多になれない職業です!
ってな感じで言ったとしよう。
一番楽なのは、凄いの一言で終わること。
面倒なのは、それを証明しろ。もしくは物珍しさからこき使われ自由と程遠い生活を強いられること。
うつ伏せの状態だから無駄にエネルギーを使わず考えることが出来るが、この世界に来てから考えること多すぎ。
そのうち俺の頭髪がさみしくなって皆で拝んでくれる後光が差すんじゃないかと心配になる。
毎朝抜け毛が多くて悩んでいるんだから勘弁してよ……。
「どちらかといえば生産職でしょうか、色んな雑務をこなせる代わりにその職を極めることができない半端者ですが」
「半端者? それにしては……?」
何かを考えながらカードを俺の手元に置くとそのまま静かになる。
いつまでも土の香りを嗅いでいてもしょうがない。そろそろ起きてお勉強でもしましょうか。
「それでミレルさん、あとはご質問がないのでしたら昨日お話していた戦い方とやらを教えていただきたいのですが?」
「変わり身が早くてビックリね。でも昨日酔っぱらっていたと思ったのだけれど、覚えているのならあれはブラフだったのかしら?」
そんなことはありません、ありませんが弱みを人に見せると碌なことにならない。
ゆえに笑みを持ってお返しするとしよう。
「まぁいいわ。今のシリス君が戦闘をしたことのないのはレベル1で分かったし、少しは戦い方を教えてあげないとこの世界では生きてはいけそうにないからね」
え? この世界では生産職で生きている人が結構いるのではないんですか?
本には確かレベル1でも過ごしている人がいるようなニュアンスで書かれていたと思ったのだけれど……。
「この世界ではレベル1だと生きていけないんですか?」
「そんなことはないけれど、冒険者登録してしまったら流石にレベル1ではすぐに死んでしまうわ」
随分と物騒なお話だな、おい。
冒険者登録してしまったらレベル1はすぐに死ぬ? それはあれか?
ギルドは別名ブラック企業という構図が成り立つんだが、相違ないということでいいのかな? そこに放り込んだミレルさん、貴方は俺を殺す気ですか?
「さっさとレベルを上げるなら迷宮に入った方がいいんだけど、今は封鎖中だから入れないし……やっぱり森に入るしかないのかな?」
俺のレベルのことで何やら考えていただいているようですが、俺のトラウマになる言葉を発しましたよね。
やっぱり魔物との戦いでレベルを上げるのが普通なのか。
そうなると戦闘のせの字を教えてくれれば生き残る確率はグッと上がる。
醤油という五大調味料、意外と知らないサ行の一つ。
一つ一つ知っていれば意外と何かの役に立つこともある佐藤さんシリーズ。
君はどの歌で覚えるのが好きかな?
「一つ聞きたいのですが、ミレルさんはレベルおいくつなんですか?」
「私? 私は……まだ教えてあげられないかな」
「なぜですか?」
「そうね、一つ教えておいた方がいいことがあったわ」
ミレルさんが俺の胸を指差す。
「この世界では基本的に自身の強さを示すギルドカードを簡単に人に見せたら駄目よ。そのギルドカードは自身の現身、ごまかす事の出来ない自分を形作ったカード。相手に見られれば悪用もできるし、何よりも奪われれば自身の身分を証明することもできない。だから、見せる相手は充分気を付けてね?」
ミレルさんがポケットから一枚のカードを取り出すと、それは先ほど返されたはずの俺のギルドカードが指で掲げられていた。
慌ててミレルさんが指差した俺の胸。内ポケットに仕舞ったはずのギルドカードを取り出すと、そこにあったのは空欄で埋まっているギルドカード。
確認しなかった俺のミスだが、してやられた。
「これは一杯食わされましたね、……それで? 俺に何を要求されるおつもりですか?」
ポカンとするミレルさんだが、すぐに笑い声を上げる。
「ごめんごめん、そこまで警戒しないでほしいかな。今のは悪い例を実践しただけだからシリス君をどうこうしようとする魂胆はないよ」
はい、と言いながらギルドカードを俺に返すミレルさん。
カードを確認して、名前から見えている称号含めて間違いのないことを確認すると先ほどと同じように内ポケットに仕舞いこむ。
「さて、お話もここまでにしてシリス君の戦闘能力のチェックと行きましょう!」
右腕を上に伸ばしてポーズをとるミレルさんに、合わせて俺も右腕を上げて応じる。
警戒は必要だろう、それでも今はまだ表立って反発する時ではない。
だから、ミレルさんの頭で動く耳に目線が奪われても仕方のないことだ。
「まずは私と模擬戦してもらおうかしら? 動きとかそこらへんも見てみたいし」
「ミレルさんとですか? それは構わないんですけど、覚悟してくださいね」
「覚悟?」
「ええ、あまりの弱さっぷりに頭を抱えると思いますから!」
その場で構えると、ミレルさんは少し離れたところに立ってこちらを向く。
手を前に出してこちらを誘うように動かす。
「行きます!」
俺は拳を握ってミレルさんに突撃していった。
ラッキースケベがあったら嬉しいなと下心を持ちながら――ケモミミを触りたい!
―――――
シリス君が私と模擬戦を始めて数分が経過したかしら?
今もしきりにパンチやキックの攻撃を繰り出しているけど予想以上。予想以上に弱すぎる。
息の切れ具合から、シリス君が手を抜いているという可能性は極めて低い。
レベル1とはいえ戦いのイロハ、そして暴力とは無縁の生活をしてきたのだろう。
戦闘センスはない。これなら彼が言っていたフリーターという聞いたこともない職の説明に納得がいく。
しかし、私の持つ特技の一つがそれを否定した。
だからこそ武技を教える前に彼の実力を測ろうとしたのだが、これでは半信半疑になってしまう。
彼の眼の動きから、私を観察しつつ攻撃を繰り出しているのは分かる。
手が出るよりも先に物事を考えてしまうタイプ。
もしパーティーで考えるなら司令塔的な立ち位置が最適だけど……。私は前衛で戦う近接専門。
指示をしながらの戦闘は専門外なのだ。
しかし、知り合いに迷い人の彼を指導してくれそうな人物に心当たりがない。
かといって武技を教えることは出来ても、魔法を使えない私に魔法を教えることは出来ない。
う~ん、困ったな。
何をどう教えるのか内心悩みながら、彼が力尽きるまで攻撃を避け続けた。
―――――
数十分後。
俺は広大な青空を地面に寝そべって見ていた。
もう動けません、痙攣を起こすぐらいの運動に腕や足が意思とは無関係にピクピクしている。
全身痙攣でないのが唯一の救いか。
全身痙攣と聞けば、薬物中毒や心臓病。脳卒中や脳炎、あとは血糖とか電解質の異常が例に挙げられる。すべて危ない奴だわ、警察か病院の二択しか選べない問題って死にかけた犯罪者みたいじゃないか。
ドラマの観すぎかな?
そんな俺の様子を知ってか知らずか、ミレルさんは俺に立ち上がるように促してくる。
起きたくないではない、起き上がれないのだ。
もしミレルさんがスカートだったら禁断の花園が見えたのに、どうしてハーフパンツなんだ!
おみ足が見えるのは素晴らしいが、下心満載な男はその先を目指すんだ。そうヒーローを育成する学校の校訓と一緒さ。
でも今はその花園に気を裂くほど体調が万全とは言いがたい。
「ほらほらさっさと起きないと修行をつけられないから頑張って起きる」
「しゅ、修行ですか? 俺はてっきり戦い方を教えていただけるものかと思っていましたが」
「?? 教えるよ? だから修行じゃない、私が教えて君が聴く。立派な先生と生徒じゃない」
間違えていない。
確かにそうだ、こればっかりは俺の考え方が甘かったと言うべきか。
人に教えを乞う以上、そのやり方は自分が勝手に思い描いていた通りに行くはずがない。
勝手に話を聞いてそれを自分のペースでやる? それを許されるのは自分一人でやるときぐらいだろう。
ましてや、今回のことは俺からミレルさんにお願いした形だ。そこに不平不満をぶつけて文句を言うのは筋違い。
随分と甘ったれた考えをしていたものだな、俺も。
「すみません、俺が間違えてました。確かにそうですね、それでミレル先生? 俺のへなちょこパンチはいかがでしたか?」
「へなちょこパンチって――まぁあながち否定できないのが辛いところなんだけど」
少しはオブラートに包んでくれればダメージが少なく済んだんですけど。
自分で戦いの才能がないのは分かっていたから、スーパーボールが壁にぶつかる衝撃ぐらいのダメージで済んだかな。
全力投球じゃないからね? 遊ぶ時ぐらいの軽く放って、跳ね返ってくるくらいの力加減だから。
むしろあれで才能があるとか言われたら胡散臭いからね。
逆に安心した。
「さっきの戦い方を見る限りシリス君に戦いの才能はないわ。いいところ後衛で補助に徹することが出来ればいいというレベルね」
「補助ですか。それはいわゆる魔法を使って味方の支援という考えでいいのですか?」
「ううん、違うわ。シリス君が魔法を使えるかは置いておいても、基礎能力が低すぎるシリス君では簡単に敵の攻撃を受けて戦線離脱してしまう。それに補助というのは名目で、シリス君はリーダーがいいと思うの」
これまた突飛な。
「俺にお山の大将を気張れと、そうおっしゃるんですね?」
「最初はそうね、それが嫌なら強くなるしかないんだけど」
狸め。
彼女の種族は犬人族だけど、見えない狸でも飼っているんではないだろうか?
しかしリーダーをやれときたか……今の心境を一言で表すと?
面倒臭い。
誰が水泳選手の一言を言うか、あれは死語や。
でも俺に戦う才能もないし、うむむむ。
「でもリーダーをやるにもいろいろと特技が必要だから、今回は自分の身を守れるように最低限の力を身に着けようか」
待って、ちょっと待って。
後半にツッコミを入れたいけど前半にもモノ申したい。
リーダーをやるのに特技が必要? 何、そのカリスマがないと人の上には立てませんよというノリ。
「ミレルさん、リーダーになるには特技が必要とおっしゃっていましたが――もしかして特技を持っていないと職業につけないんですか?」
「そうだよ? この世界では16歳になると、自分が持っている特技に応じた職業になるの」
俺の職種は?
フリーターという職のようで職でないものについている私、特技がないのに職に就いているのはこの世界では変じゃないのか?
「今シリス君が考えているのは、特技がないのにどうしてシリス君には職業が発現しているのか? さっき私が言っていたことと矛盾している、かな?」
「ご明察です」
「それはシリス君が迷い人であることに関連しているの。異世界から来た人は、この世界の職種と照らし合わせて異世界でついていた職業に近いものを最初から持っているの」
近いどころかそのまんまなんだけど、その辺はいかがなんでしょう異世界さん?
ただし、一つだけ違和感は残る。
この世界に近い職種、それがフリーターという形で現れたということだがミレルさんはフリーターという職種を聞いたことがないという。
考えられるのは俺の頭では2、いや3つほどある。あるけれどいくつもの仮定を増やし続けると、容量の小さな俺の脳みそではパンクしてしまう。
「それで異世界から来た人。開門者って呼ばれている人と、迷い人のシリス君は基本的に特技を覚えていないんだけど、ついている職種の補正であっという間に関連している特技や武技。稀に魔法も覚える人がいるんだけど……ごめんね。シリス君の職種は聞いたことがないからどんな特技を習得しやすいか予想もつかないの」
特技にどんな種類があるか分からないから断言はできないけど、なんでも覚えそうな有名職だと自信をもって言いたい。
次から次へと面倒なことになりそうだから絶対言わないけど。
ぐぅ~。
可愛らしい腹の虫が鳴いたぞ。この鳴き声は、俺の腹だぜ。
「動き回ってたらお腹がすきましたね、何か買ってきますよ」
「そしたら私のもお願いしようかしら? 串焼きでいいからこれでお願い」
そうして渡してもらったお金は銅貨3枚。
これ銅貨1枚100円とした場合300円となるが、先ほどの買い物を見ていた俺はもう一枚の銅貨を要求する!
「ミレルさん銅貨3枚だと串焼き3本じゃないですか、ここはお互いに2本ずつにしましょう。もう1枚銅貨を貰えれば串焼き5本買ってきますから」
「シリス君、言っていることが無茶苦茶なんだけど気付いてる?」
「単純ですよ、ミレルさんが買ったお店以外でいいところを見つけていたのでそこからむしり取ってきます」
「犯罪は駄目よ?」
いい笑顔で返す俺にため息を吐くミレルさん。
人のことは言えませんけど、ため息ばかりついていますと幸せといい男が逃げていきますよ。
私? 勿論、私はどこまでもついて行きますとも。