6
我が目を疑う。どれほどの魔物が出てくるかと思えば、まさか人間が出てくるとは。
いや、この人間の女が魔物に追われて先に出てきたかと一瞬考えたが、そうではない。現に、強大な魔物と勘違いしたほどの存在感は、眼前の女から今も確かに放たれている。
レグが困惑して固まっている間に、女は驚いたような顔をして何事かをこちらに話しかけてくる。しかし、何を言っているのかがわからない。
共通語でもなければ、人間の街で聞きかじったことのあるどの言葉とも違うようで、どう反応すればいいのかわからない。見たことがない特異な衣装といい、言葉といい、どこか遠くの国の出か。
だとしたら、一体なぜ女一人でこんな場所にいるのか、見当もつかない。あの衣装は街の神職の者が纏う衣装に似通った、神性とでもいうべきものを感じる。とすればそれを着るあの人間は平民ではないだろう。では仮に貴族として、貴族の人間の女、それも神職であろう人間が、なぜ供も連れずに荷物もなく、一人でこんな場所に。
考えれば考えるほどに頭が混乱する。取り敢えずは、何を言っているのかはわからないが、話に応じるべきかと、レグは共通語で人間に話しかける。
「俺の名はレグ=ジガ・ゾル。言葉は分かるだろうか。貴女は一体何者だ、どうして一人でこのような場所にいる」
女はレグの問い掛けを聞いても首を傾げるばかり。この大陸の主要な国々で用いられる共通語が通じないとなれば、いよいよ出自がわからなくなってくる。
女は暫くレグを観察するような視線を向けながら考え込んでいたようだが、何か結論に至ったようで、小さく呟いた後に、また何事かを話しかけてきた。そしてその後、腰を落として右足を引き、拳を構え、実に凶悪な笑みを浮かべた。
事ここに至って、未だレグは剣を構えていたことに気づく。警戒されてしまったか。慌てて剣を鞘にしまい、戦う意思はないと誤解を解こうとしたが、既に女は動き出していた。
女は十五歩ほどもあった彼我の距離を、川原の不安定な足場をものともせずに、飛ぶように一瞬にして詰めると、身を縮めて懐に潜り込み、全身をバネとして鋭い掌底を打ち上げるようにレグの顔に向けて放った。
レグは咄嗟に鞘に入れたままの剣の腹で掌底を受ける。人間の手から出るとは到底思えない、鉄で鉄を思いきり殴りつけたような激しい音が響き、あまりの衝撃にレグの体が中に浮く。追撃に腹に叩き込まれた回し蹴りにより、レグは川を飛び越えて対岸に吹き飛ばされた。
「ぐ、ふっ…!!」
内蔵が圧迫され息が詰まる。砂利の上を転がり続け、一際大きな岩に体を打ち付け止まると、どうにか手放さずに済んだ剣を杖代わりにして、立ち上がる。
どうやったらあの細腕からここまでの破壊力が生み出されるのか、初撃を受け止めた鞘には拳の跡が残り、そこから放射状に罅が入っている。それに続く蹴りの威力は、もし普通の人間が受けていればともすれば致命の一撃だっただろう。
忘れていたわけではない。ただレグは、あの一見戦う力を持たなそうな女が、その身が放つ気配に相応しい力を持つことが信じられなかった。あの細身で、女はトロルに倍する強さを秘めている。
女はレグに追い打ちをかけるでもなく、何かを確かめるように先程の攻撃の型をなぞって繰り出している。まるで新しい武具に慣れるための素振りのようだと、レグは警戒しながらも思った。
何度か同じ動作を繰り返し、満足したのか、女は再びレグに向けて構えを取って何事かを話しかけてくるが、やはり言葉がわからない。しかし、放たれる気配が膨れ上がったのはわかった。
油断していると瞬時に懐に潜り込まれる。出会い頭の再現のように、しかし両者の距離は川を挟んでいたときよりも離れている。そう易々とやられてなるものかと、レグは警戒心を最大にして、その一挙手一投足を見逃さないようにして、
そして、気づけば目の前に女がいた。
「なっ」
頭を叩く激しい衝撃を最後に、レグの意識は途絶えた。