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その後は大変だった。黙ってレグを見下ろす親方に何事かと集まる職人たち、慌てて後を追ってきて土下座するレグを見つけて混乱するレドと土下座したまま顔も上げないレグ。誰もが状況を把握出来ていなかった。
レグは、その体勢のまま話を続けた。
「俺は、あの剣に惚れたんだ。あの剣の輝き、魅力に。俺もあんな剣を作りたい。だから弟子にしてくれ」
蜥蜴人の言葉は彼らの特有のもので、人族には発声すらできなければ、そもそも言葉を喋っているのかすらわからないようなものだ。親方がレドを見やると、レドが気づいてレグの言葉を共通語に翻訳して彼等に伝える。
「こんなことを言ってるが、いいのか」
親方が腹に響くしゃがれ声でレドに訊ねる。しかし、レドにしても急なことで判断のしようもない。
元々、人間の街にレグを連れてきたのは、将来里の長となるかもしれない立場として、他の種族のことを知っておかなければならない、という理由からだ。それが急に鍛冶師になりたいと言い出して、すぐさまいいぞと頷けるわけもない。
レドはレグを立たせようとするが、弟子入りが叶うまで頑として動かないと言う。
共通語を覚えていないのでは意思の疎通は出来ないだろうと言えばここで働きながら覚えると言う。まだお前は子供だと言えば人間の子供も働いているのを見た、なら俺だって働けると言う。
今までわがままの一つも言わなかったレグのこの有様に、レドはほとほと困り果てた。里では厳しい族長としての姿を見せるレドだが、息子には弱かった。
親方がまたレドに何を話しているのかと聞く。レドは今の会話をそのまま訳して伝えた。
親方は顎髭を撫でながら少し考えていた様子だったが、レグに顔を上げさせると、こう言った。
「部屋なら一つ余っている。下働きで雑用をこなしながらであれば給金も出そう。だが、少しでも甘えりゃあすぐさま叩き出すぞ。てめぇらも油売ってねえで仕事に戻れ」
脅すようにそれだけ言うと、親方は腕を組んで興味深そうに成り行きを見ていた職人達を睨んだ。職人達は少し驚いたような顔をしていたが、親方に睨まれると慌てて持ち場に戻っていった。
レグは何を言われたのか分かっていないので、レドの方を見る。レドは苦りきった顔で親方の言葉を伝えた。レグはきらきらとした目で、いいのか、とレドに聞いた。
族長の後継にはレグの兄達がいる。レドとしては里に帰って一緒に暮らしたかったが、初めてのレグの我儘と成長が嬉しいという思いもあった。二つを天秤にかけ、レドはゆっくりと頷いた。レグは歓喜し、再び親方に頭を下げた。
それから十数年の月日が流れた。
親方の元で修行し、十年にして一人前と認められたレグは里に戻り、工房を開いた。今は、一振りだけ打てた魔剣を腰に下げて、川の上流へと鍛冶の材料の調達に赴いている。
今まで里に鍛冶師がいなかったために、ここら一帯はレグからすれば手付かずのお宝の山だった。ともすれば、鉄ぐらいならば川をさらうだけでも手に入るほど。
(しかし、今日はどうにも様子がおかしい)
川には獣や魔物が水を求めてやってくるが、戦闘になることは少ない。魔物の中でも好戦的なものと運悪く出くわせば戦うこともあるが、それも滅多なことではない。この日は皆殺気立っていて、斬った数は両手の指に収まらない。
この調子では材料の調達どころではない。山で何か異変が起きたか。強い魔物が他の場所からやって来ると、それに追われて動物や魔物が荒れるというのはたまにあることだった。
それに対処するのは蜥蜴人の戦士達の仕事である。そしてレグは鍛冶師であるとともに立派な戦士だ。鍛冶仕事で槌を振るうために鍛えられたその肉体は強靭で、いささか力押しのきらいはあるが、里でも上位に入る腕前を誇る。
(今日は材料の調達は諦めて、山の様子を探ってくるか…!?)
その時、ふと強大な気配を森の木々の奥から感じ、機敏に剣を鞘から抜いて身構える。まだそれほど近くはないようだが、この距離からでも分かるほどの気配。
前に起きた異変の時には他の場所から流れてきたトロルの特殊個体が原因だったが、その時は里の戦士総出で討伐に出た。幸い犠牲は出なかったが、それでも少なくない負傷者を出すほどの魔物だった。今は、あのトロルよりも強い気配を感じる。
(これは自分一人の手に負える相手ではない)
ここで相対せず、里に情報を持ち帰らなければ。そう思い踵を返そうとするが、どうやら気配の主に気づかれたようだった。
恐ろしい察知能力。こちらが奴に気づいたのは必然だった。あれだけの気配を垂れ流しにしていれば成り立ての戦士だって存在に気づくだろう。
しかしこちらは仮にも気配を隠して行動しているのだ。それをこちらが奴を認識した瞬間に動揺して緩み漏れた気配を一瞬にして把握し、こちらに向かってきている。
先程まで遠くにあった気配が凄まじい速さで近付いてくる。これでは今から逃げたとしても自分の足の速さではすぐさま追いつかれてしまうだろう。察知能力に移動速度といい、尋常な能力ではない。
(ここで死ぬかもしれんな)
相手はあのトロルよりも強いと思われ、前回と違い今は己一人。剣を握る手に力が入る。こんな所で死ねるものか。
まだあの日見た剣を超えられてはいないのだ。一人前と師匠に認められ、魔剣を打つまでの腕には至ったが、それだけなのだ。まだ己は己に満足していない。
木々の向こうの未だ見えぬ敵を睨みつける。幾ばくかの間もなく奴は姿を晒すだろう。どんな姿をしているのだろうか。これだけ速く動けて遠くの敵を察知出来るならば狼などの獣系の魔物だろうか。少なくとも前回と同じくトロル、というようなことはないだろう。
いや、どんな魔物が相手でもやるべき事は変わらない。ただ戦い、そして己の未来を勝ち取らなければならないのだ。雑念を抱いている余裕はない。
心を落ち着けて構えを取る。草葉の擦れる音が大きくなってきた。茂みが揺れる。
「来い、俺は死なんぞ!!」
そして、レグの決死の思いを乗せた咆哮と共に飛び出してきたのは、しかし魔物ではなく。
「……人、間?」
赤と白の、人間の街でも見たことがない類の装束を身にまとった、人間の女だった。