ー第5話ファースト アクション
ー第5話ファーストアクション
長良川の北側から、鳥羽川という支流が流れ込んでいる。
この長良川と鳥羽川の間に、こんもりとした小山がある。遥か戦国時代…斎藤道三の時代、ここに鷺山城があった。城と言っても、行政を行う館があっただけで城郭ではなかったようだ。現在岐阜城がある金華山は、山が険し過ぎると云う理由で、守護職だった土岐氏は鷺山で政治を行っていた。
この小山の森に、分部は潜んでいた。小山の脇には小学校がある。しかし、校庭にも街にも朝から、子供はおろか大人も姿を見せなかった。パトカーがひっきりなしに走って、外に出ないように呼びかけている。
イヤホンで警察無線を聴いている分部は、小谷の意図が判っていた。明らかにワナだが、敢えてこのワナに引っかかってやるのも面白いと…。もちろん、小谷の妻が合気道の達人である事は知らないが、何らかの仕掛けがあるだろう事は予測できる。
「小谷の息子がワナなら…筋書きをもう少し面白くしてやるか。」
分部は鷺山を降りた。
午後6時。
竹山透こと透ちゃんは、自宅から清美ちゃんに電話をかけた。母親のよし子が出た。
「アラ?、透ちゃん。中学のプールで待ち合わせでしょ?。」
「えっ?。待ってください。そんな約束してません。」
「さっき電話があって、中学のプールで会うって…。」
「してないですよ。おばさん!警察に電話してください。分部です、その電話。誘い出されたんです。僕はすぐ中学校に行きます。」
激しく受話器を置いて、靴のかかとを踏んだまま、玄関の自転車に飛び乗った。心臓が激しく躍っている。自転車のスピードがイライラする程おそく感じた。
北署では、谷垣署長と田島達が、栗林からの連絡を待っていた。
「動いてくれますかね。都合よく。」
田島が言い終わらない内に、電話が鳴った。
「はい。田島…末次さん?。…何ですって?。クソッやられた。」
最悪の事態になった事を感じて、部屋中の空気が緊張した。田島はすぐに無線に飛びついた。
「全移動、全移動、上土居中学校に急行。繰り返す。上土居中学校のプールに急行。末次清美一名が犯人に誘い出された…」
谷垣署長は、その横で電話に飛びつき、小谷家の番号を回す。
「……栗林?。末次清美が上土居中学校に誘い出された。陽動ならそっちに分部が行くぞ…」
田島は無線から離れると、署内の部下を小谷家と上土居中学校に割り振って、出動させた。
県庁の捜査本部も色めき立っていた。検問を再編成して、上土居中学校と小谷家を囲むように指示が飛んだ。
小谷が他の刑事と共に出ようとするのを鈴屋副本部長が制止した。
「どこに行く!。命令無しで動くとは何事か?。」
「では命令をお願いします。」
「ここに居ろ。お前は本部付きだ!。」
「分部は私への復讐が目的です。私が行かなければ、犯行がエスカレートします。末次清美の危険度を少しでも下げるべきです。」
「お前はただのコマだ。コマが考えるな。考えるのは本部がやる。だいたい、これから行って間に合うと思うか?。」
鈴屋は小谷が動く事の効果を理解できない。小谷は神谷本部長を見た。
「小谷刑事と同じ考えです。末次清美はエサでしょう。分部は小谷刑事が来るなら待つでしょう。…分部に聞こえるように無線で流します。行って下さい。」
鈴屋は小谷が行かないように、右腕を関節技でキメる行動に出た。
「私には、理由が理解できません!。市内の移動が動いているのに、何故小谷刑事が行く必要があります本部長?。」
「腕を離すんです。分部は普通の犯罪者ではありません。最終的に確保できるのは小谷刑事だけです。我々に出来るのは、限定した地域に追い込む事だけです。」
神谷本部長は、関節技の天才に対してウデをキメに行った。瞬間的に、小谷の腕の関節技が緩んだ。小谷はそれを見逃さず、腕を抜くと敬礼して言った。
「神谷本部長の命により、小谷出動します!。」
鈴屋は、神谷本部長の関節技をかわしたが、再び小谷をつかまえる事はできなかった。すでに、小谷刑事の姿は消えていた。
竹山透は、祈る思いで南に自転車を走らせていた。
桑畑の間からは見通しが悪い。中学校の校門は、東と西に有り、西が正門で東が裏門になっている。
プールは、この東裏門の脇に有る。
裏門と言っても車2台分のスロープになっていて、職員の車両は全てこちらから出入りしている。
そのため、入り口をふさぐ物はない。どちらかと云うと、正門よりもこちら側から出入りする人間の方が多い。
中学校は水田に囲まれていて、道は南北に門の前を通っている。門のスロープを登らないと、そこに居るはずの清美ちゃんと分部は見えない。スロープはキツくて、透ちゃんは入り口で自転車を捨てて駆け登った。もはや窒素するかと思いながら、スロープを登り切った。
プールの入り口は右手に有り、1m程度の高さの鉄柵の扉の向こうに、人影を認めた。
「ほぅ?。一番乗りは竹山か…相変わらずだな。」
分部の手には、刃渡り10Cm程度のナイフが握られている。
プールに登って行く階段に腰掛けているが…清美ちゃんの姿が無い。
「清美ちゃんをどうした?。コノヤロー!。」
透ちゃんは、頭の中が真っ白の状態で叫んだ。
「そこの男子更衣室の中だ。女子の方は鍵が掛かってたんでね…。」
分部は、透ちゃんの登場を楽しんでいるように見えた。
透ちゃんは、鉄柵に飛びつきよじ登ると、その上に立った。
「さしずめ、トップロープからブレンバスターでも決めるつもりか?。やめとけ…下はコンクリートだ。それより、小谷刑事が来るのを待ったらどうだ?。それまでは、お前の清美ちゃんをいたぶっても、俺には何の意味もない。」
分部にとって、少女らしくなくなった清美ちゃんは、興味の対象ではなくなっていた。だが透ちゃんには、そんな事は理解できない。
「ウソだ…清美ちゃんにイヤラシイ事しただろう…許さない!。」
透ちゃんは叫んで、鉄柵から飛んだ。
がっ。鉄柵から足が離れなかった。
ジーンズのベルトの後ろの部分を誰かがつかんでいて、前傾しながら静止した。そして、後ろに引っ張っられ落ちた。
下で抱き留めたのは背広姿の若い男だった。それは清美ちゃんの身辺警護をしていた三橋と云う刑事で、もう一人は透ちゃんの家に来ていた加藤刑事だった。
「あ〜ぁ〜。やっとボディガードの刑事さんが追いついたか。じゃあそろそろ、清美ちゃんにナイフを突きつけるとするか…。」
分部は立ち上がって、男子更衣室のドアを開けた。
中には、手足を縛られた清美ちゃんが転がされていた。
分部は清美ちゃんを立たせると、背後から首筋にナイフを当てた。
「さて。小谷刑事を呼んでもらおう。呼ばないと、呼ぶ気になるように…色々しなきゃならない。」
三橋刑事が透ちゃんを抑えて言った。
「こっちに向かっている。周りは固めてある。逃げられないぞ…。」
分部は笑った。
「若いな。だが才能はある。老いぼれ小谷好みだな…。固めて、その後はどうする?。そこからはアドリブだ。誰も教えてくれん。若手がやりそうな事は幾つかある。全部間違いだ。だが、間違って覚える事もある。この清美ちゃんに犠牲になってもらった上でだが…。」
「どうやって誘い出した?。」
「小谷刑事の子供を誘拐した。無傷で返して欲しければ、ノートを持って10分以内に中学校のプールに来い。これだけだ。」
「何故プールだ?。」
「雨屋は見通しが良すぎる。ここは外から俺の動きが見えない。小谷刑事のアドリブが見られる。さて…。」
分部は、コンクリートの階段に置いた銀色のラジオを、片手で拾い上げるとスイッチを入れた。
警察無線がノイズと共に流れ出す。
ー分部…聞いてるか…小谷だ…すぐに到着する…それまで待っていろー
「…なる程。お見通しと云う訳だ。だが、ヒーロー小谷も知らない事がある。」
分部の尻ポケットに、2つ折りにして突っ込まれているノートは、透ちゃんにも二人の刑事にも見えなかった。しかし、背後のコンクリート階段に、ノートが放っている光は見えていた。しかし、三人にはそれが何なのかわからなかった。以前分部はアパートの二階廊下から、この世界に落ちた。つまり、雨屋である必要は無かった。清美ちゃんが、自分が汚されると思う気持ちとノートがあれば、場所は関係なかったのだ。猿ぐつわをされている清美は、必死にそれを伝えようとしていたが、三人には伝わらなかった。
時間が過ぎ、中学校は警官隊によって完全に包囲された。もはや裏道をどんなに知っていても、逃げる隙間はない。
そこに、小谷刑事が到着し鉄柵の前に立った。
分部は、背後から清美ちゃんの首筋にナイフを当てながら、笑った。
「ようこそ。見事なカウンターアタックだっただろう?。今からゴールシーンをお見せする。よく見ておく事だな。…老いぼれ小谷。」
小谷刑事は、コンクリートの階段に光が映っている事に、すぐに気づいた。分部を雨屋で逮捕した時…清美ちゃんが持っていたノートが光っていた事を、小谷はハッキリ覚えていた。
迷う時間など無かった。即座に鉄柵を越えて、穴を見つけて行かなければならない。
どこだ…。
分部の背後が…階段の上が…あの時のように、ボヤケ始めている。
小谷は鉄柵に向かった。
しかし、その前を透ちゃんが先を越して動いた。この青年の一途な気持ちを押し戻したら、分部も清美ちゃんも見失ってしまう。
分部がクルリと回って、階段を清美ちゃんを抱えて駆け登ってゆく。
透ちゃんのすぐ後ろを、小谷も鉄柵を越えて、階段を登った。
ーそっちに行ったぞぉ!ー
と叫ぶ三橋刑事の声が聞こえるが、そこに分部の姿はない。
清美ちゃんが、小谷と田島に二年前に語った、30年後の世界…すでに自分は死んでいる世界…行けば戻れないかもしれないと小谷の頭の中を不安がよぎった。
「分部も含めて、見捨てる訳にはいかん!。」
言いながら小谷晴朝は、よどんだ空気の中に突っ込んで行った。
ー第6話スーパーセーブ
小谷晴朝が昭和55年から飛び込んだ先は、平成20年8月だった!。ホームからアウェイへと局面は厳しさを増してゆく!新たな味方を得て、小谷晴朝と分部豊の戦いは予測不能の展開に!。