ー第4話県警本部
ー第4話県警本部
所属する北署に戻った小谷は、無線指令室に入って行った。谷垣署長がそこで待っていた。彼は部下にできるだけ制約を与えないで仕事をさせる才能の持ち主で、そのために県警トップとやり合う為に、中央に戻れずに北署の署長をすでに10年勤めている。
小谷が独自のやり方を開花させる事が出来たのは、この署長あっての事だった。そして、今日も何かあったようだと小谷は直感した。
「小谷。県庁が呼んでいる。捜査本部付きだ。すぐ行け。」
「わかりました。しかし遠いですね現場から。」
署長はそれには答えずに言った。
「今年4月に着任した、神谷本部長の事は聞いてるか?。」
「優秀な方だと聞いてますが?。」
「優秀だ。だが、現場を踏んだ事がない。これは最悪だ。ぶつかると事件を外されるだけじゃ済まんぞ。」
「現場をお知りにならないのなら、これを機会にお教えするまでです。」
「それが危険だと言ってるんだ。」
「危険なのは、現場を知らない指揮官に指揮される事です。これ以上に危険な事はありません。現場の捜査員の安全の為には、私が交番勤務になる程度であれば、安いものです。」
谷垣署長は、平然としている小谷を怒った目で睨んだ。
「小谷。お前を交番勤務なんぞに落とすわけにはいかん。」
「署長。心配は分かりますが…むしろ神谷本部長を使った方が有利に展開出来るかもしれません。一種賭けになりますが…。」
「フン…。もし賭けが外れた時は、俺がなんとかしてやるが、それも上手く行くかどうか…。」
「分部に関しては、私がエキスパートです。それが本部付きの理由でしょう。ならば、神谷本部長は聞く耳を持っているはずです。事件を早く収束させたいのがトップの思惑でしょう。その思惑に沿っていれば、ぶつかる事は無いはずです。」
谷垣署長は暫く沈黙した。
「早く収束出来るか?。」
「無理でしょう。分部を確保するには、2週間は必要です。上手く事が運んだ場合ですが…。」
「2週間もかかったら、県警本部は発狂するぞ。すでに市民から苦情の電話が殺到しているらしい。まだ、1日目だぞ。」
谷垣署長はウンザリした顔をした。小谷は、本部とのやり取りで苦労しているらしい署長を思った。
「今朝の田島が発した通達で、戸外に子供達の姿はありません。この対応を見て、分部は沈黙しています。まっすぐに本命に向けて、一発勝負をかけてくるはずです。そこを押さえれば、市民の苦情は賞賛に変わります。本部は嬉しくて発狂するかもしれません。」
谷垣署長は、しかめっ面を思わず崩して笑ってしまった。
「…お前には勝てんな。本部の鈴屋にお前の事を頼んでおいた。彼を頼れ。」
「柔道の方のお仲間と聞きましたが?。」
「関節技の天才だ。奴が技を掛ける瞬間を見切れた奴はいない。それくらいキレが良い。だが、物事の察しが悪い。あまり多くを期待すると当てが外れるから気をつけろ。」
「いや。それも、こちらの戦力として使えるでしょう。ありがとうございます。」
小谷は署長に一礼すると、無線指令室を出た。ちょうどトイレから戻った田島と廊下で出会った。
「小谷さん。これから本部ですか?。」
「あ〜田島。こっちは頼むぞ。分部に聞こえるように、無線で俺が県庁に行く事を流してくれ。上手く乗ってくれれば、奴は動いてくれるかもしれん。」
「最悪は分部が動かない事ですか…。」
「あぁ。動かないと署長も言ってたが、県警本部が発狂する。そうなれば、分部のひとり勝ちだ。そうなったら、別の手を考えなきゃならん。」
「さっき、今夜あたり動くと無線で言われましたが?。」
「栗林から、連絡が入る事を祈っていてくれ。」
田島は一瞬何の事かわからなかった。
「…栗林?。まさか…ワザとですか?。賛成できませんが?。」
「うちの奥さんの事は知ってるだろう?。田島。」
小谷は微笑みながら田島を見た。
「そうですが。私ならやりません。」
小谷はさらにニッコリ笑って言った。
「お前がやるやら、俺がやらせん。」
笑ったまま小谷は田島に背中を見せて、階段の下に姿を消した。
岐阜県の県庁舎は、岐阜市南部の薮田と呼ばれる場所にある。県庁舎の会議室に
ー岐阜刑務所脱獄犯捜査本部ー
の看板がすでに掲げられていた。
(まるでお祭り騒ぎのようだ)と小谷は先が思いやられる思いだった。
会議室に入って行くと、移動式の黒板に分部の顔写真と特徴が書かれた紙が貼られ、検問の状況が地図上に示されている。
室内には黒板を背にして、神谷本部長と副本部長の鈴屋だけが居た。
神谷本部長はまだ25才の青年で、とても犯罪者を扱えるようには見えない。鈴屋も35才のエリートで、人事部長といった印象を拭えない。
鈴屋が小谷に気付いて、神谷本部長に知らせた。
「小谷刑事。神谷です。よろしくお願いします。」
立ち上がって、握手を求めてきた。
その深く吸い込まれるような目を見て、署長が言っていたような人物では無い事を小谷は直感した。
逆に、お守り役を押し付けられて困っていると云う顔の鈴屋の方が、厄介かもしれなかった。
「岐阜北警察署捜査一係小谷です。一刻も速く分部を確保しましょう。」
「それには、分部に最も詳しい小谷刑事のアドバイスが不可欠です。彼の所在は今現在不明です。彼の潜伏先を、どう見ておられますか?。」
本部長らしからぬ言葉使いに、鈴屋は不満そうに言った。
「本部長。年齢が上だからと言って、その言い方はどうかと思いますが?。」
神谷は冗談でも言われたかのように、軽く返した。
「物を知らない者が教えを乞うのに、上司も部下も無いでしょう。我々は今回の事件では、完璧に小谷刑事をサポートするのが役目と思いますが?。鈴屋副本部長。」
鈴屋は黙った。小谷は、このタイプが仕返しに執念を燃やす事を知っていた。神谷本部長は味方であり、鈴屋は敵である事を認識した。
「分部が私に対する復讐を目的としている事は御存知でしょうか?。本部長。」
「聞いています。」
「分部が復讐の為に標的とする可能性があるのは、末次清美…竹山透…一般市民の中の小中学生。そして、私の家族です。」
「小中学生に関しては、北署から外出禁止の通達が各学校長に出たと聞いています。末次、竹山の両名には身辺警護が付けられていると報告を受けていますが?…小谷刑事のご家族の方は報告を受けていません。」
「栗林 清一名を付けています。」
これに鈴屋が食いついてきた。
「…なんだと?。栗林は今年刑事になったばかりの坊やじゃないか…。しかも一名とはなんだ?。二名一組が原則のはずだろう?。」
「分部は警察無線を聴いていると思われます。そこで、谷垣署長に家族には二名は割けないと言ってもらいました。」
「…ワナですか?。」
神谷が言うと、鈴屋が立ち上がった。
「何を考えている?。妻子を使って、何をするつもりだ?。」
神谷が、手で鈴屋を制した。
「分部が動かないと、我々は窮地に陥る。いい作戦ですが、私も奥さんとお子さんが心配です。」
「私の妻は、合気道の師範の免状を持っています。それを分部は知らないはずです。無警戒の分部が妻と子供を襲うなら、何の心配も要りません。」
「だとしても小谷。確保出来るのか?。奥さんが分部を?。」
「鈴屋副本部長。周りに刑事を配置したら、分部は動きません。もし私の家族を分部が襲えば、彼の居場所を限定できます。彼は復讐を果たす為に、私と接触しなければならない。自らオリの前に来てくれます。広大な地域をローラー作戦する必要がなくなります。本部がこれを承認して頂けないのなら、話は別ですが?。」
「できるか!。ご婦人と幼児を使って、犯人を追い込んだなど…他県から良い笑い者だ!。」
神谷本部長は、冷めた顔で鈴屋の怒った顔をしばらく眺めたあと言った。
「…このままでは、何もしなかったと…岐阜県警は無能だと言われます。ならば、笑い者になった方が良いと私は考えますが?。」
「…それは。本部長の判断です。」
「ならば、私と一緒に笑い者になって頂けますか?。」
「……。」
「すぐに各部署に連絡です。小谷刑事のご家族が襲われたと同時に、北署の官舎を包囲します。連絡は無線でなく、電話で行ってください。」
鈴屋副本部長は、渋々スチール机の上に引っ張って来ている、黒電話の受話器を取った。
ー第5話ファーストアクション
ついに分部が動いた!。小谷刑事のワナに掛かるのを待つ田島に、末次清美の母親から電話が?。本命か陽動か?。分部のカウンターアタックに小谷のディフェンスは功を奏するか?。