ー第3話沈黙
ー第3話沈黙
その日。
分部は動かなかった。
小谷は、水田に点在する農作業小屋を全て見て回り、昼の1時過ぎに雨屋にやってきた。
夏の日差しの中でも、小屋の中は涼しく感じた。開かれて、フタが無造作に床に落ちている、米櫃を見て、分部が此処に居た事を小谷晴朝は感じた。この小屋で小谷晴朝は、地味な地方の刑事から、脚光を浴びるスターになった。末次清美の誘拐事件は全国に報道され、一面のトップで優秀な刑事として扱われた。中央からは、移動の打診を受けたが小谷晴朝は断った。そのかわり、自分の捜査手法を明かし、全国の刑事に講習を行う事を願い出た。この当時は、刑事が自分のノウハウを他人と共有するなどと考える時代では無かった。個人どうしが競い合い高めてゆくという時代だった。しかし、この講習によって、格段に検挙率がアップした。警察庁は、このノウハウを小谷式捜査法として教本にし、海外にまでその名を高めてゆく…。これは、多次元宇宙の中でも、この世界だけに起こった特異な現象だった。分部というファクターが、この世界に違った局面を与え続けた結果と言える。しかし、それは誰にも気づく事の出来ない事である。話を戻さなければならない。
「どうやら、初動は成功したようだが…。次はどう出るか。分部にも学習能力はあるという事か…。」
小谷晴朝は、雨屋を出て、道路脇に停めた覆面パトに戻ろうとした。
正面から、自転車に乗った男女が来るのが見えた。
「小谷さーん。」
女の子の方が、小谷を見つけたようだ。
「清美ちゃんか。分部が脱獄した。家に戻った方がいい。」
17才になって、女性らしくなった清美と、まだ幼さが残る透ちゃんが自転車を降りて、小谷に頭を下げた。
「そうなんですけど…こうやって清美ちゃんと走ってた方が、分部が見つかり易いかと思って。」
透ちゃんは、それでも近くで見るとたくましくなっていた。
「分部はアイデアマンだ。思いもよらない事を考えつく。最善の方法は、分部に見つからない事だ…それにしても、清美ちゃんは綺麗になったな。分部が見たら、確実に狙ってくるぞ。透くん。すぐに家まで送ってゆくんだ。」
「はい…わかりました。」
透ちゃんの横で、清美ちゃんは、小谷の言葉に顔を赤らめた。
「行こう。清美ちゃん。」
透ちゃんが促すと、うなずいて自転車に乗った。
「透くん。結婚している者として助言する。女性は褒めてやれ。綺麗になるためには、女性は毎日努力しなければならない。男はその気持ちに対して敬意をはらわなければならない。わかるか?。」
「はい…。」
「それは男として、恥ずかしい事ではない。男らしくないと云う事ではない。」
「はい。努力します。」
小谷は戸惑う透ちゃんの肩を叩いた。
「それでいい。行くんだ。」
2人は頭を下げて、自転車で去って行った。
少し解説を加える。
昭和50年代の高校生にとって、大人は危険極まりなかった。この当時の大人は、なんの前触れもなく殴ってくるのは普通だった。教師も殴ったからといって処分もされなかった。むしろ、殴られた子供は何をやったんだと親にまで怒られた。おそらく2008年の高校生には、清美と透の小谷に対する態度に違和感を感じるだろう。それが良いのか悪いのかは、読者さんが判断して頂きたい。
では、話しを戻します。
雨屋事件で清美ちゃんは、30年後のひとつの結果として、透ちゃんの姿を見たと小谷に話した。おそらく30年後の彼にも恋したのだろう。それは紛れもなく良い事だ。
ならば、分部豊にも良い結果と云うものが有るはずだと小谷は思った。彼だけがマイナスの結果を背負わなければならないのは不自然だ。
小谷はそう思いながら、自転車で去ってゆく2人を見送った。
覆面パトに戻ると、無線を入れた。
「北移動フタマルイチ小谷。北本部どうぞ…。」
ー田島です。岐阜城の入口の鍵が壊されて、侵入者があったようです。多分、分部かと…。ー
「上から見てた訳か。こっちも観察されてるわけだ。…奴は慎重になった。短期決戦とはいかなくなったな。今、末次清美と竹山透に雨屋で会った。三橋と加藤に説教しといてくれ。」
ーすいません。私の責任です。ー
「いや。責任は2人にある。お前には無い。間違うな。」
ーはい。ー
「奴は今夜あたり、仕掛けてくる。それまで休んでおけ。」
ーはい。小谷さんは、これからどちらに?。ー
「いったん、署に戻る。」
小谷は、金華山の上に岐阜城を仰ぎ見てから、覆面パトに乗り込んだ。
ー第4話県警本部 分部と心理戦を繰り広げる小谷に、県警本部から呼び出しが!現場から引き離される小谷。新任県警本部長を味方に引き入れられるか!。