第三話 魔術と教会
あの脱走計画から数日たった。
特に親からきつく怒られることはなかったけれど、あれ以来警備が気持ち厳重になっている気がする。
だから俺は怪しい行動は見せずにここ数日は寝室にて考えをまとめていた。
あの日見た光景、それは勿論外家の内外両方のことを指しているのだが、いろいろとおかしな部分があった。
そして俺が完全に記憶を持ったまま転生しているという奇異性。
これらを統合するとやはり出てくる答えは自ずと決まってくる。
やはりこれは異世界転生なのだろう。
そう結論付ける他、この状況を納得して説明できるのはないと思う。
というか俺には思いつかない。
するとなんだ、俺は異世界、それも地下世界とかいう少々レアケースに当たってしまったわけか。
地下世界地下世界地下世…
いい響きだ、いまさらながらに年甲斐もなく痺れるものがある、ロマンがあるじゃないか。
しかし転生となるとし忘れていたことがあることに気が付く。
自分、少しばかりいわゆる二次元文化を嗜んでいたわけだが、異世界とわかった以上あれをやらねばなるまい。
異世界での第一声こそ逃してしまったがだからといってやらない理由にはなるまい。
思い立ったが吉日、すぐさま予備動作に入ることとする。
足を肩幅くらいに広げ、背筋をピシッと伸ばして直立。
左手は前方に伸ばし、右手は正拳突きの溜めのように引きしぼる。
そして次の瞬間、今度は左手を勢いよく引き戻しつつ右手は前方目がけて解放、それと同時に発する合言葉。
「ステータスオープンっ!!」
・・・・・・・・・。
そして後にのこるは静寂のみ。
・・・・・・・・・・・・・・・。
…あー、そのなんだ、勿論分かっていたさこうなることくらい。
だって転生した時神様に会ってないし、当然チートも貰った覚えもないですもの。
いくらなんでもそこまでネット小説に毒されているわけじゃあない。
これでも職場じゃ一端の常識人として通っていたからな、うん。
小休止
まあこれではっきりしてよかったじゃないか。
この異世界は“無い世界”ってわけだ。
一説には武器にも盾にも使えるというかの神器、ステータスプレートが。
しかしここが地下世界だとするとやはり地上のことが気になってくる。
一体なぜ地中でここの人々は暮らしているのか。
もしかしたらここの人たちが特殊なだけで案外他の人たちは地上の楽園にいるのかもしれない。
逆に地上に住めない理由があるとしたらそれはなんなのだろうか。
答えのない自問に頭をうんうんと悩ませつつ一日一日と日々を送っていくのであった。
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あれからさらに月日が流れた。
すくすくと成長していく身体とともに俺はおねだりを覚えるようになった。
やはり末っ子は可愛いのだろうか。
わがままも通り安くて気分のいいことこの上ないが、俺としてはできれば可愛い妹が欲しいし、夜分盛んな両親達なら十分に見込めそうなので神に祈るばかりである。
さてさて、そんな俺は今日も今日とておねだりの時間だ。
「母さん母さんこれ読んで」
「あらセシル、あなたは本当にこの難しいご本が好きね。将来は教会かはたまたお城に使える学者さんかも。ちょっと待ってて、これが終わったらすぐ読んであげるから」
そういい、アーリャ母さんはせっせと家事を切り上げる。
「さて、今日はどこを読んで欲しいのかしら。」
ひと段落付き椅子に腰かける母さん。
彼女の膝に俺もまた腰かける。
頭を優しく押し返す柔らかな感触がなんとも心地よい…
最近はこの光景が我が家ではしばしば見られるようになっている。
もうすっかり足腰の出来上がってきた俺は家の中を探し回り、本を見つけてきては母に渡してその本を読んで貰っているのだ。
最初は単語と挿絵が同じページにある、子供の言語学初級編、みたいな学習本や童話が幾つか入った本を数冊母から読んで貰い始めるのがきっかけであった。
これらはみな少々傷んだりしていたので遠回しにそのことを尋ねてみると、どうやら兄のおさがりだったり子供が成長した近所の家庭からのもらい物だったりしたらしい。
やはり本、というか紙は貴重なのかと思った。
当初の俺としては、聞けても読めない状況でどうしようかと思っていたが、母さんの本の読み聞かせを始めてくれたことは言葉を学ぶためのものとしてはまさに渡りに船であった。
やはり二児の母。
俺が本をせかすまでもなく本を開いてくれたのは子育てに経験がある証に思われる。
そうして読みに慣れていった俺だが、ある日寝室の小さな机の上に置いてある漆黒の背表紙の分厚い本が目に留まった。
題名を見てみると、
『救世追求記』
と書いてある。
そのかっこいいタイトルに心ひかれた俺は、はやる気持ちを抑えて周りに誰もいないことを確認しつつ本を開く。
書き始めにはこう記されてあった。
『 この世は人が生きるには余りにも儚くもろい。
一度消えかけた灯火が再び輝くことは長い人生といえど極めて稀である。
今こうしている内にも私に残された時間が刻一刻と削れていくのがわかる。
そしてこれが私に残された最後の機会であり仕事のように思われるのだ。
迷える我らが同朋よ、もしも行き詰ったらこの本を手に取って欲しい。
ほんの少し物事を高く見渡して、この本を手にすればきっと何か得られるはずだ。
なあに心配は要らないさ、いつだって輝く太陽は私たちを照らしている。
迷うことはない、行く先を常に示し続けてくれているのだから
著者;とある世界の放浪者 』
うーんかっこいい、実にかっこいい。
余韻に浸りつつも引き続きパラパラとめくっていくと、どうやらこれは若干の日記形式とともに綴られた歴史書のような冒険譚のようなものだった。
年表やらなんやらも最後の方に見える。
しかし何分字が細かいことこの上ないし、まだまだ知らない難しい単語も所々に散見できる。
これは読むのに苦労しそうだ。
そう思った俺は母さんにこの本を手渡して冒頭の光景に至る、というわけだ。
そうしてここ数日読んで貰ってきたが、幾つか分かってきたことがある。
第一に、やはり人族は昔地上にて生活していたが、どうやら魔物と魔族の大反乱により地下への撤退を余儀なくされたようだ。
これはまあ、予想の範疇ではあった。
なにせここは異世界ですから、魔族魔物と聞いても違和感はない。
このレベルに眉をひくつかせる軟弱なお年頃はとうに卒業しているセシル坊なのだ、まだ数えるほどだけどね。
そしてそのことを鑑みると、この本の前述にある太陽についての記述も納得ができる。
こんな場所に太陽なんてないはずだと思ったが、この本を読む限りは地上の太陽のことを指しているのだろう。
いまや人々が暮らす場所は日の光一筋も入ってこない閉ざされた地なのになんとも皮肉的なことだ。
次にこれは驚きこそしないけれど期待に胸躍る記述を見つけた。
なにやら呪文や魔法陣が見開き一ページにまるまる示されていて、下の方に書いてあったのだ、『簡易略図;初級魔術』と。
さすが異世界、求めているものをわかっていらっしゃる。
ここにきてようやく、初めて異世界に来たことの実感を得た俺だった。
そりゃあ家の中には電気で動いているようには見えないなんやらかんやらの機器や魔法陣はあったわけですが、ここまではっきりとした表現で突き付けられれば頷かざるを得ない。
ここは間違いなく異世界だ。
そして魔法、魔術が使える。
なんでも母さんによると、人は皆その大なり小なりはあれども平等に魔術の行使ができるらしい。
そして理由は特によくわかっていない、というかこの本にはそのことが何故か触れられていなかったが、髪色が黒色の人々は魔力量に優れる傾向にあるらしい。
つまり俺と母さんというわけだ。
なんだかマジでついてる気がする。
空前絶後の壮絶な異世界デビューを飾れる気がして少し鼻息が荒くなった俺であった。
他にも、人族の他に前述の魔人や、森人族、獣耳族や鍛冶族がいるらしいことや当時地下へと延びていた迷宮なるものを下って行った先にあった空間を利用して人々が生活を再び始めていったということが書いてあった。
迷宮は反乱時にはほぼすべてが踏破済みであったために地下への逃げ込みは容易だったらしい。
しかし他種族についての記述、これは相当ひどい。
魔族は人を殺すのに眉一つ動かさない冷酷無慈悲な悪魔と書いてあるし、獣耳族に至ってはあ一度野にはなったら仲間敵関係なく生き物全てにくらいつき、食い散らかしていく畜生とまで書いてある。
そして、だからこそ聖剣騎士教会が率先して他種族排斥運動を起こしたとも。
この聖剣騎士教会、その活動を見てもわかるが、人間至上主義団体のようで一部の狂信的信者だけでなく幅広い人々の心を掴んでいるようだ。
なんでもその名の通り、この教会は聖属性、一般的な名前では日色魔法を特に仰いでおり、であるからにして地下に降り立った当初、その魔法で人々の身も心も文字通り照らし渡り瞬く間に信者の数を拡大していき、今や一大派閥を形成するに至るらしい。
そしてその数が無視できないほど多くなっている今の時代、今の人族の国は他種族にとってまさに暗黒期であって、彼らは洞窟伝いの別の場所に村やら国やらを構えているようだ。
ケモミミっ子を撫でまわしたかった俺としてはひどく残念な情報である。
ちなみに父が所属している団体はこの教会であり、思想が超偏向的なのかとついびくついてしまったがそうではないらしい。
あくまで、アレン父さんは一家の食い扶持を得るために腕っぷしの使える安定した職についているだけなのだそうだ。
ただやはり父さんの職場でも熱狂的信者はやはり思想が偏っているらしく、そういった人たちとはくれぐれもいざこざを起こさないように、と母さんには忠告されてしまった。