前日譚
初投稿につき、稚拙な表現につきましては暖かく見守ってください。
「・・・あー、疲れた」
周りに誰もいないことを確かめつつ、俺は青白く輝くPCモニターの前で一人つぶやく。
絶賛残業中だった俺はようやく今その苦行から解放されたところなのだ。
「もうこんな時間ですか…」
少し遅めの夜食、カップ麺をすすっていたついさっきから、気が付けばもう随分時間が経ってしまったようだ。
熱っぽい体に鞭打って椅子に着きなおしてからはや数時間である。
今夜は早く帰って見たいテレビ番組があったのに、気が付けばいつものごとく深夜帰宅だ。
リアルタイムと録画はライブ感が違うのになぁ、なんてことを考えつつ、俺は手早く荷物をまとめると別室の同僚に一言かけてから職場を出た。
季節は冬。
まだ雪こそ積もっていないが、今夜の冷え込みもまた一段と厳しいものである。
ここ数日の体調を鑑みるに今夜あたり風邪をひくかもしれんな。
前方から吹き付けてきた風に対してそう考えながらひたすらに歩を進める。
こんな夜こそ人肌が恋しくなるものだが、ここ数年フリーな自分は家に帰っても冷たい布団が待っているだけだ、ああさみしい。
最近は旧友達が徐々に結婚してきたのもあって、こんな生活を続けていていいのだろうかと少しばかり不安にもなったりもするが、かと言って特段手をうったりはしていない。
それは、まあなんとかなるだろう、という生来の楽観的思想と、この歳にして未だに恋愛結婚を夢見ているところによるものであり、後者のせいがあって婚活パーティーなるものにすら参加した事がない。
婚活パーティーはなんというか、相手の女性に良いイメージがないというか、男性女性共に目が血走っていそうというか、とにかく可能ならばそこに行きつくのは避けたいところだと思っている。
それはまあ、自分の考えに偏見が大いに混じっていることは認めるし、そもそもそんな甘いこと考えていたから独身、彼女なしの現状の自分があることは認めますとも。
けどさぁ…はぁ…。
白い吐く息が、一人寂しく歩く男の面前を覆う。
暗い夜道は思考の海に沈むのに適していると思う。
自分は割と、やってしまったあとにうじうじ悩むタイプなので、この人気のない帰り道には頭と心の整理には一役買っているのだ。
そして今夜も恒例の反省、後悔タイムであった。
しっかしまあ、こんなことならあの時でてった彼女を引き留めればよかったかなぁ。
でも引き留めたところで上辺だけの薄っぺらい言葉じゃ引き返せないところまであの時の二人の関係は冷え切ってたいたしなぁ。
失ったものの大切さに憂い嘆くことの多くなってきた今日この頃だよ、まったく。
そうこうしていると、つい先日までまばゆい程のイルミネーションで飾られていた曲がり角の一軒家が目に留まる。
今はその明かりがすっかり回収されてしまっていて、これもまた物寂しい。
なるほど、かのお偉いイエス様の降誕祭も終わり、次は正月ということか。
最近は時間の流れが早くなってきている気がする。
そうそう、そういえば、俺は正月が嫌いである。
親戚の叔父さんたちがここ数年、お前の嫁を早く見せろ、だの酔っぱらってうるさいく言ってくるようになってきたのだ。
そりゃあこっちだって見せられるものならいくらでも見せてやりたいわ。
だから頼むから俺の心を傷つけないでほしい。
それに年賀状のこともある。
元カノと未だに毎年欠かさず送りあっているこの葉書だが、友達の年賀状に“結婚しました”の呪文を見てからは、その言葉が彼女から送られてくるのではないかとびくびくしながら年を明かしている。
我ながら小心者だと思うし、少々女々しくて気持ちが悪いが、これは諦めている。
こんな自分と付き合ってきてかれこれ30と数年であるから、折り合いも付くものだ。
それに俺には俺でいいところもあるしね。
例えば、上には常に頭を下げ続けるとか、残業も文句言わず引き受けるとか…
そうですとも、立派な社畜仕様ですとも。
…なんて下らなく、そして取り留めの無いことを考えているうちに前方遠方に住処として一室借りているアパートが見えてきた。
夜の暗さのせいもあるが、静謐な住宅街のなか居心地悪そうに建っている、どこからどう見てもボロ屋なのが我が仮拠点である。
まあその分安いし、ああ見えて風呂とトイレもしっかり完備しているので男の一人暮らしには問題ないのだ、一人暮らしには。
冷たく、酷く不慣れな痛みが胸に走ったのはまさにそんなことを考えていた時であった。
ズキンッ
その衝撃と共に、右手を胸に当てつつ、思わず膝をついてしまう。
今まで感じたことのないような胸を突く痛みに、冬だというのに急激に冷や汗をかいていく俺。
同時に軽い酩酊感と、這い上がってくる吐き気を感じて、俺の脳内警報が最大レベルで鳴り響いている。
これ、本気の本気でまずい奴っ
混乱する頭の中で即座に対処を考え、震える手でスマホを取り出し、119にコールしようとスマホのスリープを解除する。
その間にも痛みは継続的に走り、そのテンポを速めていく。
眩しく光る画面を目にした時、本日二度目の衝撃が俺襲った。
「---う……うそ、だろ…おい…」
俺が震える手で必死に手に持っていたスマホを、俺は認識出来なかった。
否、俺の目は二重三重のまばゆい光に照らされ、かすかに輪郭を保って見える俺の右手、肌色を移すばかりだった。
まずいまずいまずいまずいっ!!
そうこうしている間にも、なお坂道を転げ落ちるようにますます悪くなっていく体調。
目を凝らすため自分を落ちつけようと、深呼吸を試みるが、その瞬間これまでにないほどの痛みが胸を突いた…。
そこからのことは正直あまり覚えていない。
死の足跡が刻一刻と近付いているのが分かり、恐怖に駆られて酷くパニックになっていたのだと思う。
態勢を崩して地面に顔を打ち付けた気がした俺は、次の瞬間には血の海、と言うとほんの少し大げさだけども、割れたスマホの画面に照らされ、赤黒く怪しく光り輝くアスファルトの上に突っ伏していた。
今に思えば倒れた瞬間におそらく鼻でも打って血を流したのだと思うが。
そして次に気が付いた時には既に気色の悪い悪寒が全身を覆っており、そんな血だまりに浮かぶ俺をひどく眩しい電灯が照らしていた。
もう完全に手遅れだ、と自嘲する自分がいて、そんな意識も徐々に薄まっていくのがわかり…
こうして、俺は独身30歳ちょっとという少しばかり短い年月で人生の幕を閉じたわけである。