幼馴染み以上、恋人未満?
「うーん……、キツい……」
何とか根性で登校して午前中の授業は乗り切ったものの、俺は今までで1番キツい痛みに白旗を揚げ、3限目の途中から保健室で絶対安静中だった。
「おかしいな……普段から運動はしてるのに……」
女の子になってから既に半年以上が経っているが、ここまでキツい生理痛は初めてだった。
枕元に置いてあるスマホを手に取って時間を確認してみたが、まだ保険室に来てから30分くらいしか経ってない。
「気持ち的にはもう2時間くらい経ってると思ったけど、まだ全然時間があるのか……」
そういえばチャイムが鳴ってないなと思いながらスマホを枕元に放り投げ、仰向けに転がる。
早退して帰ろうにも、今の体調では一人で帰れるかどうか怪しい。
そうやってベッドの上で唸っていると、保健室のドアが開けられる音が聞こえてきた。
「月代君、体調の方はどう?」
所用で席を外していた保険の先生が戻ってきたようで、カーテンを開けて聴いてきた。
「正直キツいです……。というか先生、俺、一応女子なんですけど……」
「ごめんなさい、男子だったときのイメージが抜けなくて……」
まあ、未だに男子として俺に接してくる人も少なくは無いのでこういった訂正はもはや慣れてしまった。
「月代く……月代さんは日頃運動はしているのよね?」
先生の質問に俺は頷いた。
女の子になってからは筋肉質な女子はどうかとも思って昔ほどの運動はしていないが、それでも運動不足にならないような運動は常日頃から心がけている。
「だとしたらストレスとか睡眠不足というのも考えられるけど、何か心当たりはない?」
「ストレスと言われれば、今のこの身体になったこと自体がストレスになってるとは思いますけど……」
でも本当にそのことがストレスの原因になっているのだとしたら、今更それが出てきたというのは考えにくい。
だとすると睡眠不足の方が原因となる可能性があるわけだが……。
「……そういえば、最近あまり眠れてない……」
睡眠不足の原因は、先月のバレンタインデーで俺自身がやらかしてしまった事だ。
正直、未だに何であんなことをしてしまったのか判らないのだが、それ以来一馬のことをまともに見ることが出来なくなってしまい、それについて悩むことが多くなった。
結果として寝る時間が遅くなり、睡眠不足に繋がっていた。
「ふぅん……月代さんも恋の悩みかぁ。青いわねぇ」
「んなっ?! こ、恋ぃ?!」
俺のこのモヤモヤが恋? 男の俺が、男の一馬に恋?
確かに気がつけば一馬のことを目で追っていたり、一馬のことを考えていたりするけど……って、これって思いっきり恋してるじゃないか!!
「う、嘘だぁぁぁぁ!!」
俺はここが保険室だということも忘れて思いっきり絶叫した。
先生は「若いっていいわね」なんて言ってるけど、俺的にはそんな簡単な問題ではなかった。
▽
「38.2度……風邪ね」
「う゛ー……」
あれから何とか学校から帰宅した俺は、気分転換にとゆっくりとシャワーを浴びた。
モヤモヤとした気分の時はサッパリとしたいと思ったからなのだが……結果はサッパリするどころか余計考え込んでしまい、この有様である。
「氷華ぁー、気持ち悪いぃ……」
月のモノと風邪で体調は最悪である。妹に助けを求める兄というのも情けないが、今はそうも言っていられない。
「そもそも、なんでお姉ちゃんは春先とはいえまだ寒い時期に、浴室暖房も入れないで長々とシャワーなんか浴びてたの?」
「むぅ……それを聞くか」
「聞かなきゃはじまらないでしょ?」と妹―氷華は言うが、正直面倒な話なのであまり話したくはない。
「言う気が無いなら別にいいけど、どうせカズ兄の事でしょ?」
……何でバレてるんだ?
俺、今まで氷華の前でそんな素振りを見せたつもりは無いんだが……。
「何でバレてるんだ、って顔してるけど、お姉ちゃんはお兄ちゃんだったときから判りやすかったもん。私が義理チョコ作るって言った時に一緒に作ってたお姉ちゃんの顔、恋する女の子の顔だったしねー」
う、嘘だろ……?
俺はどうせ作るなら一馬にでもくれてやるかって思って作ってたのに、その時点で一馬の事を意識してたって事……ってあれ? ひょっとしなくても俺、あの時点で一馬の事好きになってたのか?
「……なぁ、氷華」
「何? 風邪なんだからゆっくり寝てないと駄目だよ」
「精神的に男の俺が、男の一馬を好きになるのって、色々と不味くないか?」
氷華は少しキョトンとした顔をした後、爆弾を放り投げてきた。
「お姉ちゃんはまだ自分のことを男の子だと思ってる……ううん、そう思い込もうとしてるみたいだけど、私たち女の子からして見たら、もうお姉ちゃんは歴とした女の子だと思う。 考え方は男の子っぽくしようと頑張ってる女の子そのものだし、仕草なんかも、もう男っぽさはほとんど抜けてるよ?」
「ぇ゛? まてまてまて、俺はまだ男を捨てたつもりなんかこれっぽっちもないぞ」
「そうは言うけどお姉ちゃん、最近女子の胸元とかお尻とか見ないし、脇や脛の処理だって念入りにやってるよね? それに、男子達がエッチな会話してるのを見て呆れたりしてること多いでしょ?」
「そりゃあ自分自身が見られる方になったしな……」
今の身体になってから判ったことだが、意外と男子の視線というのは物凄く気になるのだ。
だからこそ見られるところには気をつかうようになったし、男子がそういった話題をしているのを見ると、自分がそういう目で見られているのかって思うようにもなった。
それに気付いてからは女子のことをそういった目で見ることは出来なくなったし、階段とかも気にしながら上るようになった……というかうちの高校の制服スカート短いんだよ!!
「しかし、何も今日という日に風邪をひかなくてもいいのにねぇ。とりあえずいい加減学校行かないとだしお母さんは残業、お父さんも遅いから、私が帰ってくるまでゆっくり寝ててね」
「この精神状態で寝れたらね……」
内容が内容だったため普通に会話をしていたが、氷華が出て行って落ち着くと、その反動であっという間に俺の意識は落ちていった。
▽
「おばさん、水輝、今日は学校行けないの?」
「ごめんね一馬君。水輝は熱で起きれないの」
これは……私が小さい頃の記憶?
まだ私が男の子だったときの記憶だ。
「じゃあ、僕も学校休んで水輝と一緒にいる!! だって一人じゃ寂しいでしょ? だから僕が一緒に居てあげる!!」
それだとズル休みになる、という考えはあの頃の一馬には無いのだろう。
それくらい、私と一馬は幼い頃から一緒だった。
だからこそ、片方が体調を崩して休むというのは、やはり寂しかったんだと思う。
もっとも一馬は病気知らずで、主に風邪をひいていたのは私ばかりだった。
その度に、一馬は学校が終わると真っ先に私の所に駆けつけてくれた。
私の両親が仕事でも、鍵を借りてまでお見舞いに来てくれたほどだ。
「僕、水輝にいつも助けられてるから、こういうときこそ僕が水輝を助けるんだ!!」
▽
どれくらい時間が経っただろうか。
あまりにも汗をかきすぎたのか、パジャマと下着がベタつく不快さで目が覚めた。
何か懐かしい夢を見た気がするけど、恐らく体調の影響なのだろう。
朝よりは少し楽になった身体を起こして時計を見ると、既に夕方近くだった。
「……気持ち悪い」
少し身体を動かしただけでも、肌にまとわりつく衣服の不快さが拭えなかった。
タンスから替えの下着とパジャマを取り出し、ショーツを除いた全ての衣服を脱ぎ捨てる。
濡れタオルは無いので、ウェットティッシュを使って軽く全身を拭くと、汗でベタついた身体の不快感が消えていく。
胸元を拭こうとしたところで、不意に部屋の扉が開けられた。
「水輝、調子はどう……」
「……え?」
突然のことに、お互いがそのままの格好で固まった。
何で一馬が俺の部屋に入ってきたんだ?
そもそも家の鍵は……ああ、氷華が一馬に貸したのか。
というか、なんで一馬は俺から目線を外してるんだ?
そういえば、なんで俺は胸を触って……胸?
そこまで考えて、俺は今自分がどういう状況かをようやく理解し、一気に顔が熱くなっていった。
「ぃ、いやぁぁぁっ!! で、出ていって、このバカズマ!!」
「ご、ごめん!!」
俺が枕を投げつけるのと一馬が扉を閉めるのは同時だった。
俺が投げつけた枕が扉に当たり、ボスン、と音を立てて落ちる。
一馬を追い出し、息を整えてから身体を拭くのを再開したところで、一馬が扉の外から恐る恐る声をかけてきた。
「その……水輝さん、怒っていませんか?」
「怒ってない」
間髪入れずに答えた。
身体を拭き終わったのでショーツも新しいものに履き替え、ナプキンをセットする。
「そもそも、女の子の部屋に入るのにノックも無しってどうなんだ?」
「返す言葉もございません」
替えのブラを付けるが……うーん、半年前より大きくなった? 最近ブラがキツい気がする。
お小遣いは貯めてあるし、今度氷華と一緒にランジェリーショップに行って測り直してもらおう。
「でも昔はノックとか無しで入ってたよね?」
「昔と今は違うだろ。今は女の子なんだから少しは気をつかえよ」
パジャマを着ようとして……考える。
一瞬の逡巡の後、タンスを開けて女の子になってから買って貰ったものの一度も着たことの無かったパジャマを取り出して身につけ、さっき取り出した昔から着ているパジャマをタンスに戻した。
その後、最近買って貰った姿見の前に行って自分の姿を念入りに確認する。
うん、多分大丈夫。何処もおかしいところは無いな。
脱いだ服を洗濯籠に入れて目隠し布を被せ、脱いだ下着とかが見えないようにする。
投げた枕を回収して布団に入り直し、身体を起こして外で待っているだろう一馬に声をかけた。
「一馬、着替え終わったから入って良いぞ」
少し間を空けて、ゆっくりと扉を開けながら一馬が入ってきた。
「その……さっきはごめん」
「何度も言うけど、怒ってないからな?」
俺は思いの外しょげてる一馬に苦笑する。
「そりゃ、いきなり扉が開いて裸を見られたから驚いたけど、冷静に考えてみたら俺、裸どころか全身見られちゃってるんだよね……」
そういって俺は苦笑いした。
あのときの自分は、まだまだ男の子としての意識が強かったんだなって本当に思う。
今の俺にはきっとできないだろう。
「……水輝のそのパジャマ、可愛いな」
「……ありがと。女の子になったばかりの時に買って貰ったやつで、今日初めて着たんだ……」
この間は嬉しくないなんて強がったけど、本当は嬉しかった。
だから今日はその言葉を素直に受け取ることにする。
そういえば一馬が部屋に来た理由って何だろう。
「ところで一馬、今日はどうしたんだ?」
「どうしたんだって……熱出したっていうからお見舞いに来たんだけど」
そう言いながら、一馬は鞄から何枚かの紙を取り出して俺の机に置いた。
「これ、今日の授業で配られたプリントとノートのコピーね。プリントは進路希望調査票が入ってるから、体調よくなったらきちんと提出してって言ってたよ」
「進路か……俺はどうしようかな……」
性別が変わったゴタゴタで、俺は進路に関して決めかねていた。
元々進学を希望していた大学は男子の比率が高く、家から通うことも困難なため、女の子になってしまった今は、正直一人暮らしも怖くてどうしたら良いか迷っていたのだ。
「一馬は……どうするんだ?」
「俺は変わらず、N大学の文学部に行くつもり」
N大文学か……。俺の受けようとしてた大学と偏差値もそんなに変わらないし、一馬が一緒の方が何かと安心なんだよな……。
俺がそんなことを考えていると、一馬は鞄から別のモノを取りだした。
「あとこれ、水輝にお返し」
「……クッキー?」
プリントの後に一馬が鞄から取り出したのは小袋に入ったクッキーだった。
風邪で普通のご飯も食べれていないのに、お見舞いにクッキーはなかなか辛いモノがある。
「今日はホワイトデーだからね。この間チョコを貰ったお返しだよ」
「ぁ……今日だったのか」
体調が最悪すぎてホワイトデーの事なんか完全に忘却してた。
そして思い当たるのはもう一つの大切なこと。
今日がホワイトデーということはつまり……。
「あと、これは誕生日プレゼントだよ」
そう言って一馬が鞄に入れていたケースから取り出し、俺の右手薬指に付けたのは、綺麗な水色の宝石が填められた指輪だった。
「え……? 一馬、これって……」
「3月の誕生石、アクアマリン。今日誕生日でしょ? 女の子だし指輪の方が良いかなって思ったんだけど、別にそれだけで他意は無いよ?」
他意は無い。
その言葉を聞いて、胸の奥がズキっと痛む。
そうだよな、一馬は前からそれなりのプレゼントをくれてたもんな……。
「それじゃ、渡すモノも渡したし、長居すると辛いだろうからそろそろ帰るね」
「ぁっ……」
俺は、ほとんど無意識に一馬の服の裾を握っていた。
駄目だ……もう誤魔化せない。
「本当に……他意は無いの?」
「……水輝?」
女の子が頑張って男の子っぽくしようとしている。
氷華の言うとおり、いつ頃からか、昔の口調でいることの方が違和感を感じるようになっていた。
「お……わた、しは……それじゃ、嫌だ……」
だけど、口調を変えることで、男友達として変わらず接してくれている一馬が離れていってしまうかもしれない。
それが怖くて仕方なくて、私は昔の口調で生活しようと決めていた。
「昔のままで居たかったのに……、女の子の身体になっちゃって、一馬に嫌われたくなかった……!!」
けれど、そう意識すればするほど一馬の存在が私の中で大きくなっていくのを感じてた。
だから一馬に嫌われたくなくて、徐々に心が女の子になっていくのを必死に抑えて昔のように振る舞っていた。
「何で私なの? 何で私が女の子にならなきゃいけなかったの? こんな思いなんてしたくなかった……!!」
けれど、もう無理だ。
無理矢理押さえ込んでいた恋心を先生に指摘されて。
氷華に、私がもう男の子ではなく女の子なんだということを指摘されて。
何より、一馬にこんな誕生日プレゼントを贈られて。
もう、私自身の思いを、気持ちを抑えることが出来ない。
「私は、他意があってほしい……! 私は、一馬のことが好きっ!! もうこれ以上、自分を偽るのなんてやだぁ……」
言ってしまった。
今の告白で、私が男の子として振る舞おうと決めていた枷が外れ、もう男の子として振る舞えないという確信があった。
それと同時に今まで押さえ込んできた感情が堰を切ってあふれ出し、涙となって流れていく。
ふわっ、と。
大泣きする私のことを、一馬が優しく抱きしめてくれた。
「ごめん、水輝……。僕にもっと勇気があったら水輝の事を泣かせずに済んだのに」
そういって一馬は私の背中を撫でてくれる。
それだけで大分気持ちが落ち着いてくるから不思議だ。
「だから、僕の気持ちを伝えます」
一馬は私の肩を掴んで、涙で腫らした私の顔を真剣な目で見ている。
私はその真剣な一馬の表情に、ドキッとする。
普段あまり見ることのない一馬の真剣な顔に、私の顔が熱くなっていくのが判る。
「月代水輝さん、幼馴染みとしてでも、男友達としてでもなく、結婚を前提とした恋人として、僕と付き合って下さい」
一馬の声は決して力強くは無かった。
むしろ、優しく語りかけるような声だったけど。
でもその声が、言葉が、私の心に響いて……。
「……はいっ、こちらこそ、よろしくお願いします」
私は笑顔で、頷いた。
その時、一筋の涙がこぼれ落ちて、一馬から貰った指輪の宝石の上で弾けたけど。
さっきの涙とは違う、嬉しさによる涙だった。