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「ホワイトアウトによって視界と方向感覚が失われた場合は私は、その場でシェルターを設営し自分の体温の保温に務めることを薦める」
19世紀の遭難した冒険家ベルトラン・ドゥ・ポンターユが居たとされる地点で発見された手帳「未踏」より。
巧最初、この総タイル張りの部屋でそんなに和夫が迫っていることに気づいていなかった。
和夫は大男だった。巧が捕らえられていた部屋を大股の一歩で駆け抜けると、巧の襟首をもう少しでつかむところまで手を伸ばしてきた。
巧が継映の小さなブーツを履こうと屈み込んだのがそれから逃れられた理由だった。
しかし、所詮女子中学生の雪用のブーツ、巧の爪先しか入らなかった。
このブーツを履く意味があるのか、履かないほうがいいのか考えている暇はなかった。
和夫の第二撃が飛んできた。どちらの手かわからなかったが、ぶーんと振り回すように巧に迫ってきた。
巧はそれを今度は正面で避けた。
和夫は野獣のようだった。しかし、目は死んだように無気力な目、サメのような目である、なにかの精神疾患か精神薄弱なのだろうか?
巧は、丁度女性がヒールを履いたような感じで爪先だけ継映のブーツを履いていた、そして、壁に掛けてある鉈を取ると和夫の方へ振り回した。
狙う余裕などなかった。和夫が自分に近寄ることだけを避けるためだけの攻撃だった。
和夫は、虜囚の部屋の襖を盾のように使い、鉈を受けようとしていた。
巧は、鉈は切る道具で刺さるわけが無いことも知っていたが、もうこうするしかなかった。
鉈を和夫が持つ襖めがけて、突き刺した。
ぐーぅと和夫が発したが、鉈がなにかに刺さった感覚は巧にはなかった。
巧は、鉈を襖に刺したままにすると、継映の小さなブーツのせいでヒールを履いたような感じで、この総タイル張りの奥のアルミサッシのドアーめがけて、ちょこちょこはしりだした。
これが、全速力だった。
アルミサッシとくもりガラスのの簡単なドアには鍵がかかっていなかった。
開けると、顔に痛さを伴うほどの冷気が襲いかかってきた。しかし、山下家の部位を切り取るための刃物の痛さに比べると比較にならなかった。
これは、自由の痛みいや、寒さだった。
外は真っ暗、そして吹雪だった。
スキーウェアの中のスリングの中で咲香栄がむずがったような気がした。
後ろ手でアルミサッシの簡単なドアを閉めようとすると、太い足のような手が伸びてきた。
和夫だ。
躊躇することなく、巧は思いっきりドアを和夫の腕を挟んだまま閉めた。
和夫はまた、ぐぅっと呻いたが、なんともないようだった。和夫は足の先をドアの隙間に挟み込み始めた。
ここで、この大男とドアの開け閉めで格闘していても勝ち目はない。
巧はあっさり、アルミサッシのドアを諦めると、小さなブーツのせいで、つんのめるように、なって外に駆け出た。
何か束にして積上げた大量の白い細い円柱のものにぶつかり、散らばらせてしまった。
それらは、大量の人骨。
自分のこの一本になっていたかもしれないのだ。
いや、まだわからない、これからなるかもしれない。
そう思うと巧の足は早まった、しかし、依然先まで届かぬブーツにヒール状態でサイズのあわないブーツを引っ掛けたまま、思うように走れない。
それより、暗闇と吹雪でどこがどこなのか全然分からない。
大量の散らばった人骨にもんどりうつようにしうて数歩進んだが、おかしい、和夫がドアを開けて追いかけて来ない。
背後から、良枝の甲高いよく通る声が聞こえた。
「この甘えん坊の小娘が、あんな客に色気づいたか」継映を叱りつけ、連続で頬をひっぱたく音。
「和夫、絶対、活かして逃がすんじゃないよ、うちらの命がかかっているんだよ」
それは、巧もおなじだった。
巧は周囲を見回し、軽トラを探したが、キーを持っていないことに気付き、諦めた。映画などでは、配線をむき出しにし直結させて、エンジンを掛けたりしていたが、そんな技術持ち合わせていなかった。
巧は、気持ちばかり焦り、暗闇と吹き付ける雪の中ゲレンデの方を目指した。大学生活も就職も、結婚も、子育ても巧を少しづつ裏切ったがスキーだけは裏切らない。
それにあそこにしか、自分の持ち物がない。
顔と素手が寒いというより、痛い。
それに咲香栄も重い。継映もよくしたもので、巧も咲香栄を捨てるには、スキーウェアを脱がなければいけない、もうそんなことは外気温と吹雪から出来ない。
巧は、オズの魔法使いの案山子のように足首がくねくねなりながら、ゲレンデを目指した。ゲレンデなら簡単だ、白い壁目指して進んでいけばいい。
ときには、手も使った。獣のように人肉を食らったのだ、獣のように逃げてなにが悪い。
巧にも和夫が、すぐに切断部屋から出てこない理由がわかった。
ぴしっと、なにかが、近くの雪面に刺さった。
銃弾だった。




