そういうことになった。
世の中、何事に関しても気の持ちようでものの見え方が変わることがあると言う。
気の持ちよう――あるいは、考え方の移り変わり。
というか有体に言って、気分。
朝日を浴びて、日光が心地よいと感じたのは、初めての経験だった。
「ん―――――」
布団の中で軽く伸びをすると、腰骨が僅かに音を立てた。
なんだか世界がやけに輝いて見える。輝くを超えて太陽が黄色く見えるような気もするが、気のせいだということにしておこう。
ともあれ……もう、朝だ。
住処を開けてきてもう十日――もとい、十一日。何にせよ、一度動き出してミリアムたちと合流し、無事を報せるべきだ。
四日後に控えた、公王との謁見のこともある。その前日には移動を始めるのだから、実質あと三日……それだけじゃなく、アンナとのことについても早めに話した方がいいだろう。
けど、少しだけ――ほんの少しだけ、今はこの微睡に浸っていたいような気もする。
最近、心も体も休まる暇が無かったんだ。せめて、アンナと二人でいる時くらいは安心して長めに眠っていたい。
「くー……」
変わらず、アンナは心安らかに眠っているらしい。
その様子を、なんとなく――愛しく感じながら、俺は自然な動作を装って抱き寄せる。
「ん……」
僅かに身じろぎしつつも抵抗は無い。あたたかな肌が触れると共に安心感が去来し、それに伴って穏やかな眠気がやってきた。
やけに近い顔にも、気恥ずかしさを覚えるよりも先に愛しさが立つようになったあたり――俺の心も、少しは成長できたのかな。
そんなことを思っていると、ふと、手に触れるものがあることに気付いた。
「…………?」
柔らかい――というか、どこかふわふわした、羽毛にでも触れているような感覚。
なんなのだろう。まさか胸ということはあるまいし。明らかに感触も違う。
髪に触れているのとも違う。いや、でも――前にネリーやレーネの頭を撫でた時、こんな感触があったような。
確実なことは言えない。何にしても、「そんな気がする」くらいのことだ。
けれど、なんとなく心地よい。ずっと触れていたくなるような、埋もれてみたくなるような……そんな魅力を感じるほどだ。
「んん……ぁ」
ふと、アンナがくすぐったそうに身じろぎした。
起こしてしまうと悪いな――と思いつつも、手は止まらない。
はて……何だコレ?
「リョーマぁ……くすぐったい……」
「……あ、ごめん」
「ん……」
薄目を開けて抗議するアンナに謝り、求めに応じるようにその体を抱き寄せる。
ついでに、頭を撫でて安心させた方がいいかな――と、そう考えて、アンナの頭に触れたその瞬間だった。
なんだか、触れ慣れない感触がある。
いや、けど、知っているぞ、これ。
慣れてはないけど、間違いなく知っている。少なくとも、俺はあの戦いの前に確実に一度は触れたはずだ。
触れたし、撫でたし、この眼で見た。それは少なくとも、人間の身体には存在しない器官のはずだ。
ちょっと縦長で尖り気味の三角形。面積はやや大きめで、その両方が正面を向いている。
感触は先程触れたものと似てもふもふとしており、非常に触り心地が良い。
だが、これ。
これは。
「……まさか」
思い立って、布団を跳ね除ける。その瞬間、俺の目に映ったのは、ヒトの身にありえないモノ。
それは――――。
「キツ……ネ……!?」
他に、なんと例えようがあろうか。
アンナの金の髪と同色の毛並みを持った、耳と尻尾。もふもふとしてやたら手触りが良い――のは、ともかくとして。
俺、魔族化の術式とか使ってないはずなんだが。
「あ、アンナ、アンナ! 起きろ!」
「んー……なに? まだもうちょっと……」
「俺もそうしたいとこだけどいいから起きろ!」
強く揺さぶって――も、何だか甘えてきて起きてこない!
ええい、いや、嬉しいことは嬉しいんだが、それどころじゃない事態が起きているというのに……!
「何なのさぁ……もう……」
「これ」
眠たげに目を開くアンナに、その尾てい骨あたりから生えた尻尾を見せてみる。
ごくごく自然にそれを手に取って――にわかに、それに触れた感触があることに気付いたのだろう。
途端、その目が見開かれた。
「何コレ――――――!?」
「俺が聞きたい……」
「リョーマのせいじゃないの!? ていうか、どう見たってリョーマのせいでしょ!?」
「多分……そんな気はする……けど、こんなことする気は無かったぞ!?」
概ね、昨晩の間に俺たちに関する説明はしておいた。
レーネがどういう状態で、魔族化とは何か――というような説明もした。
だからこそ理解できない。俺は術式を使った覚えは無いし、アンナも承諾なんてしてない。
人間ほどにものを考えられる力がある存在なら、魔族化の術式を使う時には了承が必要になるはず……。
「……い、一度ミリアムと合流しよう。それから、この話も……後々の話も、していこう」
「う、うん。わかった……」
……けど、これどうやって隠そう?
微妙な表情を浮かべながら口に出した疑問は、誰が答えるでもなくただ空間に消えていった。
――――あと、アンナが大声を上げたせいで他の家族が様子を見に来て、色々と厄介なことになったのはまた別の話だ。
で、そんなこんなで、昼前。
なんとかかんとかアンナに生えた耳と尻尾を……かなり不格好ながらも隠すことができた俺たちは、まず真っ先にライヒとクラインを繋ぐ魔石車の待合所に向かっていた。
目的は勿論、ミリアムにこの状況について詳しく聞くためだ。
もっとも、場合によってはミリアムも何でこうなったのか分からない、ということもあるだろう。
ただ……妙に高そうなワインを包んで持ってきて、その上なんだか生暖かい視線を送ってきているあたり、何が起きたかということについてはだいたい把握していると見ていいだろう。
「さくばんはおたのしみでしたね」
「やめろ」
伝統的な文言で俺を追い詰めるんじゃない。
「事実なのですから良いではないですか」
「羞恥心ってものがあるだろ」
「私は構わないと思うのですが。ずっとこうなるとは思っていましたし」
「そりゃあありがとうよ。で、何でこうなったんだ?」
「何でこうなったの!?」
ともかく、ここでひとつ核心を突かなければいつまでも話が進まない。
魔族化のことに限らず少々のことならだいたいは知っているんだ。この異常事態についても何らかの見識があるはず……。
……流石にアンナはちょっと冷静になれてないみたいだが。
「それは……まあ……粘膜的な接触のせい、かと……」
「ねん」
「まく」
「魔族の体液となるとそれはもう、豊富な魔力を含んでおりますので……それを直接取り入れたとなったら、ええ……」
だいたいわかった。
これ俺らが「仲良く」してたせいだ。
「ど、どどどど、どうしよう!? あたし、おじいちゃんとおばあちゃんたちになんて説明したらいいの!?」
「お、おお、落ち着け! それについては――それについては……どうすりゃいいんだ!?」
――――どうする!?
二人して急激なパニックに陥りながら、どうすれば状況が改善されるのかを捻り出そうと頭を回転させる。
ともするとまた血管が切れてしまいそうになるほどの切迫した思考の中、それでも全く動じた様子の無いミリアムは。
「結婚するから同族になったということにしたって大して問題は無いのでは?」
「へ?」
「え?」
「好き合っている者同士なんですから割と当然の帰結ですよね?」
結婚。
けっこん。
――――結婚!?
「いや、まだそんな確かに俺アンナのことは好きだけど結婚っていうのはお互いの家とか家族とかの了承も取って適切な環境のもと行われるものであって」
「じゃあ、そうする?」
……と。
パニックに陥る俺に対して、ミリアムの言葉を聞いたアンナは、逆にどこか不安を振り切ったように冷静にそんなことを言ってきて。
――――でも、顔は相変わらず真っ赤なままで。
勢いで言っているように見えなくもない。しかし、その目からは確かな決意が窺えた。
「そう――したい」
「うん……あたしも」
「いいのか?」
「いいよ。お父さんとか、お母さんとか、なんとかあたしも説得するから」
「……じゃあ、その」
僅かに、気恥ずかしさから目を逸らし、それでも――その目をちゃんと見据えて。
「結婚、してください」
「――――喜んで」
――――そういうことになった。
……ところで。
このやり取りの間中、笑ってるんだか何なんだかよく分からない表情で生暖かい視線を送り続けていたのだが。
それはそれとして、置いておく。




