鬼刃薄明
今回も三人称視点となります。
次回よりリョーマの一人称視点に戻る予定です。
「補佐官……だあァ?」
その言葉を聞いた瞬間、アラスターは内心でありえないと断じた。
なぜなら、その呼称はかつて先代の冥王が生きている時に用いられたものだからだ。
少なくとも、アラスターは当時、連携のために冥王の軍勢一人一人の顔を見ており――最低限、顔を合わせて言葉を交わせばそれが誰か、というところまでは判別できる。
――――それでも、ミリアムという名の人物も、彼女のような容姿を持つものもいないということを理解しているからである。
「――――ええ。それが?」
「ありえねえ。そもそも冥王様が今更復活するなんてこと自体がありえねェ。つまり――――」
テメェの言っていることは、嘘だ。
そう決めつけ――アラスターは、ミリアムの頭上に「鉄拳」を作り出した。
音も無く、確実に彼女を殺すべく振り下ろされる鉄拳は――しかし。
「そう思うならご勝手にどうぞ」
ミリアムは、頭上を見上げることも無く――涼しい顔で、それを回避してのけていた。
「リョーマ様はこういう時に本当に楽ですね。嘘かどうか分かるのですから」
「――――――」
「……さて。ともかく、退いてはいただけませんか?」
「ダメだ。俺ァアルフレート様のために戦うっつって決めてンだ。ここで退くなんざ――――」
「そうですか」
その言葉を聞いた瞬間、ミリアムは彼の視界から消失し――アラスターは、己の両足が断ち切られていることに気が付いた。
「ごッ……ああああああああァァ!!」
「では、言い方を変えましょう。『失せなさい』。殺す気はありませんが、選択肢を与えるつもりはありません。貴方も魔族の端くれなら、血は止められるでしょう? 死にたいなら止めませんが」
四肢を切断された現状、既にアラスターは身動きの一つも取れはしない。身をよじったり、あるいは無理やりに体を曲げるようなことはできるだろうが、そこで終わりだろう。
そして、この状態から何か企てようものなら、即座にミリアムはその首を刎ねる。その確信があったからこそ、アラスターは何一つとして行動を起こすこと無く、魔力による止血に集中していた。
「――――さて」
そんなアラスターを横目に、ミリアムは倒れ伏したネリーへと駆け寄った。
万が一、彼女が死んでいたら――と、不安がミリアムの頭をよぎった。
その軽い体を起こし、心音を確かめる。
弱々しいながらも確かに感じるその拍動に、思わずミリアムは安堵の息を吐いた。
「……テメェら、何で人間なんぞの味方を……!」
そんな中、問い詰めるような声がミリアムに届いた。
再び、一つ――今度は煩わしげに溜息をつき、ミリアムはアラスターへと視線を向ける。
「何でも何も、これが我々の方針です。共存を掲げることに何か不満が?」
「不満しかねェに決まってんだろォがッ!! 俺らの仲間が誰に滅ぼされたか忘れたってのかァ!!」
「一度敗北したなら、二度同じことをしてもまた敗けるだろうと考えるのは普通でしょう。そうならないためにも……」
「ふざけたこと抜かしてんじゃねぞこの売女がァァァッ!!」
その罵りを発した刹那、ミリアムはアラスターの眼前まで移動していた。
(速――――――)
果たして、思考の間すら、あったかどうか。
次の瞬間には既に、アラスターは一切の声を発することができぬよう、喉を完全に潰されていた。
(――――嘘だろ。この女、まさかカイルのジジイより……!?)
その身を雷と変え、光の速度を持つカイルよりも、更に速いのではないか。そんな不安がアラスターの脳裏によぎる。
アラスター自身は、自らの身体を雷に変ずるような魔法を使うことはできなかったが、それを認識できるよう訓練はされている。
だというのに、ミリアムの動きを正確に捉えることができなかった――となれば、その不安も当然のものと言えよう。
「本当に殺してしまうとリョーマ様に何を言われることか……まったく、難儀な方―――っ」
呟いたその瞬間、ミリアムは何かを察知したように、ネリーを抱えてその場から飛び退いた。
そして。
「――――――ぐあっ!!」
――――家屋を突き破り、アンブロシウスの巨体が飛来する。
「アンブロシウス!? 何をしているんです!」
「……すまん」
次いで、二人目――アンブロシウスの後を追うようにして、飛来する者があった。
暗い色の長い髪。軍服にも似た、格調のある衣服。握られているのは、ミリアムのそれとは異なる片刃の直刀だ。
髪の間から覗く鋭い眼光は、まっすぐにアンブロシウスに向けられている。
「……む、誰だおま――ミリアムか」
一瞬、アンブロシウスはミリアムが本人であるかを見誤った。
それは、普段彼女が身に付けている露出度の高い服装でなく、見慣れない――まるで肌の見えない服を着用していたからだろう。また、普段手を付けていない髪をひとまとめにして、ポニーテールのような髪型にしているという理由もあるだろう。
「新手ですか」
瞬時に、ミリアムはこの状況を把握した。
こうなることはある意味で当然だ。かつてその軍勢の多くを失った天帝の軍とはいえ、蜂起するからにはある程度は数を整えていなければならない。
ここまでの破壊をもたらすにも、この街の人間を全滅させると言うにも――それに足るだけの人材が必要だ。
「…………」
周囲を見回し、女はアラスターをその視線に収めた。
「……あの馬鹿」
一言ボヤき、仰向けになったアラスターの隣へと降り立つ。その目には、どことなく彼に対する失望が見え隠れしていた。
「…………」
「…………」
そして、一つ。互いに視線が交わされる。
アンブロシウスもアラスターも、そこにどのような感情が込められているかを窺い知ることはできなかったが――それが、相手を好ましく思うような感情でないことだけは、間違いない。
「――――二人、既に戦闘不能ですが。撤退する気は?」
「……承知している。撤退しよう。こちらも無用に犠牲を出す気は無い」
「話が早いようで、助かります」
言うと、女はアラスターの首根を掴み、その背の翼を用いて飛翔した。
しばし、静寂が辺りを包み込む。その直後、遠方から無数の竜が飛び立つ姿を、ミリアムは見た。
「……勝った、のか?」
「一応は、そうですね。と言っても戦略上の勝利でしかないのですが……」
ふとアンブロシウスを見やれば、彼もまた満身創痍の体だった。
右腕が肩口から切り裂かれ、僅かに残った神経節によってぶら下がっているような状態となっている。体中の装甲にも幾多の切込みが入っており、その戦闘の凄絶さをミリアムに想起させた。
「……一応は、我々の目的は果たしたと言ってもよいでしょう」
それでも、この状況だけは打開した。
街のいたるところからは火の手が上がり、人々の中に犠牲者も出ているだろうが――既に、天帝の城はその位置を移しつつある。撃退、という目標だけは達成できたと言っていいだろう。
もっとも、リョーマもネリーも瀕死の重態ではあるが――――。
「……それよりも、ミリアム。何なのだ、その格好と……その武器は」
「……え、あ、ああ……ええと。色々あるのですよ。色々と――――」
言いつつ、ミリアムはそれらを全て魔力へと還元し、己の身体へと戻していく。
それに伴い、普段の彼女の服装――無駄に露出度の高い衣服の上にストールを軽く羽織っただけのそれが、再び露になった。
(……奇妙なものだな)
厚手の生地で体を包み、腰に帯を巻きつけて止める――そのような様式の衣服を、アンブロシウスは見たことが無かった。
また、それは先程まで彼女が持っていた片刃の剣もそうだ。僅かに反りを持った、芸術的な趣すら感じるその刀身は、見るほどに吸い込まれていくような魅力を覚えるほどである。
これもまた、アンブロシウスの知識には存在しないものだった。
事実として、それはこの世界に存在しないものである。
故に、誰もが知るものではないだろう。知りえる者がいるとするなら、それは彼らの主であるリョーマだけに他ならない。
彼がそれを見た場合、即座にその武器と衣服が何であるか、理解してみせるだろう。
――――「日本刀」と、「和服」と呼ばれるものである、と。




