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ブラスナックル

今回は三人称視点となります。



 ドラゴンとは、決して完全な生物ではない。

 巨大な体躯に比例して燃費は悪く、大きな力を持ってはいても精密なコントロールができているわけではない。魔族と同様に膨大な魔力はあるが、それを扱う術を知らず、魔法も使えない。高い知能を持つが、人間のそれと比べれば流石に「動物」の域は出ない――そういった生物である。


 中でも人間によく知られるものとして挙げられるのが、翼竜(ワイバーン)だ。

 腕と一体化した翼を持ち、その身に宿す魔力を用いて自在に空を飛ぶ。他の竜と比べると小型の種だが、家畜が襲われるなどして被害を受けることも多々あるため、人々からは危険な存在だとしてよく周知されている。

 しかし、その多くは精霊術師がいれば撃退できる程度のものであり、精霊術師が集まっても本当にどうしようもない――というような存在は滅多にいない。

 それでも、ごく普通の――精霊術を習得していないような人間にとって、竜という存在は、たとえ小型のものであっても脅威である。


 ――――その事実を示すように、街を蹂躙する竜がある。


 その数、およそ数十。

 本来、数匹いれば軍が出動する事態になるものだが、こと今回の電撃的な強襲によってライヒの行政における指揮系統は麻痺しており、軍の出動など見込めるものではなかった。



「いやあああああああああ!」



 街中から、悲鳴が上がる。

 至る場所に、竜の口腔から吐き出される火炎の吐息(ブレス)によって、火がつけられている。


 籠城を決め込んでいても、これでは(たま)らず――燻り出されるようにして飛び出す人々は、外で待ち受ける竜の餌食となっていた。


 だからと言って、屋内で事態の収拾を待つことを選択した者が全て無事であるとは限らない。

 竜の巨躯によって倒壊する建物の下敷きになる者。火の手から逃れきれない者。ライヒの住人の多くは襲来の直後に逃げ出すことに成功していたが、逃げ遅れた者はその殆どが天帝の配下の犠牲となっていた。



「ひいいいい!」



 再び、悲鳴が上がった。


 年老いた女性に、飛竜が迫る。

 あまりの恐怖に腰を抜かした女性は、全力で逃げようにもそれすらままならない状態で、這って進むしか選択肢が残されていなかった。

 無念と、恐怖と、諦念とに苛まれる意識の中、彼女は――風を感じた。



「え――――」



 思わず、振り返る――その直後、女性はあるものを見た。


 一人の、黒髪の少女だ。

 その頭頂部には、一対の――三角形の「耳」が生えている。それが衣装や、あるいは装飾でないことを、女性は本能的に察知していた。


 魔族。


 その言葉が不意に浮かび、更なる恐怖に身がすくむ。

 しかし――――衝撃も、痛みも、彼女のもとに訪れることは無かった。



「があああああああッ!!」



 ――――その少女が、叫びと共に飛竜の顔面を蹴り飛ばしたからだ。



「にげろ!!」

 


 何故、魔族がそのようなことを言うのか。

 飛竜たちの仲間というわけではないのか。しかし、助けてくれた。まさか魔族というわけじゃあないのか。それとも――――。


 様々な思いが女性の胸に去来するが、その全てを振り払い、彼女は少女の言葉に応じるように立ち上がり、逃げ出した。


 他方、少女――――ネリーは、安堵したように一つ、息をつく。



「これで――戦える!」



 言葉と共に、その腕に一対の――先端に「爪」を備えた、巨大な手甲が顕現した。



「やあああああッ!!」



 声と共に、女性を追おうとする飛竜の首目がけてその爪を振るう。

 およそ、回避など不可能なタイミングでの強襲――当然、その爪の一撃から逃れる術は無い。


 ――――そのはずだった。



「何してンだテメェ」

「!?」



 刹那、遥か上空から超高速度で落下する物体があった。

 物体――正確には、「腕」だ。ネリーのものよりも遥かに巨大な、鉄の腕。それが、ネリーを目がけて突貫する。


 およそ想定の範疇に無い存在の、唐突な突撃。ネリー自身も、驚きを隠せずにいた。



「くっ!」



 飛竜の進路を塞ぎ、かつこの襲撃を回避する――そのために、ネリーの取った行動は迅速だった。

 振りかぶった右腕をそのまま下に向け、左腕に装着した手甲を飛竜の進む先へと向けて投げ放つ。


 翼を砕き、地面を削り、飛竜の動きを止めてその役目を終えた手甲は、瞬時に消滅しネリーの腕に戻ることとなった。



「何だ、オマエ」



 訝しげに、ネリーは問いかける。

 この状況で襲撃をかけてくる者など、到底まともではない。間違いなく――敵だ。


 見る者に、粗野な印象を与える男だ。

 衣服は動きやすいように着崩し、毛髪の整え方も乱雑。顔立ちが整っているようには見えても、凶悪な表情で全てが台無しにされている。

 頭頂部に生える角は、飛竜のそれとはまた異なる。


 認識すると同時、ネリーは腰を低く落として男を睨みつけた。



「聞いてんなァ俺だ。何してんだッつってんだよ犬コロ」



 男のその「腕」は、ネリーのそれと同じく魔力で形成された武器だ。


 武器の中頃を掴む形で装着するそれは、男の腕の動きをそのまま模倣(トレース)する――はっきり言ってしまえば、巨大化させただけの大雑把な武器と言う他ない。

 しかし、巨大であると言うのはそれだけで驚異的なものだ。魔族の身体能力ならば尚更である。

 少し自分に寄せるだけで防御ができ、振り回すだけで甚大な被害を周囲に撒き散らす。それを理解しているからこそ、ネリーも「大きい方が良い」と判断し、巨大な爪を己の武器として選択していた。



人間(あいつら)を、たすけにきた」



 正直にそう告げると、男の人相は更に凶悪なものへと変容した。

 憎悪、憤怒、殺意……ない交ぜになった負の感情が、レーネへと浴びせかけられる。



「そォかよ」



 言葉と共に、男は威嚇するように「籠手」を打ち合わせ――告げる。



「『天帝』が一番槍――――アラスター。人間(アイツら)の味方するってんなら……まずはテメェからブチ殺す」



 告げるその言葉と共に、男――アラスターは、全力の踏み込みと共にネリーへと向けて、その全力をもって突貫した。



「ォあああああああッ!!」



 銀の腕が唸りを上げて襲い掛かる。

 それは、ネリーの知る限り最も破壊的な威力を伴う突進――アンブロシウスのそれと比べても遥かに強力なものと言える。

 彼の場合は生来の恵まれた体躯を活かしたもの。アラスターは武器を用いたものという違いはあるが、アラスターの方が遥かに速い。



「くそっ!」



 この街中では、それを躱すことは難しい。

 そう判断し、ネリーは思い切り腰を落とし……。



「ガアアアアアアッ!!」



 その「爪」を拳の代わりとし――アルスターの鉄腕と打ち合う。



「ッ――――!?」

「ハッ……!」



 ――――次の瞬間、その爪が砕け散るとも知らずに。



「クハハハハハッハハアァ!!」



 思わず、と言った様子で哄笑が漏れる。

 アラスター自身、拳を打ち合った結果が「こう」なるとは思ってもいなかったのだろう。

 ネリーもまた、このような結果は想定してもいなかった。だからこそ、そこに一瞬の隙が生まれる。



「弱ェッ!!」



 その隙を見逃すほど、彼は甘くなかった。



「が――あっ!?」



 鉄腕から放たれた貫手が、ネリーの鳩尾を穿つ。

 衝撃が肺に突き抜け、全ての空気が吐き出されていく。



「てんで弱ェッ!!」

「がはッ!」



 その場にうずくまりかけたネリーへ、更に――上から、アラスターの鉄腕が叩きつけられた。



「ハハハ、ハハッハハハハハハギャハハハハハハハハァァアッ!!」

「あっ、あギッ! あ、がっ、おっ、ご――――」



 続けて、二度、三度、四度。幾度も幾度も幾度も幾度も――その掌が叩きつけられる。

 その度にネリーの体から何かがヘシ折れるような音が響き、血飛沫が飛び散っていく。



「それでッ! その程度の力でッ! あぁッ!? 『助けに』ィ!?」

「が、あが――あ、あ、あ、ア――――」

「テメェ! みたいな! ザコがッ! 何を助けられるッ! てンだッ!!」



 嘲笑と――あるいは、自嘲にも似た笑い声を響かせながら、アラスターはその腕を叩きつける。

 弱いことを罪だと嗤うように。守れないことが罪だと自嘲(わら)うように。


 やがて、声すらも発することのできなくなったネリーを、しかし、執拗に殴打するその最中。


 不意に、衝撃の嵐が止まった。



「――――あ?」



 自分はまだ、腕を動かしている。

 その事実に違和感を抱いたアラスターは、己の腕を持ち上げ――――。



 ――――そこに腕が無い(・・)ことに、気が付いた。



「ぁ――――――は?」



 即座に、彼の本能が警鐘を鳴らした。

 しかし、その理性はこの現象を「ありえない」と位置付けている。

 彼と戦っているネリーは既に瀕死。他の人間の存在も確認できず、アラスターの腕を斬り飛ばすことのできるモノなど、いるはずは無いのだ。ましてや、痛みすら感じさせず、彼自身にも気付かれないことなど――――。


 その一瞬の思考の食い違いが、アラスターに「彼女」の存在に気付かせる精神的な余裕を生んだ。



「な……?」



 見慣れぬ、異装の少女。

 黒い髪、黄金(きん)の瞳。その側頭部から生える捻じれた角は、彼女が魔族だと言うことを否応なく認識させられる。

 彼女の右腕に握られている片刃の剣が、アラスターの腕を断ったのだろう――と、彼自身も認識していた。



(だが――ありえねェ)



 血も、皮膚も、何一つとして付着しているものが無い。

 アラスター自身が気付かなかったとはいえ、彼女の持っているような、異質な剣でそのようなことができるなど、彼は聞いたことが無かったのだ。



「誰だ――テメェ!!」



 激昂し、喚き散らすようにして叫びを上げる。

 対し、少女は至極冷静に……しかし、明確な怒りをその瞳に(たた)え――――答えた。



「――――当代冥王補佐官、ミリアムと申します。記憶の必要はありません」

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