彼我の差
首に、剣が付きつけられている。
それは――少しでも抵抗を見せたなら、すぐに殺すという意思表示だろう。
――――何一つ、俺が勝ることのできるモノが無い。
その事実は、俺の心に傷を付けるには充分だった。
威勢よく出てきた割にこれか、と言われても――何も言い訳はできない。
「体力……身体能力は、先代のそれを上回るほど……だが、技術が、圧倒的に不足しておりますな」
「…………」
技術か。
いや――だろうな。俺の戦闘技術は、この人の足元にすら及ばない。
体術、武器、あるいは魔法。そのいずれを取っても俺が勝ちうる要素は万に一つも無いと言えよう。
……そんなの当たり前だ。そもそも俺はまだ本格的な戦いなんて一度経験したきりだし、魔族になったのだって半年前からだ。
もっと言えばちゃんと蘇生して、魔力が本当の意味で体に馴染んだのはついさっきのことだ。
何一つとして、足りているものなんて存在していない。
――――だが、俺はそんなこと承知した上でここに来たんだろう?
「悠長に――話してていいのか?」
「ぬ……?」
およそ、二十秒。
彼が剣を俺の首筋に突き立てているということは……それだけの時間、首に巻かれたマフラーに触れていた、ということでもある。
「な……!?」
彼の腕は、急速に――凍り付きつつあった。
俺だって、何も考えていないわけじゃない。
何より、俺が弱いことなんて、俺自身が一番よく分かっている。
だから、罠を張った。
魔法で作り出したこのマフラーは、一見するとただの白い布のように見えてそうではない。言うなれば――極低温の冷気だ。
迂闊に手を突き入れれば凍傷……どころか凍結は免れ得ない。
そして――想定外のこの現象が、ほんの一瞬の隙を作り出す。
「お……ああッ!!」
「づ……ッ!」
振り向きざまに放たれる一撃は、カイルの脇腹――その目前で防がれた。
――――これでもか!!
隙を作ったとしても、この人はその隙を瞬時に埋めてくる。
それでも、今の一撃は確かに何かが「折れる」ような手ごたえがあった。剣ではない。その先――彼の肋骨。
衝撃を殺しきることができずに、そのままアバラで受けるような状態になってしまったのだろう。
だがそれだけだ。痛みはあるだろうが、行動を封じるまでには至っていない……!
「――――ッ!」
直後、俺の心を見透かすように、カイルはその身を再び雷へと換え――光速で、俺から距離を取った。
今の不意討ちが相当に効いたと見える。肉体的にというより、精神的に。
確実に、俺の動きは封じたものと解釈したはずだ。絶対に、逃れることは不可能だと。
だが、俺は今こうしてここで彼と再び対峙している。それは、互いの実力差を正しく認識しているからこそ、ありえないと感じていることだろう。
しかし当然、これで警戒させてしまった以上、彼が二度も三度も同じ手を使うとは考えづらい。
背後からの不意討ちではなく、正面から――真っ向から俺を粉砕するつもりのはずだ。
「雷」
刹那、俺の耳は彼の声を捉えていた。
高位の魔法を発動するために、集中及びイメージの紐づけを行うための「呪文」。
それは、この言葉が発し終わるまで、魔法が発動することは無いという事実の裏付けであり――。
「ッおおおおおォォッ!!」
その言葉を遮るべく、俺は手に持った大斧をカイルに向け――――投げ放った。
「!?」
驚愕に目が見開かれる。ミリアムもそうだが、二人のように古い……戦前から生きている魔族というのは、「王」の武器に対するこだわりを強く持ちすぎているきらいがある。
この武器はこう扱うべきだ。この武器はもっと貴ばれるべきだ。それは王のためのものだ――――。
どれもこれも的外れだ。魔族の王にのみ扱うことが許されているもの、だからと言って余計な憧憬を抱いてどうする。
所詮、これは武器だ。武器でしかない。扱う者が「どう」扱うかによってその在り様も変わる程度のものだ。
だからこそ、効果的に扱う。既に、これは俺の武器なのだから。
「――――チィ!」
雷速、その一言を発することを許すわけにはいかない。
次に光速で迫られでもすれば、俺もどうなるか分かったもんじゃないのだから。
「逃がすかッ!」
地を蹴り、カイルへと強襲する。
再度、俺の手の中に現出した冥斧を振りかぶり……同時に、冷気の布をその刃へと浸透させる。
「ぬ……!」
「おォらァッ!!」
地を薙ぎ、放たれるのは――そこから伸長する、氷の刃。
しかし、カイルは僅かに身を削られつつも、高く……文字通り飛翔することでこれを躱してのける。
――――竜、か。
成程、彼らが天の王の名を拝領するわけだ。
助走や予備動作を必要とせず、魔力の動きのみで自在に飛翔し、空を行く……。戦略上、これほどに驚異的な存在はいない。
戦術面でも、それは恐ろしいまでの効果を発揮することだろう。そして――恐らくは、俺相手にそれを見せる必要は無いと、これまでは判断していたと見える。
慢心――いや、事実を客観的に分析した上で出した結論だろう。
確かに俺は弱い。戦闘の経験も少ない。
だからこそ、策を練るし、考える。何を置いてでも、まずは勝つために。
「――――雷」
と。
その瞬間、聞こえてきたのは先程と同じ呪文――だが。
「ッ」
止める手立てが無い。
先程は、意表を突く形で冥斧をブン投げることで気を逸らすことができたが、既にタネは割れている。二度同じことをして妨害できる可能性は限りなく低いだろう。
「速」
最後の一文字がカイルのその口から発せられた瞬間――俺の眼前を稲光が駆け抜けた。
「がッ……!」
「…………」
一本、深々と脇腹に剣が突き刺さっている。
今の一瞬で――――!
「ぬおォォ!!」
彼の口から放たれる裂帛の気合は、しかし、音すらも置き去りにするその速度のもとでは掻き消える。
そして、更に一本――脇腹に刺さったものはその姿を消し、新たに握られた一本の剣が右足の腿を貫通する。
「づっ……!?」
流石に、光速には対応できない。
……と言いたいところだが、可能性としてはありうる。
光速で行動しているということは、すなわち光速の世界をちゃんと認識しているということ。光速という速度に適応した知覚が無ければ、あらぬ方向にぶっ飛んで行ったり、目標を追い越して海の上――なんてこともありうるからだ。
そもそも、それを正しく認識できなければ人間が魔族に勝つ目も存在しなかったはずだ。
なら……!!
「ハァァ!!」
「――――――」
その瞬間。
ガギン――と、金属同士を打ち合わせるような音が、戦いの開幕以来――再び、響いた。
「な――――!?」
驚愕に、カイルの顔が歪められる。
けれど、やはり彼は戦士だ。驚きはすぐに鳴りを潜め、偶然のものと見做して再びこちらに猛突を仕掛け――――。
再び、二つの武器が打ち合った。
「!?」
「――こうか」
音を立てて、カイルの剣がヘシ折れる。
それは、ある意味では当たり前の帰結だ。そこに至るまでの道のりは――まともだとは、到底言えないが。
「まさか――あなたは」
僅かに距離を離したカイルが、恐るべきものを見るように呟く。
その瞬間、俺は不意に、自分の頬を流れ伝うものがあることに気付いた。
「さて、どうだろうな」
彼の言葉に応えられるものがあるわけじゃない。ただ、俺は自分にできることを追求し、実行しただけだ。
血液が、頬を流れて伝っていく。
加えて、鼻からも血が流れだしていた。
鼻の奥から、血液が喉へと流れ込む。鉄の味がいやに不快だ。
だが、当然と言えば当然だろう。
――――光速を強引に知覚させるという、尋常ではない過負荷を脳にかけている以上は。




