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雷光の速度

 冥斧(カリゴランテ)の切っ先を突き付けると共に、俺の周囲を取り囲むようにして黒い(モヤ)が立ち上る。

 それらは、瞬く間に俺の全身を覆いつくすと、やがて一つの形態を取った。

 古びた、黒いコート。その(すそ)は朽ちたように――あるいは、燃えるように、朧に揺らめいて見える。


 それがある種の冥王の武器――この斧と同じようなものだと確信した瞬間、俺は魔法を用いて創り出した純白の「布」をマフラーのように首に巻き付けた。



霊衣(れいい)……! やはり、冥王様……しかし、何故あなた様が人間を守ろうと――」

「惚れた女守るのに、他の理由が要るかよ……!」

「えっ」

「あっ」



 ――――ふと。


 売り言葉に買い言葉というか。

 勢いに任せて言ってしまった。



「な、なな、何で今そんなこと言ってんの!? バカなの!?」

「う、うるさいな! 何でもいいだろそんなことは!」

「いいわけないでしょ!? 何、ホレた女って! あたし、一回もそんなこと聞いてないんだけど!?」

「言う機会も無かったんだよ! ……それ以前に言えるか、馬鹿!」



 こいつ、何でこんな時に追求なんて始めてるんだよ!



「……よろしいですか?」

「あ」

「…………」



 ……あまりに弛緩した空気に耐えかねたのか――というか、空気を読んでくれたのか。男は複雑そうな表情でこちらへ向き直った。


 何故だろう。俺たちの方は別に悪いことをしているはずも無いんだが、すごく申し訳ない気持ちになってくる。



「アンタ、一体何者だ」

「――貴方様に問われたのならば、答えなければなりませぬ。我が名はカイル。天()、アルフレート様の第一の配下――」

「天……『帝』……? 天王じゃないのか?」

「その名は、人間を滅ぼすと決めた時に捨てられた……!」

「……滅ぼす?」



 明かされるのは、彼らが行動を起こした動機だった。

 人間を滅ぼすというそれは、かつて滅ぼされた側である魔族が蜂起する動機としては分かりやすいもので――同時に、俺にとっては何より許しがたいものだ。



「正気か?」

「賛同してはいただけませんか」



 人間を、滅ぼす――――。


 確かにそれは、俺も一度は視野に入れたことではある。生き残る、それだけを目的とするならば――悪手ではあるが、決して無視はできないという程度の話だ。

 何せ、確実に自分たちが死ぬ要因を一つ取り除けるんだ。言うなれば自衛の究極系――だろうか。


 だからと言って、積極的にそうしようと望んだことは無い。

 それは、そうする以外全ての手を使い切って、初めて考えるべきことだ。



「駄目だ。認められない」

「そこの人間に、(たぶら)かされでもしましたかな?」

「そんな色気があるように見えるか?」



 ……いや、これもほら。売り言葉に買い言葉というか。ともかく俺自身は別に色気が無いとは思ってなくてね?


 だからできればそうやってものすごい表情で俺のことを見るのはやめてくれないだろうか。

 そこのカイル何某もできれば鼻で笑うのをやめてほしい。後が怖い。



「ご自身の考えで、と」

「当たり前だ」



 俺は、俺が守りたいと思ったから人間を――アンナを守る。

 それだけだ。


 言葉と共に、ゆっくりと――弓の弦が引き絞られるように、互いの間にピンと張り詰めた緊張感が広がっていく。

 折れた剣は所詮、魔力で作り上げられたものだ。折れたものは消失して魔力に還元され、カイルの手には既に真新しいものが握られている。



「離れててくれ。巻き込まない自信が無い」

「う、うん……でも――」

「話は後で、ゆっくりな」



 叶えられる自信は無い。けれど、アンナに少しでも安心して逃げてもらうために、「この後」のことを口にする。


 実際に、納得もしてくれたのだろう。チラチラとこちらを振り返りながら、アンナは遠くへ駆けて行った。



「……アンタにも、今は退いてもらいたいんだが」

「そういうわけにはいきますまい」



 腰を低く落とし、堂に入った構えを見せるカイル。

 その容貌、戦闘態勢に入った瞬間の空気の移り変わり……魔族の老化速度が人間よりも遥かに遅いことを鑑みると、彼が相当な手練れで、かつその外見に見合っただけの戦闘経験も積んできているだろうということは容易に推測できる。


 一分の隙すら見当たらない。達人、というものはこういうものを言うのだろうか。

 だとしても。



「押し通る……!!」

「殺してでも止めてやる――――!!」



 絶対に、負けられない。


 ――その瞬間、音速を遥かに超える速度で、二つの武器が衝突した。



「ッ――……」



 先程壊したのは、あくまで「ヒト」を相手にするために創り上げられた武器だった。だが今、彼が手にしているのはそういった枷の一切存在しない――魔族をも斬ることができる武器だ。

 明らかにその質が違う。堅く、鋭く――何より、(つよ)い。ただ一度の打ち合いでは、欠片も揺るぎはしない。


 けれど、それなら――。



「であァァッ!」



 ――――「本体」はどうだ!?


 激突の直後、体を捻りながら回し蹴りをカイルの横っ腹に向けて叩き込む。



「ぐおっ!?」



 思惑通り――と言うべきか、彼は衝撃と共にたたらを踏み、一瞬その動きを止めた。


 ――――だが、まだだ!!


 これで終われない。終わるわけにはいかない。



「ら、アァッ!!」

「――――ッ!!」



 勢いのまま振りかぶる形になった斧を、そのまま逆方向へと体を捻子(ネジ)り、横薙ぎに――思いきり、振るう。

 目標を過たず叩きつけられたそれは、しかしカイルの体に直撃することは叶わなかった。



(……剣を……!)



 俺は、ほぼ完璧なタイミングで一撃を放ったはずだ。

 しかし、直撃するその直前、彼は剣を一度消して再度創り出すことで、剣を犠牲にしながらも完全な直撃を避けていた。


 いったいどれだけのクソ度胸があればそんなことができるのか。少し目標を誤るだけでも重傷じゃあ済まない――どころか、死ぬ可能性だってある。

 それを当然のようにやってのけたあたり、この人の技量のほどがうかがえる。一体、どれほどの研鑽を積めばあれだけのことが……!



「チッ――!」



 確実に手ごたえはあった。だが所詮は素人の感じた手ごたえだ。まったくの的外れでも仕方がない。


 ちょっとやそっとのことで勝てるとは思ってもいなかったが、ここまで違うか、実戦は……!

 なら、とにかく手を尽くすしかない。今俺が持てる手を全て――――!



「だったら!」



 肉体と魔力との最適化は終わった。先代冥王の知識も、間違いなく使うことができる。

 それでも、高度かつ複雑な術式を刻むには時間がかかる。少なくとも、戦闘中に刻むことができるほど悠長な間は無い。


 それでも、ちょっとしたものなら……!



「これ……」



 これまでよりも遥かに早く、正確に空間に刻まれる術式。

 それが意味するものは、氷と射出――氷の銃弾を超高速で放つというものだ。



「でぇッ!!」



 超音速で放たれる氷の弾と共に、俺の体もまた弾かれたように飛び出していく。

 複数方向からの同時攻撃。先に戦った精霊術師と同じ手というのは癪だが、あれが効果的なことは俺の体で立証済みだ。


 これなら――――!!



「――――雷速」



 考えた、その瞬間。


 放たれた全ての氷弾が切り飛ばされ、俺自身の胸に真一文字の傷が刻まれた。



「がッ……!?」



 今のは、一体――――!?


 そう考えるよりも早く、新たに右の腿と左の脇腹に切り傷が刻まれる。


 その瞬間に、僅かに見えた。あれは――――。



(光――いや、電気……雷か!)



 雷。

 恐らくは魔法によるものだ。まっすぐにカイルを見据えて突進を敢行した、その時に彼の姿を見失ったのは――彼自身が、その肉体を雷と変化させているからか!



「や、ろおッ!!」



 一瞬、音が聞こえたその方向に向けて一撃を放つ、が――既にそこにはいない。

 あらぬ方向に放たれた冥斧(カリゴランテ)の一撃は、地面を抉り、巨大な溝を穿つのみに留まる。


 ――――捉えられない……!


 魔族の動体視力でも、捉えきれない!


 超音速にまで到達し、その領域を知覚することのできるはずの俺にさえ、動きが見えない。

 それはつまり、彼が――光速の領域に在るということを示している。



「遅い」

「――――ッ」



 背後から聞こえた声に、反応――すらも、できない。

 たった一秒足らず。一瞬のうちに、その姿は俺の認識の外に吹き飛んでいく。

 振り回された斧も、再び地面を傷つけるのみ――――。


 ――――そして。



「今の貴方では、この私に土を付けることはできませぬ」



 恐らくは事実であろう一言が、背後で立つ彼の口から告げられた。

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