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かくあることを望むもの

「……どうしたんだ、レーネ」



 その小さな体は、不安そうに、僅かな震えを見せていた。

 原因は……恐怖というわけではないだろう。レーネ自身も魔族なのだし、俺のこともよく知っているだろうから。


 いや――もしかすると、アンブロシウスの反応を鑑みるに、今の俺はよく理解できない状態にでもあるのかもしれない。それこそ、俺のことをよく知るはずのミリアムやレーネですら。

 元々、恋心や何やという感情に縁遠い人生を――今はヒトではないが――送ってきたのだ。初めてのそれが挫けてしまうと、それ以外の感情や思考が誤作動を起こしても仕方ないかもしれない。



「どう、っていうか、あの、その……す、少しお話しても、いいですか?」

「ああ、構わないよ。どうしたんだ?」



 それでも、彼女の前だと少しだけ穏やかでいられるのは、年少者を相手にしているからか。

 それとも、レーネを妹のように思っているからだろうか。どちらにせよ、刺々しい対応を取るよりは、余程いい。



「リョーマさま、ずっと……元気無いな、って思って……」

「そうか? ――――いや、そうかもな」



 ああ、まあ。

 健全な精神状態をしていないと言うことに限っては、まず間違いない。

 他でもない、俺自身にその自覚があるんだ。周りから見ればもっとわかりやすいだろう。



「レーネも、俺らしくないって思うか?」

「えっ? う、ううん……そんなことないです。それだけの理由も、あるんですし」

「……理由――か」



 では、それは果たして正当なものか?


 酷い嘘をついていたのは、俺の方だ。その嘘がバレて、怖がられて――――こんなのはきっと、自業自得に過ぎないんだ。

 ショックを受けていること自体が、筋違いなのだろう。



「アンナには、そんなこと関係ないんだよ」

「でもっ」

「嘘をつかれた方は、それだけで苦しいし、悲しいんだ。どうしようもないくらい――」



 俺も、それを味わったのに。

 悔恨か、自嘲か、あるいは、諦念か。

 いずれにしても、泥土のように絡みついて離れないそれは、俺にとっても決して心地の良いものではない。



「……だから、俺は何を言われても、何を思われても仕方がない。嫌われるのだって――しょうがないんだ」



 できれば、そうなりたくはなかったけれど。

 嘘をつき始めた時から、こうなることは予想して然るべきだった。


 ――奇しくも、先生が忠告していた通りになったとも言える。



「……ごめん、レーネ。今は一人にしてくれないかな。俺、まだ……」

「っ……ごめんなさい!!」

「え」



 その瞬間、世界がズレ(・・)た。

 いや、違う。顔を叩かれた衝撃で、そのまま横を向く格好になったんだ。


 ――――叩かれた?

 レーネに?



「――――え?」

「…………」



 見れば、レーネの目尻には僅かに涙が滲んでいる。

 ……いや――――何でだ?

 何で、今。泣いてなんて。



「わたし、リョーマさまのことが、好きです」



 ――――――――――――。



「は?」



 いまいち意味の理解できないその言葉に、俺は思わず目を剥いて聞き返してしまっていた。

 いや。仮に。そうだとして。



「何で今!?」

「ちょっとだまってください」

「はい」



 駄目だ。強い。

 いや、今のこの状況では単に、負い目もあるし落ち込んでるしで俺の方が弱いってだけだが。

 何を言っているんだレーネは!?



「だから、わたし、アンナさんといっしょにいるの見て――なんか、ヤだなって思ってたんです」

「……え」

「そんなわたしが、いやでした。汚いなって、思ってました」



 俺がアンナと一緒にいる時に、レーネが不機嫌になってたのって――まさか。

 い――いや、確かに、今思い返せば何だかそういう兆候や素振りも、あった、ような……。



「でも、今―――思うんです。今のリョーマさまは、好きじゃない、って」

「…………」

「あの時は、ずっとキラキラしてました。元気で、かっこよくって、でも」



 今は、そうじゃありません。

 そう言って、レーネは俺の目を見据えた。



「きっと、アンナさんがいたから、ずっとリョーマさまはキラキラしてて、かっこよかったんです。」

「…………」

「アンナさんも、リョーマさまと一緒にいる時、すっごく楽しそうで、キレイで、かわいくって……でも、今はそうじゃないです」



 言葉の刃と共に、レーネの握りこぶしがぽすぽすと腹に当てられていく。

 殴っている。にしては力が弱い。抗議――のつもりなのだろうか。


 ……だとしたらそれは、きっと俺にとって一番突き刺さる――――。



「わたしは! リョーマさまも、アンナさんも、ミリアムさんも、ネリーちゃんも、リースベットちゃんも……みんなが笑っていられるのが、いいんです……!」

「……レーネ」

「ハンスおじいちゃんも、フリーダおばあちゃんも、みんながいるのが、いいんです。『いつか』じゃなくって、『今』が……」



 ――――不意に、思い出す。

 レーネに、村の人たちと交流が持てるようにしてやりたい、と。そう思ったことを。



「なのに、これじゃあ……こんなのって……ない……」



 嗚咽が上がる。

 涙が、零れる。


 ――――ああ、本当に。俺は、クズだ。


 何をしているんだ、俺は。

 レーネにこんな顔をさせるために、頑張っていたのか、俺は。違うだろう。

 俺が頑張ってきたのは、レーネのような子が、笑って過ごせる将来のためだ。

 魔族と人間の垣根無く、個我を持つ生き物として互いが互いを認め合って生きていく世の中を作りたいからだ。



「ごめんな、レーネ。少し、忘れていたかもしれない」



 一言謝って、その頭を撫でる。


 ――――今度は、躊躇なく。


 いつかは躊躇った。そうする必要も無いと。俺にはそうするだけの価値も無いのだから、求めているはずが無いと断定していたから。



「俺だって、ハンスさんや、フリーダさんや――――アンナとも、一緒に生きていく未来が欲しい。お前が好きでいられる俺でありたい」

「リョーマさま……」



 そのためには、一体どうすればいいのだろう?

 そう考えたところで――――ふと、背後に気配を感じた。



「ようやく発破がかかりましたか」

「――――ああ、そうだな」



 毎度のことだが、いつもいつも人の背後から急に話しかけるのは勘弁してほしい。俺は慣れたが、未だに慣れていない上に実は臆病なネリーなどは、驚いて飛び上がっているほどなのだから。

 ともあれ、僅かに笑んで見せる。少しでも、迷いは解消されたのだとアピールするように。



「悪い、ミリアム。色々と――迷惑かけた」

「私は別に。オスヴァルトにかけられた迷惑の方が余程」

「それだって、俺が毅然として、ちゃんと言い聞かせておけば良かったんだ」

「後から『こうしておけば良かった』という考えは、あまりよろしくありませんよ」

「――――そうだな。じゃあ、先のことに目を向けるか」



 希望は無いかもしれない。

 望みは絶たれたのかもしれない。


 だからどうした(・・・・・・・)


 考え方だ。もっと、良い方向に考えろ。

 俺が元々マイナス思考なのは間違いない。そこを転換するのが今、一番やるべきことだ。

 俺が見る「先」が明るくなければ、自然とその認識とネガティブさは周囲に伝染してしまうのだから。



「では、まずはその『先』を見るために必要なものを」

「ん?」



 言いつつ、ミリアムが取り出したのは野球ボールほどのサイズの水晶玉だ。

 その内部には何らかの術式が淡く光を放っている。



「オスヴァルトに用意させました。ひとまずはこれで償いとしていただければ」

「償いも何も、俺はそもそもオスヴァルトには怒ってないよ」



 魔族の未来を想っての行動だ。結果的にそれは向かってはマズい方向へと向かってしまったが、そこにあったのは純粋な善意だけだったはずだ。


 ……人間に対する害意はあったかもしれないが。

 それを言うなら、俺だってここ一週間ほどずっと腐っていたわけで、皆に迷惑(しんぱい)をかけたという意味では、俺も大差は無い。



「以前にも言ったかもしれませんが、もう少しご自分を優先してください」

「分かったよ。今度からそうする」

「よろしい」



 満足げに頷くミリアムに、思わず顔がほころぶ。



「それで、これ、なんなんですか?」

「これはですね、遠見の魔石です」

「遠見――どこか遠くの場所が見えるのか?」

「ええ、勿論。本来の用途は違いますが――――」



 それは何なのだろう。そう問いかけるよりも先に、ミリアムはある衝撃的な一言を放ってのけた。



「今のアンナさんの生活を覗きましょう」



 ――――犯罪だコレ!!

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