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自分らしさ

 黒曜石の如き色彩を放つ豪腕が、眼前を通り抜けていく。

 音速を超える、超硬の鎧を介した凄絶な一撃。人間ならば受けるどころか反応すらできず、肉塊と化すことだろう。

 およそ、常識では考えられぬその超絶の速度に、しかし――俺の体は、確実に反応をして見せていた。



「――――」

「ぬ……!」



 上体を逸らして躱し、その腕を取って体勢を崩しにかかる。

 アンブロシウスの体重は、軽く二百キロを超える。その巨体も併せて、重量を利用した投げと崩しが最も有効な相手ではあるが――――それは、一対一(・・・)という状況に限っての話である。



「おおォォあ!」



 床面スレスレを、滑るようにネリーが走り抜ける。その両腕には彼女が具現化に成功した巨大な籠手が装着されていた。

 その威力は、当然ながらその巨大さに比例するほどのものを秘めているはずだ。俺でも、直撃すれば大怪我は免れない。

 しかし、それを――――。



「せェあァッ!!」

「うお……!?」

「なっ!?」



 アンブロシウスを投げ飛ばし、進路を封じる。

 地面に叩きつけられることによって発生した衝撃はアンブロシウスの意識をごく僅かに酩酊させ、勢いにたじろいだネリーがその歩を止める。

 その瞬間に俺は、二人の意識の間隙を縫うように地面を蹴り――――。



「――――ここまでだ」



 ちょうど、二人の首を両断できる位置に現出した、冥斧(カリゴランテ)を寸止めしてみせた。

 ネリーの額を冷や汗が伝い、アンブロシウスの肩から力が抜ける。


 それが――――俺たちの模擬戦(・・・)の終了の合図となった。



「……そうだな。降参だ」



 斧を魔力に還元すると共に、アンブロシウスがその巨体を再び起こす。

 その両手は、俺と――この模擬戦を見る者に「参った」と告げるように、軽く掲げられていた。



「くそぅ、負けた! なんなんだ、あるじ、そんなに強かったのか?」

「……少し見れば、動きの癖は分かるんだ。あとは、考えた通りに体を動かしてるだけだよ」

「は?」



 言うだけなら簡単だが、実際にやるとなると難しい――という類のものであることは、一応承知している。

 あくまでこれは、俺の猜疑心が生んだ、イカレた戦法だ。まともな人間……魔族でも、できることじゃあない。

 嘘を見抜く時と似たようなものだ。相手の挙動をつぶさに観察し、適切な対処行動を取る。それ「だけ」と言ってしまうとなんてことないように聞こえるが、その実、やっていることはひどく偏執狂(パラノイア)じみた妄執だ。



「見て……? クセ……?」

「分かりにくいだろうし、分からなくていい。俺だって自分の感覚でやってるだけなんだから」



 少なくとも、この戦い方はネリーには合っていない。どちらかと言えば、ガンガン自分から突っ込んでいく方だろう。



「……冥王。一つ、聞くが。無理をしてはいないか?」

「無理? ―――何がだ?」

「いや、それ……」

「普段と比べて圧倒的に少ない魔力量と、息の上がり方だ。明らかに疲れが見える」

「……地下の移動と、訓練と、同時にやっているからな」



 地下空間の移設は絶対にしなければならない。

 そのためには常時、俺の魔力を術式に供給し続ける必要がある。魔力が少ないように見えると言うのもそのせいだろう。



「訓練のようなもんだよ。気にするな」

「訓練とは、適宜休みを取りながら行うべきものだ。それすら無いというのは――拷問に等しい」



 ――――何を考えている?


 そう問いかけて、俺の答えを待つかのようにアンブロシウスは黙り込んだ。



「……何を、か」

「あるじ?」

「アンブロシウス。お前は、俺が人間と戦争をするかもしれないと言ったらどうする?」



 その言葉に、ネリーはぎょっとしてこちらへ顔を向けた。

 だが、俺も俺で真剣にこの質問をしている。どうしても、今、ここで答えてもらわなければならない。



どうでもいい(・・・・・・)

「んな!?」

「だろうな」



 それは、ある程度想定していた答えでもあった。

 アンブロシウスも、あるいはオスヴァルトも、リースベットも――恐らくは、今、この地下にいる面々の多くは人間に対して嫌悪感を抱いてはいないまでも、興味を抱くほどではないと感じている。



「俺が目を向けるべきものは姫と仲間(おまえ)たちだけだ。それ以外は知らん」

「……だろうな」



 元々、地下にいる面子は人間との交流が一切無かったわけで。人間に対しては、どうなろうが知ったことじゃあないというのが本音だろう。

 ネリーのように、少しでもショックを受けている方が余程おかしい。



「い、いちおう、あるじは人間と仲良くしたいんだよな?」

「そうだな。けれど、それができないこともあるんだ」



 望まれなければ、交わりようが無い。

 求められなければ、分かりあいようがない。


 ――――恐れられれば、望まれない。求められない。



「――――だから、死なないために鍛えるしかない」



 恐れはいずれ焦りを生み、焦りはいずれ悪意を生む。

 殺してでも生き残らねば――と考えるのは、何も人間だけじゃあない。

 魔族(おれたち)も同じだ。



「死なないために殺すしかないことも、あるんだ」

「…………ッ」



 そう告げると、ネリーはどこかいたたまれないような表情になって、そのまま何処かへ駆けて行った。

 他方、アンブロシウスは泰然自若として――そう見えるような気がするだけだが――俺の方へと近づいてくる。



「冥王。お前は本気でそう思っているのか?」

「本気さ」

「以前までのお前なら、分かりあう余地があると熱弁していたはずだ」

「考えは変わる」

「………………」



 元々、アンブロシウスの顔は厳めしい方だ。外殻に覆われてその表情までは窺い知れないが、それなりに長いこと過ごせばその感情を読み取ることもできる。

 その上で――彼は、どこか寂しそうにしているように見えた。



「――――らしくないな」

「じゃあ聞くが、俺『らしい』ってのは、何だ?」

「誰に対しても義を以て相対する。いざとなれば何に対しても臆さず立ち向かう。それが、お前らしいことだと思っている」

「……そうか。それが、間違っていたってだけだ」



 本当の俺は、そうじゃない。

 誰かに必要とされていなければ、ただ生きることすらも覚束ない――どうしようもない男だ。

 人間としても、王としても、あるいはただ今を生きようとする一個の命としても、恐らくは欠陥だらけの、どうしようもない――――。



「お前は、それでいいのか?」

「いいも悪いも無い――――結果的に、こうなっただけだ」



 少しボタンを掛け違えていれば、何かが変わっていただろう。

 けれど、そうはならなかった。これは、それだけの話だ。



「そうか」



 そう、一言だけ言い残して、アンブロシウスもまた、俺の前から立ち去って行った。


 見損なわれただろうか。

 ――そうなっても、仕方がないか。



「……俺は」



 俺は、一体どうするべきなんだろう?

 どうするのが、正しかったのだろう?

 誰もいない広間に一人、空間を動かし続ける魔力を供給しながら、ひたすらに考える。


 そうして、どれだけ経ったかという折に。



「……あの、リョーマさま。いいですか?」



 ――――不意に、レーネが部屋の中に入ってきた。

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