終わる日々
「――――オスヴァルト」
驚愕の中にあって呆然と、言葉が口を衝いて飛び出す。
何故、よりにもよってオスヴァルトがこんなところに――――?
意味が分からない。今までずっと俺の言うことを守って、ちゃんと家の地下で留守を守っていたはず……。
「え、だ、誰? 知り合い? っていうか、おう? って何……?」
「い、いや、これは! 何してんだお前!?」
「何を、とは? このオスヴァルト、私にしかできぬことをしているまで――ですが」
音も無く、滑るようにオスヴァルトがこちらに近づいて来る。
その視線は、まっすぐにアンナの方へと向けられていた。
「やはり、この少女ですか」
その瞳に映っているのは、明確な敵意だ。
――――どういうことだ。
頭の中に疑問が渦巻く。冷や汗が止まらない。
何だ。何故オスヴァルトはここにきた。考えろ。
こいつの言う「やはり」っていうのは何だ。どういう意味だ。
何のために、何をする気なんだ――――?
「な、何……?」
ねめつけるようなその視線に思わずたじろぐアンナ。俺はその肩を掴んでしっかりと抱き寄せる。
「……オスヴァルト。答えろ。お前は今、何をしようとしている」
「我が王が王として在るために、必要なことを」
「りょ、リョーマ? これ、何? どういうこと……」
俺が、王として在るために必要な――――――?
その言葉を聞いた瞬間に、不意に思い出す言葉があった。
――――配下とはいえ、あまり信じすぎてもいけませんよ。
忠誠心ゆえの、暴走。
あるいは、と――考えなかったわけじゃない。
いや、率直に言ってオスヴァルトに限ってありえない、と思っていた。少なくとも、落ち着いて周りを見渡せる性格だと、ずっと思っていた。
だが、今目の前にいるこいつは……。
「『何』をする気だって聞いてるんだ。答えろ」
「――――失礼。ですが……その少女を殺すと言っても、貴方は絶対に許容する気は無いでしょう?」
瞬間、俺はアンナを抱き寄せて、一足飛びにオスヴァルトのいる位置から飛び退いた。
「……え?」
何が起きたのかを把握できてすらいないのだろう。
オスヴァルトの言葉も、俺の今の行動も――――把握するには、数秒ほどの時間を要する。
「正気か」
「無論」
そう言うだろうとは思っていたが、だからこそタチが悪い。
正気のまま、こいつはアンナを殺そうとしている。
「アンナと俺の立場と、どう関係がある。ただの人間だぞ」
「ただの人間だからこそですよ。仮にも魔族の王たる貴方にとって――――人間とは本来、不倶戴天の敵なのですから」
「――――」
「人間と共にいることは、王のみならず我々魔族全てにとって、危険極まりない。故に危険因子を取り除くべきと判断した次第」
「――――――え?」
その瞬間、血液が沸騰したような感覚に見舞われた。
オスヴァルトの言葉を聞いたから、ではない。
アンナのいる前で俺の素性をバラされたから、ではない。
――――誰より、そのアンナが俺を見る目が、恐怖に満ちていることに気付いてしまったからだ。
「――――あ」
思わず、吐息と共に声が漏れ出す。
その恐怖は、きっと妥当なものだ。魔族という存在を少なからず理解しているならば、恐れて当然なんだ。
けれど。俺はその眼を見て強烈な悲嘆を覚えていた。
誰よりも嫌われたくない女の子に、そんな眼を向けられたから。
「い、いや……!」
その言葉と共に、アンナの両手が俺を突き飛ばした。
明確な拒絶の言葉と、行動。
それは、俺の心に絶望を植え付けるには充分で――――――。
「……あ」
何か。俺の中の大事なものが折れるような音が聞こえたような気がした。
「え……? あ、え……?」
「……貴女から拒絶いただけるとは、都合が良い」
見れば、オスヴァルトの手には魔力で作り出したのだろう短刀が握られている。
人間の作る刃物よりも遥かに切れ味鋭いそれは、人体を切り裂くには十分な威力を秘めている。
当然、アンナの体ではそれに抗う術は、無い。
「魔族の存続のためには、人間との関りを断つべきなのです。どうか――――安らかに」
――――どこか、俺にはオスヴァルトのその言葉が遠いものに聞こえて仕方なかった。
回想。
それは、俺が経験した最も忌まわしい記憶をなぞる行為と共に訪れる最悪の感覚だ。
今日までに起きた全てのフラッシュバックは、ある一つの事件に集約される。
――――すなわち、俺が父に心中を迫られた事件に。
ナイフ。家族。突き刺す。それらの単語が一斉に脳裏に溢れ出し、数年前の記憶が完全に思い返される。
到底、思い出したくも無い――――最悪の、記憶。
俺の心に心理的外傷を刻み込み、俺に「他人から必要とされること」への渇望を抱かせた記憶。
「――――――――」
刹那の内に、俺の意識は元に戻っていた。
オスヴァルトの突き出した腕は、決して速くない。足がすくんで、何やら混乱して動けないアンナに突き刺さるには、数秒もかからないだろうが――――。
「―――――――え?」
「は……?」
その瞬間に、オスヴァルトの腕は消失していた。
「な……ぐ、が……!? こ、これ、は―――――!?」
「少し黙れ」
俺の荒れた心中をそのまま示すように、魔力の奔流が周囲を覆いつくす。
消失したオスヴァルトの腕は、そのまま俺の手の中にあった。そうした獲物は、既に俺の右手に握られている。
冥斧。冥王の持つ唯一にして最大の武器だ。
「ぬ、あ、お、王よ――――この仕打ちは、い、いささか……!」
「俺は『黙れ』と言ったぞ、オスヴァルト」
「ごっ……!?」
踏み込みによって瞬時にオスヴァルトの眼前へと移動し、その首根を掴む。
これ以上喋らせるわけにも、誰より、アンナに手を出させるわけにもいかない。
どうしてもと言うのならば、俺が実力行使に出る他無い。
「たとえお前でも、この子を殺そうって言うんならその前に俺がお前を殺す」
「が、あ――――」
泡を吹きそうになりながらも僅かに頷いたことを認め、俺は握り締めていた首をそのまま手放す。
「がはっ、はぁッ! はッ! はッ、あ……ぐ、……そ、そこまで肩入れする理由が……あると言うのですか……!?」
「――――…………」
オスヴァルトの質問には、答えない。
それを言葉にしてしまえば、嘘になってしまうような気がしたから。
「りょ、リョーマ……?」
不安げに――変わらず、恐怖をその瞳に湛えて、アンナが問いかける。
果たして、俺は彼女の感情に応えることのできる言葉を持っているのだろうか?
いや、持っていないとしても、俺はアンナに説明をするべきだ。しなければならない。
それが、ずっと嘘をついていた俺の義務だから。
「――――すまなかった」
「え……?」
「ずっと、嘘を付いてた。俺は、そもそも精霊術師でも、人間でもない。この男が言っていた通り――――だ」
驚愕に目が見開かれる。それを、俺はどこか空虚な感情で見据えていた。
アンナに対してと言うよりかは、大嘘つきの俺自身に対する失望で。
渇いた風が、吹き抜けていく。
どこか、俺の心境を表すように。
「……なん、で……?」
「そうしなければ、生きてはいられなかったから」
生存のためには、人間に少しでも溶け込む必要があった。
けれど――――そうか。それも、今日で終わりか。
「言い訳はしない。嘘を付いていたことには変わりないんだ」
「そんなの……今更、そんなの……」
「だから――――もう、アンナの前には姿を見せない」
「え……?」
唯一残っている、俺にできること。
何を言っても、嘘だと思われるだろう。何をしても、欺瞞だと思われるだろう。
だから――――言葉をそのまま真実にする。
「魔族は、『恐ろしいもの』だ。近くにいたら、不安だろうから」
これも、アンナを守ることに繋がるはずだ。
きっと、彼女はずっと俺を恐れるだろうから。側にいて彼女を守り続けたとしても、それでは意味が無い。
心も守らなきゃ、人間は生きていけない。
「まっ……」
「――――さようなら。元気で」
きっと、これが最後の一言になる。
別れの一言を彼女へと告げ、俺はオスヴァルトの首根を引っ掴み――――魔族としての脚力をもって、彼女の前から姿を消した。
二度と彼女と出会わないことを、約束として。




