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その可能性

 エルモライ・レドネフ医師のの診療所は、クラインの入り口付近の位置に建っている。

 元々狭い村ではあるが、それでも「村」という一つの共同体を維持している以上はその住民の数もそれなりのものだ。村の端という立地は、村人全員に適切な診療を施せるかという観点では適切とは言えなかった。

 しかしながら、今日――村人全員が、クラインの中心部に集う収穫祭の日に、他人に(・・・)聞かせたくない(・・・・・・・)話をするには、うってつけの立地であるとも言えた。



「……それで、一体どのような御用ですか?」



 ミリアムは、警戒心を滲ませながら目の前に立つ二人の老人――ハンスとレドネフに言葉を投げた。



「何と言うか……ハンスよぅ、どうしたもんじゃ」

「いやぁ……こればっかりは切り出しづらいのう」



 二人して何かしらを言いあぐねているその様子に、思わずミリアムもレーネも首を傾げてしまう。

 重要な話がある――と、ハンスに聞かされたのは、先日の食事会の日のことだった。

 リョーマたちが縁側で何やら話し込み始めた折のことだったので、彼はそれを知らない。ミリアムとしても、内々にと言われた以上は話す気も無かった。



「…………あの、なんなんでしょう……?」



 不安で震える手を抑え込むように、ミリアムの服の裾を掴むレーネ。

 先程から――いや。もっと言えば、食事会の日から、彼女はずっとこの調子だった。



「お二人とも、話があるのでは……?」



 いつまでも人間である二人に注視されたままでは、レーネも怯えてしまうだろう。そう判断したミリアムは、そうはっきりと切り出した。



「……うむ。まあ――なんじゃ。ハンス。ワシから言うぞ」

「おう……言葉は選ぶようにの」

「分かっとるわい」



 意を決したように、レドネフは息を吐き出した。

 そして、一言――――。



「ワシらはリョーマの坊主の味方じゃからな」

「……はあ?」



 意味の通らない一言を発してのけた。



「エルモライ……」

「わ、わあっとるわい! ワシだってな、色々としがらみとかそういうのがな……ハンスも分かっとろうが!」

「そのしがらみを捨てたのもお前さんじゃろう……お前さんにアンナのことを相談したのは間違っとったかと心配になってきたぞ」



 この人たちは何を意図してこのような茶番劇をしているのだろう。

 細められるミリアムの目を見て、ごほん、とレドネフは一つ咳ばらいをして見せた。



「……それを前提にしてもらいたい」

「は、はぁ。それで、本題は?」

「ワシらは、嬢ちゃんたちの(・・・・・・・)秘密を知って(・・・・・・)おる」

「―――――――何のことですか」



 その言葉を聞いて、ミリアムの眼光に鋭さが増す。

 言葉の上でしらばっくれては見せても、彼女の警戒心はむき出しのままだ。

 のみならず、その右手には膨大な魔力が集いつつある。


 ――――この距離なら、一瞬で。


 自信があるという以上に、確信があった。瞬きの間に殺すことができると。

 そうすれば間違いなくリョーマは怒り狂うだろうが……だとしても、超えてはならない一線と言うものはある。


 彼らが害になるならば、この場で――――。



「ミリアムさん」



 ――そう考えたミリアムの腕を、レーネが押し留める。



「…………」



 魔力の奔流が薄れていく。普通の人間である二人にはそれを感じ取ることはできなかったが、「圧迫感」が薄れていることは、ハンスとレドネフにも理解できていた。



「肝が冷えるわい、まったく」



 レドネフの額から滝のように流れ出る汗は、彼がミリアムの――魔族の攻撃に抗う術を持たないためだった。

 それを理解してなお、ミリアムが警戒を解くことは無い。かつての戦争を知るからこそ、たとえ戦う術を持たない者を前にしても油断しない――という心構えが身に付いていた。



「……本当に知られてて、それで、もしもその気なら……わたしたち、ここにいるどころじゃないんじゃ、って。思います……」

「…………ええ」



 レーネに握られた右手を握り返しながら、ミリアムは答える。

 事実、「魔族である」という事実が知られていて、かつレドネフにそのつもりがあるならば、既にミリアムたちはこの村から追い出されていることだろう。

 死んでいることもありうるかもしれない。いずれにせよ、少なくともレドネフとハンスの二人がミリアムたちに危害を加える気が無いのは明確だった。



「それで、何なんです」

「何十年か前の話なんじゃが……ワシは、魔族の城でお前さんを見たことがある」

「…………えっ」



 想定外の言葉を投げ掛けられ、ミリアムの頭が一瞬機能停止に陥った。

 数十年前に、ミリアムの存在を既にレドネフに知られていたということは――少なくともリョーマが下手を打ったわけではないということではある。

 同時に、それはミリアム自身の失態を意味していた。数十年前のこととはいえ、魔族であるミリアムには充分に短いと言える程度の間である。



「えっ」



 思わず、と言った様子で、レーネもミリアムを見上げた。



「それ以来、ちょくちょく監視させてもらっておった」

「ま、待ってください。では、リョーマ様が来てからの生活も――」

「多少は、じゃな」



 さっとミリアムの顔から血の気が引いていく。

 見られていた。知られていた。その事実は、ミリアムにとってはこの世の終わりにも等しい衝撃だった。

 あるいは、そもそもレドネフの素性を知ってさえいれば衝撃も小さかっただろうが――それを知るのは、少なくとも後のことである。



「だけれどもな。リョーマの坊主の素行や、生活態度、誰も見ておらんだろう時の言動を見て……魔族も、普通の人間と変わらんのではないかと、そう考えるに至った」

「……え? ……え!?」

「だから言っただろう、ミリアムちゃん……いや、ミリアムさんと言った方がいいのかの?」

「ちゃんで結構です。それより、それは本当ですか!?」



 ともすると、食ってかかるように、身を乗り出してレドネフへと詰め寄るミリアム。

 その表情は先程と変わらず驚愕に塗りつぶされているが、その方向性(ベクトル)は喜びへと変わっていた。



「事実だとも。少なくとも、ワシとハンスはそう考えておる」

「ワシは昨日聞かされたばかりじゃがな……仮にそうだとしても、リョーマ君がそうそう問題を起こすとも思えんて」

「……!!」



 思わず、ミリアムの頬が持ち上がった。やった、と。心臓が歓喜で大きく跳ねる。

 彼の行動は、間違っていなかった。彼の道程は、間違っていなかった。

 地味に、地道に、されど確かに周囲の人間と心を通わせて、信用と信頼を勝ち取るに至った。



「それで、この話の論点はどこに……?」



 しかし、だとしてその話をわざわざミリアムにする意図が計り知れなかった。

 レーネまで呼び、しかしリョーマ自身に伝えないということは、何か思惑があってのことだというのは明白だ。



「それなんだがな。ほれ――――アンナとリョーマ君は、多分、お互いに好き合っておるだろう」

「ああ、まあ。露骨ですね」



 数分前の様子や、先日の食事会のことをミリアムは想起した。

 顔を見合わせてお互いに頬を赤くしたり、しどろもどろになって会話したり――と、その言葉を裏付ける実例には事欠かない。



「…………」



 ぎゅ、とレーネが裾を掴む力が強くなる。ミリアムは優しくその頭を撫で落ち着かせようと努めながら、レドネフへと問いかけた。



「確かに問題はあるでしょうが……それが、何か?」

「うむ、そのな。坊主もどんどん前のめり前のめりになってきておる。流石にワシの方も、魔族のことを知っておると隠したまま状況を制御するのは難しゅうてな……ミリアムのお嬢ちゃんからも、それとなく『安易に自分たちが魔族だと告げるな』と、忠告してはくれんか」

「まだ、混乱が起こりますからね。承りました」

「話が分かって助かる」



 いかにその祖父が受け入れているとしても、孫娘が同じように考えるかは別だ。

 むしろ、アンナは魔族に対して強い偏見がある――ということになったとしても、決して不自然なことではない。



「……あなた方こそ、話の分かる方で助かりました」

「二度も三度もな、話の通じる相手に戦争なんぞするものじゃあないと思っただけのことじゃ」



 ミリアムは実際にそれを経験した者として。

 ハンスとレドネフは、知識としてそれを継いだ者として、過去の戦役の凄惨さは理解している。

 故に二度とそれを起こしてはならないという戒めこそが、三人の共通する思いであり相互に理解し合える感情でもあった。



「……感謝いたします」

「あ、ありがとうございますっ……」

「心の赴くままに動いておるだけじゃ。礼なぞいらん」

「……それよりも、ミリアムちゃん、レーネちゃん。そろそろいい頃合いじゃあないかね。食事も出来上がっているかもしれんぞ」

「言われてみれば……」



 促されると、二人はすぐに食事の匂いを嗅ぎ取ってみせた。



「そ、それじゃあ、失礼……します……」

「またいずれ話す機会がありましたらよろしくお願い致します」

「うむ、こちらこそ」



 身を翻し、希望に満ちた心持ちで、ミリアムは村の中心部に向かって行く。

 レーネもまた――多少の後ろ暗い感情を持ちながらも、リョーマの行動の成果が結実するかもしれないと知り、喜びを湛えていた。

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