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自覚

 ところで、我が家とレッツェル家は色々と関係が深いということになってきている。

 発端は俺とアンナの出会いだが、以前の虫害といい病院の件といい、何かと世話になり通しているのだが――ミリアムも含めて頻繁に顔を合わせているあたり、事実上「家族ぐるみの付き合い」とになっているようにも思う。


 ……まあ、俺たちが一方的に世話になり通しと言えなくも無いんだが。

 そこはそれ、以前先生の言っていた「若者は年長者に頼るべき」という言葉をもって反論としておこう。


 ともあれ。

 そんなこんなで、俺とミリアム、レーネの三人は割とよくレッツェル家に世話になっていた。


 ――――主に、夕食に呼ばれるというかたちで。



「すみません、フリーダさん、今日はありがとうございます」

「いいのよぉ、そんな(かしこ)まらなくっても。ほら、入って入って」

「はい、お邪魔します」

「お邪魔致します」

「お、おじゃまします……」



 そんなわけで、俺たち三人はこの日もフリーダさんに呼ばれ、御相伴に預かることになっていた。

 留守番してもらっているみんなには悪いが、これも近所付き合いというものだ。

 ……いや、流石に頻繁にこれってのも悪いし、いずれはねぎらうために何かしてやろうとは思うけど。それはそれとして今この瞬間を楽しむくらいは許してくれないだろうか。



「いらっしゃーい」



 ふと部屋の中を見やると、当然のような顔でアンナが机に突っ伏したままに俺たちを迎えていた。

 ……何してんだこいつ。



「ちょっとアンナ、何してるんだい」

「んゃ……き、気にしないでよおばあちゃん」

「お客さんが来てるのに気にしないでなんてあるかね!」

「俺は別に気にしな」

「いえ是非とも顔を上げて見せていただきたく思います」



 お客の分際で何を言いやがるんだミリアム(こいつ)!?


 アンナが何故机に顔を突っ伏したままなのかは、俺たちも知らない。

 ただ、そうしているということは何か意味があってのことだろうし……あまり、そんな風にからかうのはよろしくないのではないだろうか。そう考えて苦笑いを浮かべていると。



「リョーマ様もそう思いませんか」

「そこで振るな俺に」



 別に見たくな…………くは、ない……と、思う。

 でも、アンナの意思を無視してまでというのは主義に反する。

 やめておけ、とミリアムを視線で制すると、彼女は軽く苦笑して一歩下がっていった。



「アンナ! あんまり失礼をすると嫌われるよ!」



 ……まあお婆様(フリーダさん)にはこっちの事情なんか関係ないわな!

 実際のとこ、客観的に見れば失礼なことは失礼だし。俺だって身内がこんなことやってたら辛い。



「うあぁあ、もう! 分かったよぉ!」



 フリーダさんの追及から逃れたいのか、それともヤケになったのか、アンナは意を決したように顔を上げ――――何だかやたら紅潮した顔を晒して見せた。


 ……え?

 ……いや、え?



「何お前恥ずかしがってんの」

「別にいいでしょ、バカ!」

「……何で俺今罵倒された!?」

「ご……ごめん。つい……」



 唐突な罵声にショックを受けていると、更に衝撃的な一言に横面を殴り抜かれた。

 何だ「つい」って。俺は「つい」で罵倒してしまうようなことをアンナに思わせていたのか!?



「……えぇ……?」

「だ、だからごめんって、その、あたしそういうつもりじゃ……」

「いや、お前……」



 そりゃあ、多少馬鹿ではあるけども。

 それでも面と向かって言われると腹が――――いや、腹は立たない。むしろ悲しみが溢れてくる。



「……素直じゃないですねぇ」

「…………」



 隣に視線を向けると、ミリアムが生暖かい視線をこちらに向け――レーネは、どこか憮然とした表情でいた。



「……ずるいです」

「れ、レーネちゃん? どうかした?」

「なんでもありません」

「…………?」



 ……何だろう。レーネがこんなにアンナに対して不機嫌な表情を覗かせるのは初めてだ。

 でも、ネリーの時ともまた違う。これは……何だろう。どういう感情だろうか。



「……きょ……今日、ハンスさんはどうしたんだよ」

「えっ? あ、お、おじいちゃんね。ちょっと先生のとこ行ってる。お話あるんだって」

「そっか……」



 苗の植え付けとか、種の植え方とか……そういった話をしていれば気も紛れると思ったのだが、そうか。外出中か。



「先に食べちゃっててもいいのか?」

「いいんじゃない。先に食べておれー、って言ってたし」

「……じゃあ、遠慮しないけど」



 言いつつ、アンナのちょうど向かい側の椅子に座る。

 ……というか、座ってしまった。

 無意識のうちに定位置に座ってしまった。どうしよう。あんな自然の内に出た罵倒なんて受けた直後だから、滅茶苦茶居心地が悪いっていうのに。


 妙に顔が熱い。今すぐ走り出してしまいそうだ。



「……顔、赤いよ」

「お前こそ」



 俺に言う前に自分の状態をよく顧みろ。

 ……いや、顧みてたからこそ顔伏せてたんだよな。

 じゃあこの場で自分の状況が一番よく分かってないのは俺か。

 なるほど。その通りとしか言いようがねえ。



「いいですか、レーネ。こんな風に息苦しい空間を作りたくなければ素直に育ちましょうね」

「えっ。あっ。はい」

「何吹き込んでんだお前!?」

「というか、素直って……な、何のことかなぁ!?」

「…………」



 まさにその実例を見たような渋い顔をしている。

 レーネのあんな表情、初めて見たぞ俺は。


 つらい。



「……ど、どうせおばあちゃんがごはん作るまで時間あるし、ちょっと出ようよ」

「お、おう。分かった」



 ……なので、アンナからのこの申し出は正直に言って渡りに船だった。


 逃げるように、二人して家の縁側の方へと速足で歩いていく。

 その途中でさえ、俺もアンナも、互いの顔を見ることができずにいた。



「……ふぅ」



 縁側に座り込み、横目でアンナの方を見やる。

 よく見れば、顔に朱が差していることもそうだが、服装もいつもと違う。ライヒに出ていた時と似た、どこか余所行きの雰囲気を漂わせた清楚な服装だ。

 よく似合っていると思う。女性のファッションについては決して詳しくないが、センス良く着こなしているようにも感じる。多分、買って来たのはフリーダさんだろうけど。



「何なんだよ。今日はどうしたんだよ、アンナ」

「リョーマこそ」

「俺は……いつも通りだろ」

「いつも通りなら、なんか訳知り顔で鼻で笑ってるだけでしょ」

「……俺、そういう印象だったのかよ」



 そんなにスカしたことはしていないぞ。

 ……いや、待て。本当にしていなかったか? 心当たりは――無くも無いかもしれない。



「……そりゃ……悪かった」

「別にいいよ。それより、今度はあたしが聞かせてもらっていい?」

「何をだよ」

「……あたしのこと、どう思ってるの、って」



 ――――どくん、と。心臓が跳ねた。


 ……俺は。

 俺は――何と返すべきなのだろう?


 求めているものと違う答えを出してしまったら。そう思うと、ひどく胸が痛む。

 けれど、俺はこの問いに応えなければならないと思う。アンナが一度は俺の問いかけに答えたんだ。じゃないと、俺は二度とアンナにちゃんと向き合えない。



「……命の恩人」



 一つは、間違いなくこれだ。

 俺にとって、あるいはミリアムにとって。騙してしまっていることは本当に申し訳ないが、だとしてもアンナは俺にとって、命の恩人であることに変わりはない。



「それと……村の中で、一番の友達」



 ……そうだ。これが、二つ目。


 クラインの中で、多分、誰よりも仲がいい相手だ。同年代の人間があの馬鹿野郎(ヨナス)くらいしかいないことも相まって、どうしてもアンナとの交流は増えていく。

 だから、自然と――結果的に、仲良くなっていく。



「…………あとは」



 あとは――――――。



「悪い、思いつかない」

「何それー!?」

「充分だろ、これでも! 思わせぶりなこと言ったのは謝るけど!」



 ――大きな嘘をついているんだ。もう一つくらい、小さな嘘をついても構わないだろう。

 思いつかないなんてことは無い。思い当たらないなんてことはありえない。



 俺を思い悩ませていたものを「恋」だと言うからこそ、ただの恩人、ただの友達でい続けることを心苦しく思っているからだ。



「…………」



 果たして、アンナはどう思っているのだろうか?

 俺は、なんと答えられるのだろうか?

 そもそもこの気持ちを、彼女に打ち明けられるのだろうか?


 一つとして答えは出ず。しかし、仄かに生まれた気持ちに明確な解を得た。

 ならば、俺の向かうべきところは――――。


 思いに耽る中でも、時計の針は止まらない。

 いつしか、秒針が時を刻む音と虫の音が俺たちを包み、時間だけが過ぎて行った。



 ――――なお、この数秒後にフリーダさんが呼びに来たことを付しておく。

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