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情緒の芽

 恋。

 それは世の中の男女が痛切にそれを得んと(こいねが)い、その果てに至らんとする修羅道。


 恋。

 それは世の中の男女が熾烈な道と理解していながら互いを蹴落とし切磋琢磨する羅刹道。


 恋。

 それは――――――。



「分からん」

「い、いきなりどしたの難しい顔して」



 ――――俺はこの日、アンナと一緒にライヒの街の方まで出てきていた。


 自分のことながら、まさにそのことで悩んでいる最中に一体どういう風の吹き回しだ――と思わなくも無いが、そこはそれ。アンナ本人からの頼みのため、仕方のないことでもあった。

 俺個人としては、正直に言って自分の気持ちに整理を付けたいという思いがある。事実俺の思いがアンナに対する恋心だとして、その思いを、果たしてどうするのが最善なのか――まるで分からずにいる。


 この状況で二人きりになるのはまずいんじゃあないか。それが俺の正直な思いだ。

 だってのにこいつ、まるで遠慮も躊躇も無しに誘いに来やがって。

 いや……うん。知らないんだから遠慮も躊躇も無くて当たり前なんだが。


 そんなこんなで、結局答えなんて当然に出ないまま、俺は雑貨屋の商品を握り締めて独り言なんて呟いていたわけである。

 アンナには、多分この雑貨品が何の用途で使うのか分からない――という風に考えていると捉えられているだろう。多分。いや、十中八九。



「いや……何でもない」

「そ、そう」



 俺、この文句でアンナの追撃を振り切ったの何度目だ。

 というか俺が「何でもない」って言うの何度目だ。


 改めて、手に持った商品を元に戻して告げる。



「ここでやることは終わったか?」

「あ、うん。もういいよ。買ってきた」



 言って、アンナはこちらに向かって袋を掲げて見せる。


 中身は、飼料――ニワトリなどの餌だと聞いている。

 名目上はアンナに買出しを頼んだ――となっている。しかし、実情は俺のためという点が強い。鶏のような家畜を飼いたいと言ったところ、ハンスさんから飼料の仕入れ先を確認し、またいずれ俺が独力で購入するために、とライヒの雑貨屋を紹介してもらったのだ。

 本当に頭が下がる。


 そもそもを言えば、鶏というのは日本でも戦前から戦後まで、多くの農家で飼育されていたと聞く。それは、飼育が割と簡単な方で、非常時の食料や、副収入としても重宝したからだ。

 こちらの世界の鶏も、見たところそれほど元の世界のものと変わりはない。なら、俺たちでも飼育することくらいはできるだろう――という目算があった。

 普段の食事の中に卵料理が一品増えるだけでも豪華に感じるだろうし、いざとなった時にはシメて肉にしてしまうこともできる。それこそ、昔の農家さんのそれに倣おうという考えだ。

 今回この店を紹介してくれたのは、その足掛かりとしてもらうためだとか。


 ただ、うん。それはそれとして。

 今の状態の俺をアンナと一緒に行かせたこと、それだけはちょっとだけ恨めしい。ちょっとだけ。



「……じゃあ、そろそろ行くか」

「えっ。早くない?」

「べ……別に早くはないだろ……」

「早いよ! この前からずーっと上の空だし!」

「いや、そこまでじゃない…………」



 全然なくないな。


 いや、だめだ。そこまでじゃないなんてことは無い。全然ない。

 俺、よく考えたらこの前の釣りの時からずっと考え事ばかりしている。しかも、周囲を放置してだ。

 端的に言ってこれじゃただのクソ野郎だ。どうしようもない。



「……そこまででもあったな。ごめん。本当にごめん」

「えっ、いや、そこまで気にしなくっても……」

「でも、ずっと考え事してたのは事実だしさ。あんまり気にさせるのも、悪いし……」

「そ、そう。うん。分かってくれたんなら、いいけど……」



 なんだか顔が熱い。

 何故かアンナの頬に僅かに朱が差している。



「………………チッ」



 ……あと、妙に店員からの視線が痛い。

 舌打ちまでしている。そこまで苛立つのだろうか。


 いや、はたから見れば痴話喧嘩のようなものか。そりゃ怒っても仕方ない。

 すみません。やめます。店の中でする話じゃありませんでした。ごめんなさい。



「それはそれとして一度出よう」

「そ、そうだね……」



 互いに微妙な雰囲気を感じ取り、目的のものを手に店の外へ向かう。

 俺にしろアンナにしろ、余計な騒ぎを起こすようなことは望んでいない。俺たちは、そのまま近くの広場まで移動していった。



「それで、さ。何か……あったの?」



 問いかけるアンナは、先程と変わらず僅かに赤面している。

 状況が状況だけに仕方が無いが、流石にあんな風に注目されるのは恥ずかしかっただろう。俺もまだ少し気恥ずかしさが残っている。



「何……っていうか……」



 色々あった。

 でもまさかお前のことが好きなのかもしれないなんてことを言うことができるわけもない。

 それにしたってしかし、何も気にしてないよ、なんて大嘘を言えるわけもないし――俺は一体この問いかけに対してなんと答えるべきか、正直なところ計りかねている。


 ……それでもあえて言うとすれば。



「……こ、こないだのあれ。悪かった。本当に」

「こないだ……?」

「ほら、河原で……」

「あ。あ、ああ! あれ、ああ……えっと……う、うん。いいよ、そこまで気にしなくても。あたし、怒ってないから。でも、もしかしてそれずっと気にしてたの?」

「……まあ」



 そういうことにしておかないと色々まずいだろう。

 いや、気にしてたことも確かというか、実際その件がある意味で契機になったようなものだと言うか………………何で俺は十九も目前にしながら、こんな小学生だか中学生の男児みたいな思考をしているんだ!


 いや、原因なんてどう考えても俺の情緒というかそっちの感情がその頃からまるで育ってないからという他無いんだが。

 だとしてもひどすぎる。いくらなんでももうちょっとまともな思考ができるはずだろう、俺。

 こと、この事例に限っては俺の情緒が小学生未満だと考えると、まともな思考ができなくなっている方が自然なのだが。


 ……だから、そう。



「……アンナさ、俺のことどう思ってる?」



 ――――極度の混乱から、意識してること丸出しな質問をしてしまっても、それはそれで仕方ない。


 ……いや、仕方ないわけあるか。



「……はぇ?」

「ゴメン質問を間違えたあの時俺のことどう思ったかって聞きた――――」



 早口でまくしたてかけ、そこではたと気付く。

 この内容でも言ってる意味殆ど変わらねえ!!



「――――しゃあッ!!」

「リョーマぁぁ!?」



 その事実に気付き、俺はそのまま噴水に身を投げた。


 ……数秒後。引っ張り出された。



「何してんの!? 何してんの!? 本当に何してんの!?」

「お、俺にも分からん……」

「頭大丈夫!?」

「大丈夫じゃないかも……」



 少なくとも正常な思考はしてない。

 俺はこんなにも精神的に脆かったのだろうか。いや、脆いかそうでないかで言えば間違いなく脆いか。

 今の俺は本当にどうしようもない。精神的にぐずぐずに崩れ切っている。


 いや、本当に。駄目だこの感じは。本当に駄目だ。

 誰か助けてくれ。



「ちくしょう。頭痛い……」

「こっちのセリフだかんね?」



 でしょうね。


 理由はともかくとしても、今の俺を見ていればそういう感想が出ても何らおかしくない。

 というか俺当人が頭痛を催しているんだから尚更だ。



「ホント、急にどうしたの……? 悪いものでも食べた?」

「しょっちゅう食ってるよそんなもん」

「何食べてるの普段」

「草とか……キノコとか……」

「もうちょっといいもの食べなよ……」



 いや分かってるけども。

 俺だってそうしたいことはやまやまだけれども。それ以前の問題として食料自体がそんなにあるわけじゃないし。


 ……あと、一応これだけは表明しておきたいのだが。別に、毒キノコにやられて幻覚を見ているわけじゃあない。



「そのうち、なんとかするよ」



 言いつつ、噴水から出ながら魔法を使って服を乾燥させる。



「じゃあ、さっきの答え。リョーマって本当に危なっかしいなって思ってるよ、あたし」

「……そっか。いや、まあ、だろうな」



 何か察したと思ったら唐突に犬と戦い始めるわ、見てないうちに何故かよく分からない大怪我するわ……そりゃ危なっかしいってもんだ。

 俺だってそのくらいのことは理解できる。妥当な評価だろう。



「頭は良いかもだけど、あんまりものを考えないし」

「うん……」

「あんまり人に頼らないようにするって割に、なんか後ろ向きだし」

「……うん」

「そのくせ見栄っ張りで意地っ張りで、すっごい無理して人に気、遣ってる」



 そろそろ俺の心が死ぬのでやめてほしい。



「……でも――――――」



 と。

 そこまで追い打ちをかけて、アンナの声が止まった。



「……何だよ」

「ううん。ナイショ」



 やめろその内緒って言うの。

 怖いからやめろ。裏で何考えてるんだ。アンナに限ってそれは無いと思いたいけど、何考えてるんだ!?



「『信じてる』って言いたかっただけ。他になんて言ったらいいか、分からなかったの」

「……そっか」



 率直なその一言に、思わず顔が熱くなる。

 きっと、赤面しているだろう自分の顔を――しかし、アンナに見せるのが途方も無く気恥ずかしかった。


 その後も、僅かに顔を逸らしたまま、食事を摂ったりお菓子を買ったりと、ライヒでの用事を済ませていったのだった。



 ――――なお、帰宅後にかけられた「デートはいかがでしたか」というミリアムの一言によってまたしても撃沈することになるのだが、それに関しては余談としておく。

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