溜め池で溜め息
「水を引くぞ」
――――捕獲した半魔族の生命のタイムリミットまで、あと数日。
連日運び込んでいる食料は、俺が魔法を使って冷凍させ続け、数週間程度はなんとかしのげる程度の量も確保できた。
……できたはできたのだが、一つ。
俺たちは、自由に使える水が無いという、致命的な問題に行き付いていた。
「水……?」
「ですか?」
ある程度の作業が終わった頃。廃屋のだだ広い地下空間で、俺はミリアムとネリーの三人で話し合いを行っていた。
「水だ。上の……川から水を引きたい」
「オレはべつにいらないと思うけどな」
「お前個人はな。魔石を使えばすぐに手に入るとはいえ、それだけじゃ足りないんだよ」
何せ今までの三倍近い数になるんだ。水も食料も、いくらあっても足りはしない。
そもそも、魔石で作ることのできる水なんて微々たるものだ。普通の水に含まれているような栄養素も、ほぼ無いと見ていい。単にミネラルの含有量が低いというだけなら超軟水として料理などに応用もできるだろうが、はっきり言って現状では工業用水のようなものだ。
ただ飲むだけならそれでもいいだろうが――問題は、それよりも「応用」にある。
「……それに、川の水を引けば魚が入ってくることもあるかもしれないだろ。養殖じゃないけど、食料もある程度は確保できるようになるはずだ」
「方法はどのように?」
「もうオスヴァルトと話してある。まず川から地下に向けて流れ込むように支流を作るんだ。それから、ここに広いため池を作って、また本流に流れ込むようにする」
「……なぜ、もう一度本流に戻す必要が?」
「……溢れるだろ、水が」
なるほど、と僅かに頬を染め、大仰に手を打ってみせるミリアム。
ミリアムも知恵に大分偏りがあるらしい。というか、考える前に口を出してしまったと言ったところだろうか。俺のことを短慮な方と言う割に、ミリアムも時折こんなことがある。
まあ、大した欠点でもないし、なんでもいいが。
「それだけじゃなくて、生活用水として使ってたりしたらその内汚れるだろうしな」
「それはその通りですが……いずれ移動するのでしたら、作っても無意味では?」
「水は溜めておけるし、魚がいればそのまま置いておける。移動した後でも、戻ってくる時の指標にもなるだろうし……無意味ってほどじゃないさ」
そもそも、ため池というのは文字通り水を「ためておく」ためのものだ。
容積にも限度があるとはいえ、数日程度なら大した問題も無い。
「それで……私はどうすれば?」
「ネリーについてやってくれないか?」
「オレ? 何でだ?」
と、俺の提案に二人して首を傾げる。
「大雑把な部分は魔法で何とかするけど、流石に俺の魔法じゃ細かい部分はどうにもならないからな。この機会に魔力で武器を作ることを覚えてもらって、作業に役立ててほしい」
「武器を作業に役立てるという表現はいかがなのですか」
「大丈夫だ。かれこれ俺は数十日ずっと冥斧を伐採と工作に使ってる」
「ちょっと言いたいことがあるのですが」
目を逸らす。
いや――しかし、ほら。別に問題は無いだろう。
ミリアムが、冥斧に深い思い入れがあるというのは理解しているが、もう俺のものなんだし。
――――そもそも。
斧というものは木を伐るための道具であって武器ではない。
「ともかく、他の作業にも……狩りにも戦闘にも使えるんだ。ここで学んでおくといいと思ってさ」
「そうか。じゃあよく分からないけど教えろ」
「それが他人にものを頼む態度ですか」
思えば、レーネは最初から自然にできていたからともかくとして、ネリーに礼儀作法については教えていなかった。
もっとも、ここにいるのは身内同士だし、俺も、俺自身に対する礼儀なんて気にしない性質でもあるので、教える必要が無かったということでもあるのだが。
「さて――――」
魔力武器の構築方法についての講義を始める二人を視界の端に置き、俺は俺で魔法の準備を始める。
事前に術式の設計図はオスヴァルトから教えてもらっている。あとは、俺の魔力操作の技量がどれだけ鍛えられたかと……応用次第だ。
魔力を練り上げ糸として、術式を描く。本当に、先に述べた通りのことを全て一度にやるのなら、相当緻密な制御を必要とすることだろう。
しかし、川の支流を作り、溜め池を作り、再び本流に接続する――と、工程を分けることで、この難易度もだいぶ緩和される。
よって構築する術式は二つ。川に支流を作って再び戻す――というものと、床を陥没させて大きな溜め池を作るものとなる。
と、そこで少し思い至ることがある。
複数の術式を同時に扱うことはできないものか、と。
魔力は術式を織るための糸のようなものだ。膨大な魔力を持つ冥王なら、当然糸の量も膨大なものになる。なら、複数の術式を組んだとしても、別に魔力的には問題ないわけで。
「……やってみるか」
ものは試しだ。左手の先に支流を、右手の先に溜め池を作るための術式をそれぞれ組んでいく。
魔力の減少量に、大して違いは無い。せいぜい、ちょっと頭がこんがらがるくらいのものだ。それにしたって、順序立てて構築していけば何も問題ない。
例えるなら……両手で同時に、紙に星印を書くようなものだろうか。コツさえつかめば、大したことでもなかった。
「よ、っと」
両手を地面にかざし、術式を起動する。
それに伴って、僅かな振動と大きな音が響き――俺の眼前に、巨大な穴が穿たれた。
「………………」
――――できた。
なんか、できた。
思った倍くらいあっさりできた。
いや、ほら。ここはもうちょっと悪戦苦闘して、でもできないな……となるべきところじゃないのか……?
そりゃあ、まあ。できるに越したことはないけども、今までのことを思うと、ちょっとあっさりすぎるような気がする。
確かに、どうせ後で細かい部分は修正するからと思って、術式を簡略化したりもしたが……。
と、そんなことを考えている最中、どこか意外そうな様子のミリアムが近づいて来る。
「あの、リョーマ様。もしや今のは、一度の術式で?」
「あ、ああ。そうだけど。何かマズかったか?」
「いえ、上出来だと思うのですが……その、正直に申し上げて、今のリョーマ様ではこれだけの規模は流石に不可能かと思いまして……」
それは俺も同意見だ。
そもそも、この地下空間はおよそ一キロほどの広さを誇る。先の精霊術師との戦いの折に破壊し、直後に魔法で補修した岩壁がだいたい十数メートル前後だから……その百倍はあろうかという広大な空間に、長大な川の支流を作り上げたということになる。
これは……俺の魔法の扱いが上達している?
「ってことは俺、もしかして案外すごいんじゃないか?」
「そこで調子に乗らなければ」
「……あ、はい」
……まあ、あれだ。こうやって鼻っ柱を折ってくれるのはありがたい。最終的にこういう考え方は油断に繋がるわけだから。
俺自身、相対的に見て大した実力も無いのだから、油断はそのまま死に繋がることだろう。
「そもそもこれだけ長く魔法の練習をしているのですから、できて当然ですが――まあ、及第点は差し上げましょう」
「辛口っすね」
「何度も言いますができて当然なんですよ。ネリーを見てください」
言われるままにネリーの方を向く。
と。
「あるじー! できたぞあるじー!」
――――そこには、当然のように自らの魔力武器を創り上げているネリーの姿があった。
軽く死にたくなった。
「……これさぁ。特別ネリーに才能があるとかじゃ」
「平均的ですね。特別というのなら、リョーマ様の才能の無さの方が」
いっそ殺せ。
「……で、それは何だ?」
「爪だ!」
「爪」
爪。
成程、確かにその外見は爪――いわゆる「鉤爪」のそれに近い。
しかし、軽くネリーの身長に達するほどの巨大さを誇るなど、その縮尺は割と狂っていた。
凶悪な外見にしても程がある。一瞬、どこかの巨大ロボットの武器か何かでも具現化したのではないかと疑ってしまうほどだ。
文字通り、「爪」の中ほどの部分に腕を「差し込む」ようにして、半ば引きずってさえいる。取り回しという言葉とはまるで無縁に――破壊力を追い求めたかのようでもあった。
「ミリアム、お前何教えたんだ……?」
「いえ、この子が勝手に」
「だろうな」
ミリアムならもっと簡単で、かつ実用性の高いものを選ぶはずだ。
少なくとも、ここまでの大きさにはしない。多分。
「でもカッコいいだろ!」
「いや怖ぇよ」
「怖いか……? まあいいや。怖いってことは強いってことだしな」
怖い=強いという考え方はどうなのだろう。
いや、それも本質の一つではあるし、相手を威圧するものと考えれば決して間違ってはいないか……。
「……で、これをどうやって作業に活かすと?」
「……無理っぽいな」
これだけの巨大さだ。ネリーの覚えが早いことは、まあ喜ばしいことだが……少なくとも作業には向かないだろう。
魔力武器の大元が魔力である以上、自分の体の延長線上のように使えることは確かだが、それでもここまで大きいのは問題しか見当たらない。普通の人間だって、器用な人と不器用な人がいるように、魔力武器の扱いに関しても同じことが言えるだろう。
「仕方ないな。俺がやるよ。ネリーはレーネの手伝いに行って来てくれ」
「分かっ……あ、そうだ。あるじ、一つ聞いていいか?」
「何だよ」
と、何の気なしに、今創り上げた――まだ水は流していない――川の支流と、その先の溜め池……予定地の大穴を見つつ、ネリーが訊ねてくる。
「こないだキンパツの女と川にいっしょにいたけど、アレ何だったんだ? おし倒してた? よな?」
「ちょ」
何言ってんだこいつ!?
よりにもよって見てたのかよこいつ!?
そりゃこっちからも見えてたんだから、そりゃ見えてないとおかしいけど、何今になって言ってんだこいつ!?
「……おや」
とか考えていると、ミリアムがイイ笑顔をし始めた。
「やっぱりそういうつもりが……」
「ねえよ! ネリーがいたのが見えたから誤魔化そうとしたらコケただけだよ!」
「顔まっ赤だったぞ」
「おや」
余計なことを言ってんじゃねえ!!
「事故だ!」
「ですが意識はしていると」
「意識……いや、まあ……どうだろう」
しているだろうか。意識。
「確かに、アンナに対しての感情について悩むことはあるけど……意識って言われても」
「完全に意識してますよね?」
「マジか」
「しかも色恋のそれですよね?」
「そうなのか?」
「なのか?」
「自覚もしてないんですか!? というかネリーは口を挟まないで早くとレーネのところへ行ってきなさい」
「お、おう」
ミリアムの指示に、釈然としない様子で頷くネリー。
まあ、そりゃあ、あの年ごろの子供に聞かせるようなことでもないが。
「自覚っていうか。愛とか恋とか、よく分かんねえし」
「……そこまでですか?」
「知らないんだよ。そういう感覚になったこともないし。そんな余裕も無かったから」
「重症ですね」
「……まあ」
自分が割と重症な自覚はある。何せ普通の人間が知っているはずのことを何も知らないんだから。
というか、普通の人間はスゴい。何で愛とか恋とか、何も言われずに理解しているんだ。
愛って何だ。恋って何だ。諦めないことか。
頭を抱え始めた俺を見ていられなかったのか、次第にミリアムは溜息をつき始めた。
しかし、その表情に呆れはあっても、怒りや失望は見えない。どこか、子供を見るような雰囲気すら漂っている。
「……そうですね。恋という感覚は、人それぞれなので私も一概には言えません。ですが、大雑把に……相手に触れたい、自分を嫌いになってほしくない、相手のことを想ってやまない――そういう感情が強く出てくるものだと、私は思います」
「…………」
あれ?
だいたい当てはまらないか、俺?
……あれ?
「……あの、リョーマ様?」
「わ、悪い、ミリアム。少し一人にしてくれないか……」
「……え、あ、はい」
今回ばかりは、俺の思考が読めなかったのだろう。
懊悩する俺に対し、ミリアムはどこか唖然とした様子でその場を離れる俺を見送っていた。
同時に、そうして悩んでいたからこそ。
――――俺は、この話を聞いていた人影に、一切気付くことはできなかったのかもしれない。




