みっつの約束
「――――何をやっているんです?」
その直後。
強大な闘気を背後から感じて咄嗟に振り返った俺は――――紅の修羅をその目に捉えた。
……いや。正確には修羅の如く怒り荒ぶっているマルティナさんを、だが。彼女の赤毛が、なんともまあ恐ろしさに拍車をかけている。
「うぎゅっ」
思わず、といった様子で呻き声を上げるエフェリネ。その表情は先程の笑顔から一転、苦渋に満ちたものへと変わっていた。
うん、まあ――――来るよな、普通。探すよな、普通。エフェリネはこんなにも簡単に特定されるとは思わなかったのだろうけれど、空から落ちてきた人間だなんてものが噂にならないわけがない。噂のもとを辿って行けば、どこかの定食屋に入って行ったなんてことはすぐに分かることだろう。
「……お疲れ様です。ご無沙汰しております、マルティナさん」
「はぁ? あ。ど、どうもお疲れ様です……リョーマさんでしたね。その節はどうも……」
初対面は随分前だし、エフェリネと比べるとほんの僅かに顔を合わせただけだが、あの時のことがよほど記憶に残っていたらしい。
俺も俺で、あんな死ぬかどうかの瀬戸際の綱渡りを忘れられるはずも無く。特にエフェリネの行動に胃を痛めていそうなこの人については、よく印象に残っていた。
「お迎えですよ」
「何のことですかねぇ」
鳴りもしない口笛を吹くんじゃない。
「いいじゃないですか。執務は終わらせてから来たのですから……」
「そういう問題ではありません! 誰にも行先も目的も告げずに勝手に出て行くなと言っているんです!」
「何してるんですあなたは」
「だって……行先を言うとみんなついてきますし……自由に行動できませんし……」
「当たり前でしょう!?」
「当たり前だろ!?」
「え、そうなの?」
駄目だ。アンナだけ何故それがいけないのか分かってない。
……いや、最初から割とそんな感じだったけれども。
「身分の高い人っていうのは色々しがらみがあるんだよ……」
「万が一のことがあっては、我々従士隊も首を切ることに……」
「そ、そうなんだ……ご、ごめんなさい?」
「謝らないでください! そんなしがらみ、私の自由を奪う敵同然です……!」
何言ってんだこのぼっち。
「何を馬鹿げたこと言っているのです」
「言いましたね!? 言葉にしましたね貴女!?」
「………………」
この二人のやりとりを見ていると、どことなくミリアムとのやり取りを思い起こさせる。
丁寧な言葉でありながら、微妙に辛辣なことを言うからだろうか。以前会った時も思ったが、やはりこの二人の関係はそれなりに気安いものらしい。
「……マルティナさん。そこまで急ぐのはどうしてですか?」
「夕刻から、フランチェスカ伯との晩餐会があるのです。エフェリネ様が曲がりなりにも王であるとはいえ、こちらは訪問させていただく身。無礼があっては我が国の威厳にも差し障ります」
「大昔の栄光を未だに振りかざしてるだけじゃないですか」
「エフェリネ様!」
周囲に混乱を呼ばないよう、なるべく小さな声でエフェリネに注意を投げ掛けるマルティナさん。
……そもそも口論している時点で周りから注目されている以上、その涙ぐましい努力にもあまり意味が無いような気がしないでもないが。
実際、なんだか徐々に周囲の喧騒が大きくなっている気がする。流石にエフェリネのことにも気づき始めたか。いや、それ以上に。
――――そりゃあギオレンの国章着けた軍人らしき人が来たら騒ぐわな!!
マルティナさんは自分の服装について気付いていないのだろうか。せめて変装して来たならここまでの騒ぎにはならなかっただろうに。
アンナに視線を送って、食事を片付けるのを促す。このままここにいるのは得策ではない。
「マルティナさん、一旦出ましょう」
「は? ……ああ……そうですね。一度出ますよエフェリネ様。既に料金の支払いは済ませております」
「ええっ!? まだ食べさせあいっことかしてないのに……」
「このアツアツスープをあなたの口に流し込んでもいいのですよ……!」
「ごめんなさい食べます」
もそりもそりと、俺やアンナに比べればいくらか遅れて食べ進めているエフェリネ。急いでいるにしては、だいぶ遅い。
というか、上品に食事を口に運んでいるためだろう。育ちの良さというか――そういう風に教育されたがために、こんな状況でもその癖が抜けきらないということだろう。
……で、そんなこんなでしばらくして。
足早に店を出た俺たちは、先程エフェリネが墜落して来た広場にほど近い菓子屋に訪れていた。
ケーキやパイ、クレープなどの洋菓子類全般を取り扱っている店だ。小奇麗な印象の店構えで、店内にイートインスペースも設けられている。
この店に移動してきたのは、エフェリネが強く要望したためだ。何よりもまず先程の定食屋から離れたかったマルティナさんはそれを承諾。そのまま、この店に来たのだが――――。
「んふふふふー。いいですね、このちょっと甘みが強すぎるのを誤魔化すために酸味の強いフルーツを載せてみた、けど何だか誤魔化しきれてないこの感じ。値段相応の安い感じ!」
「エフェリネ様、店員の方が凝視しているのでおやめください」
「またですか……」
また、と来たか。以前にも同じような寸評をしていたというのか。
その時のことを思い出しているのか、マルティナさんは自身の目頭を軽く押さえてしまっている。
エフェリネはあれで褒めているつもりなのかもしれないが、どう聞いたって皮肉か暴言の類だ。エフェリネに常に付き従う従士としては、すぐにでも謝りに行かなければならなくなるだろう。
「私は正直な感想を述べているだけです! それに、これはこれで趣深いもの。私は好きですよ」
「何に対してでもそう仰るではありませんか」
「嫌いなものは嫌いだとはっきり申し上げますよ」
言われてみれば、エフェリネが食べたハンバーグといいこのフルーツタルトといい、散々な評価を降しておきながら、結局彼女は「嫌いだ」とか「不味い」とは一言も発してはいなかった。
「これはこれで」と大抵のものを許容できる器があるのだろう。一言どころか二言以上も足りないのだが。評価を下された側としては、馬鹿にされたと思うことだろう。
「……で、あの、お二人とも。本題についてですが」
「ああ、そうでしたね……」
やだこの人疲れ切ってる。
いや、当然といえば当然か。前のことも鑑みると、エフェリネを捜して半泣きで全力疾走でもしていたに違いない。それできっちりこの短時間で探し当ててみせたのは、彼女の脚力の為せる業か、あるいは情報収集能力に優れているからか。
……その割に心が弱いなと思わんでもない。
「衣装合わせと今回の挨拶の暗記、等々……執務の方が終わられていたとしても、エフェリネ様にはやるべきことがあります。可能な限り余裕を持って行動していただかなければいけないのですが……」
「毎回毎回、大袈裟なのです。だいいち、『余裕を持つ』と言ったって余裕がありすぎです! 四時間も五時間も衣装合わせができますか!」
「暗記の方はいかがですか」
「ヴッ……それはそのまあ、おいおい」
俺知ってる。それ結局やらないヤツだ。
「マルティナさん。そこまで衣装選びって重要なんですか?」
「ええ、そうですね……相手方にセンスが無いなどと思われては、我が国全体が『センスの無い国』と取られてしまいかねません。衣類の貿易にも差し障りますので」
納得では、できないでもない。
新聞などが流通しているとはいえ、芸能人やアイドルというようなものを、俺はこちらの世界で見たことは一度も無い。
となればファッションリーダー……と呼べるもの、流行の発信源は自ずと、「有名人」として最たるもの――それこそ王様や貴族――になるだろう。衣装選びに対して神経質にもなるわけだ。
「それに、もうお気付きと思いますが、エフェリネ様はその――――口が」
「……ああ」
「何です。口が……口が?」
エフェリネは純粋に忌憚ない意見を述べているだけなのだろうが、先程から聞く限り、料理に対しての意見が率直すぎる。
有体に言って、口が悪い。これで普段通りに言葉を喋ろうものなら、相手に対する無礼は避けられえないだろう。そうなるとまあ、何とかしてアドリブで喋ることは避けてもらいたくもなる。
「戻りましょう?」
「何でリョーマさんまでそんなこと言うんですかー!」
「いや、言うでしょ……ですよ」
「くっ、また敬語に……! おのれマルティナ……!」
「私のせいですか!?」
ある意味ではその通りです。
「私も、なりたくて霊王になったわけではないですのに……」
と、不満そうに、エフェリネはそんな一言を漏らした。
「エフェリネ様」
エフェリネのその言葉のワケが分かっているのだろう。諫めるマルティナさんの声からは、あまり覇気が感じられない。
霊王は制度上、ギオレン霊王国で最も強い精霊術師に与えられる称号だと先程エフェリネが話していた。彼女自身も、その能力に対しては自信を持っているようだが……かと言って霊王の仕事に対して誇りを抱いているような発言が、これまでにあっただろうか。
どちらかと言えば、倦怠感や鬱陶しさの方が、俺にはよっぽど感じ取れた。見た目の幼さもそうだが、実際の年齢も十七歳。まだまだ子供と言っていい年齢だ。遊びたい盛りなのは間違いないだろうし、その気持ちが間違っているとは思わない。執務も割合ちゃんとこなしてはいるようだし……問題は無いのだろうが、やはり、疑問は浮かぶ。何故エフェリネが、と。
「……マルティナさん。失礼ながら、なぜエフェリネ様が霊王に?」
「あ、それあたしも気になってた。……ました」
「ご存じないのですか?」
「え、ええ。自分は……その。だいぶ、世間知らずなもので」
「あたしはちょっと勉強してなくって……えへへ」
笑いごとじゃないぞお前。
そこは学べよお前。
……いや、でも猟師するだけなら必要無いのか。パン屋を継ぐにしても、別に試験があるわけじゃないし。
「十年前に先代霊王が死去なされたのです。その際に、候補者の中で……と」
「当時七歳の子供にやらせたと……?」
「……ええ、そうなりますね。ただ、年齢の問題もありますので、その当時から十三歳になられるまでの間、御父上が執政官として辣腕を振るっておられました」
「私以外にできる人がいなかったわけです。滑稽なことに」
吐き捨てるように呟くエフェリネに、果たして愛国心があるのだろうか。だいぶ不安になってきた。
……常に政治家や国を動かす人間に愛国心があるだろうかと言われると、これもまた不安ではあるが。
「お姉様もお母様も、何であんな時に死んで……」
と。
続けて吐き出された小さな言葉を、俺の耳は狂いなく捉えた――捉えてしまった。
――脳裏に、ふと父のことが思い浮かぶ。
まるきり俺とエフェリネの境遇は違う。身近な人間の死を経験した、共通点などそれだけのことだ。
他人のことだ。いちいち聞いたって仕方がないだろう――そう思う一方で、俺の口は勝手に言葉を紡いでいた。
「姉さんと、母さんとは?」
「あ、き、聞こえてしまいましたか……いえ、その」
「その話についてはそこまでです」
――即座に、制止の手が入る。
マルティナさんの表情は、いつになく真剣だ。先程までの覇気の無さが嘘のように、今はその闘気と精気を漲らせている。
「……分かりました。不躾なことをお聞きして申し訳ありません」
ならば、それ以上追及するのは危険だ。理性が押し留めるのに任せて、俺は追及を打ち切った。
……実際に起こったことはともあれ、推測はできる。
先程の発言から鑑みれば、エフェリネの姉と母は霊王の候補に成り得るほどの実力を持った精霊術師だった、と考えられる。でなければ、「何故七歳の子供に霊王などさせているのか」という問題を語っている時に、このような呟きをこぼしはしない。
エフェリネの父は執政官だ。エフェリネが政治に関わっても良いという年齢になるまでは、彼が実質的に権力を握っていたとマルティナさんが語っていたが、彼が政治的な実権を握るためにエフェリネを霊王に据えようとした、と考えられはしないだろうか。
勿論、現状では可能性でしかない。だが、この話を始めた時のマルティナさんの言動を鑑みると、「何か」があったのではないかと勘繰りたくもなる。
「……もう、過ぎたことですのに」
表情には笑みを湛えたまま、しかし、その瞳に憂いを映し、エフェリネは小さく呟いた。
今度は、流石に追及できない。追求しようにも――それは、許されない。
俺の方が遥かに隠し事が多い中では、あまりにも卑怯だ。
「しかし、それはそれとしてエフェリネ様。暗記は……しておかないとマズいのでは?」
「ご、五分もあれば十分です。世界最強ですから」
「強さ関係ないですよね?」
「それはどうでしょう。精霊術において最強であるということは、つまりそれだけの精霊術についての知識があるということ。十七歳時点でそうだといううことは、つまり私にはそれだけの天賦の才があるのです。記憶力も抜群! の、はずです」
「な、なるほど……」
「そこで納得するんじゃないよお前は」
最後に「はず」とか微妙に自信があるのか無いのか分からない一言が付け加えられてるじゃないか。
「……今日のところは戻った方がよろしいでしょう。自分も、公の場で失敗するエフェリネ様を見たくはありません」
「ですが……」
「今日でなくとも、またいずれお会いする機会はあります」
不安に思われないよう、自信を持ってはっきりと告げる。
この数時間で理解したが、エフェリネは割と……いや。かなり、寂しがりだ。
それは彼女が同じ年頃の人間と交流を持てなかったからであり、仮にそうした交流を持てたとしてもすぐに引き離されてしまったからだろう。
――――だから、「そうはならない」と言ってやるべきだ。
彼女ほどではないが、俺も一人で過ごしてきた時間は長い。これ以上同じような思いをさせるのは、俺自身が我慢ならない。
欺瞞であれ、安心するならそれでもいい。バレさえしなければ――何も問題は無い。
「本当ですか?」
「ええ、勿論。流石に敬語をやめろと言われても難しいのですが」
「ふふっ……そうですね、そこは仕方ありません。では」
と、エフェリネは小指を差し出す。
これは何だろう――と、アンナに視線を向けるも、アンナも首を横に振るばかりだった。
「『ゆびきりげんまん』というものらしいです。御使い様から、約束を絶対に守ることを誓うものだ――と伝わっています」
……ちょっと待て。
それ、伝えたの日本人じゃないか?
待て。いや――――待て。どう考えてもこれを伝えたのは日本人だ。以前に聞いたエフェリネの話から、御使い――代行者に日本人がいたというのは間違いないが、こんな風習まで伝えたのか過去の日本人。
マルティナさんに視線を向けると、仕方がないと言いたげな表情で……しかし、僅かに笑みを浮かべ、俺に行動を促していた。
「は、はぁ。では」
「はいっ。ゆーびきーりげんまん、ウソついたら針千本のーますっ!」
ぎゅ、と力強く指が絡められる。
こんな言葉を聞いたのも、久しぶりだ。
元の世界でだってとんと聞かなかった。高校生になってまで、こんなことをするような人はいないから。
俺も、子供の頃にしか指切りげんまんなんてした覚えは無い。あれは、確か、そう。父と――――。
「はい、これで約束ですねっ!」
――――不意に、現実に意識が引き戻される。
「はい、約束です」
反射的にしてしまった返事は、果たしてどう聞こえただろうか。無感情なものに、聞こえてしまわなかっただろうか。
エフェリネの笑顔は、そんな心配をまるで意に介さないほどに、眩しかった。
「リョーマは約束が多いなぁ」
隣から、苦笑交じりのそんな言葉が聞こえてくる。
「……だな」
ミリアムには、きっと魔族を復興させて人間と融和する道を探す、と。
アンナには、何があっても守る、と。
エフェリネには、いずれ必ず会う、と。
少し考えただけでも三つも破れない約束をしてしまっている。安請け合いだろうか。
――――俺個人は、どれも本気ではあるのだけど。
そんなことを考えながら、俺はアップルパイを一切れ、自分の口に突っ込んだ。




